第2章 3.荷を負うもの――補給隊
■Scene:補給隊、(1)
一方の補給隊。目指すのは《砂百合の谷》である。
盾父アダマスを先頭に、剣士としてシュシュが続く。
料理番兼癒し手として参加しているラムリュア・アズウェルに、クオンテ、ラージ――これは力仕事担当を自認している――加えてリュシアン、ヨシュア、カインといった学者肌の面々が揃う。
こちらは先行きを急がなければならない必要はないため、先発隊よりも朗らかな雰囲気が漂っている。
「砂漠見物できればどっちでもいいんだけど、ティカとダージェが先発隊なら、俺は補給隊に回るよ」
剣士三人組は二手に分かれたほうがいいだろうという、シュシュなりの采配もあって、双方で戦力を分かつことにしたのだ。
「この仕事が終わったとしても一月はちゃんと暮らせるのかあ」
ラージは改めて、今回の待遇の良さを思い出したものである。急ぐ必要もなく、お金の心配をする必要もないことがはっきりして、彼もようやくこの仕事に対する余裕がでてきた。補給隊を選んだ理由は、こちらのほうが自分の手伝える部分が多そうに思えたからである。
結果的にエディアールと分かれることになり、安堵を覚えたと同時に、「わざわざ遺跡のものを盗む必要もなさそうだし、何もしないさ」とエディアールに伝えられぬままなのが、少し残念でもあった。
「彼の言葉を、そう気に病むことはないと思いますよ」
ラージが手を止めているのに気づいたカインが、そっととりなした。
声をかけられてラージの顔がほころぶ。
ただ聖職者の言には、そうなのだろうかと再び自問してしまう。
うっかり泥棒だといってしまった自分が悪いことは自覚している。もう、ものを盗むつもりはないとはいえ、やはり気がかりだ。せめても同じ仕事に携わる間は、仲良くしたいというのが人情である。
カインも先から、ラージの思いを気にかけていた。
「我々には、天宮の神々が《大陸》に残してくださったあらゆるものを大切に守り、残す使命があるのです。そのことは、お分かりですね?」
「それは……分かるさ」
こくりとフードの中に顔をうずめるラージ。
かけがえのないものを守る。大切なものを守る。それは……分かる。
「エディアールさんも言い方が少々厳しいだけで、気持ちは同じなのですよ。確かに……彼の言い分はあまりにも傲慢で独りよがりに聞こえるかもしれませんが」
冗談めかしてカインがそう言うと、少しはラージの気も晴れてくる。
「きっと、合流する頃にはエディアールさんにも分かっていただけると思いますよ」
「そうかもしれないね」
自信なさげな笑みを浮かべて、ラージは背を伸ばした。
出発前に積まなくてはならない荷を確認する仕事が残っているようだ。
「ああ、そうだ。カインさん」
最後の積み荷に紐をかけながら、思いつきが口を出た。
「神さまは……神さまだったらやっぱり、苦しいときに貴重な遺物を盗むことを咎めるだろうか?」
カインは微笑んだ。
「時間があるときに、ゆっくりとお話いたしましょう」
■Scene:補給隊、(2)
補給隊で唯一の女性であるラムリュアは、強い陽光を和らげようと愛用の薄紗を取り出した。
「道中の警護やら何やらは、すべて皆さまにお任せしますからね」
と微笑み、自らは隊の中ほどに位置どろうとする。
「もっとも安全な場所で女性は守られてしかるべきです」
カインが穏やかな笑みを浮かべ、しずしずと彼女の行く手を開けた。
「……ありがとうございます」
少々気後れしながらであったが、ラムリュアは、カインが紳士的に差し出す手を借りる。
姫君さながらの扱いは妙に落ち着かない。普段慣れていないのもあるが、何だか遠まわしに邪魔者扱いされているかのようだ……。
ラムリュアはそっとその考えを振り払った。思い込みにすぎない。彼はクレドやグロリアたちにも優しく振舞っていたではないか。
それに、とラムリュアは自身に言い聞かせた。
アダマスは、老若男女混成の調査隊に意味があるのだと言う。ならば自分も調査隊の中で、果たすべき役割があるはずだった。
ただ残念ながら、聖職者という明確な立ち位置を堅持しているカインに比べれば、自分のそれは未だふわふわと曖昧である。
「これまでどんなことをしてきたか、そしてこれからどうしたいと思っているか」
ラムリュアの思案に呼応したように聞こえてきたのは、シュシュの声だった。
顔をあげたラムリュアは、薄紗ごしに見つめていたカインと視線が合った。見透かされていそうだ、とラムリュアは視線を逸らし、カインのことは考えぬようにして、シュシュが声高に話している内容に集中した。
「……つまりそれって、普通にしていればいいってことだと思ったんだけど、俺」
どうかな、と疑問形で付け加えるシュシュ。
「そうさ」
うなずくアダマス。
「普段どおり、あんた方らしくあってくれればいい」
傍らにあってラージは、合点がいったとばかりに肯んずる。
「もしかして僕たちは実験体なんじゃないか?」
ラージが思いを口にした。
「実験体だって?」
道すがらも博物学者として熱心に記録を取り続けていたヨシュアが、手を休めてラージを見つめた。
他の者たちの談笑もふいに静まって、あたりは妙にしんとする。駱駝の歩みも止まった。
はっとしたラージが、言葉を続ける。
今、自分は注目を集めている。
「実験体って言葉が悪ければ、生贄? もっと駄目か。うーん、何と言ったらいいんだろう……」
「わかるよ泥棒君。おっしゃるとおりさ」
アダマスがラージの言葉を引き取った。
「でも、どうしてそう思ったんだね? 泥棒君」
我が意を得たと、ラージはその思うところを説明する。
「とくに共通点のない寄せ集めの旅人が採用されているのは何故だろうって考えていたんだ。でも僕たちが実験体なら納得できる。色々な条件の人を送り込んだほうが、データは採り易いものね」
ヨシュアがラージの言葉を書き記す。砂の上を風が吹き抜ける。さらにラージが続ける。
「《炎湧く泉》だとかその周辺地域の自然現象を記録するっていう目的にしても、本当のところは、僕たちが訪れたことによる現象を記録する感じなのかなって」
「そのとおりだ。ま、90点というところかな」
アダマスはいたずらっぽく笑った。その表情には皮肉めいたものはなく、聡明さを称えているようだ。
「えっ、90点?」
思わぬ返答にラージは面食らった。
「……それじゃ、雇い主としてアダマスさんはどうなったら満足なわけ?」
シュシュが問い返す。
ラージと同様に、自分たちこそ実験体ではないかと考えていた彼は、アダマスの返答に拍子抜けしているところだ。《精秘薬商会》の店頭で実験体を募ってもこれだけの人数を集められはしないだろうから、募集時に内緒にしていたのも当然なのだろう。
よしんば実験体として集められたのであっても、シュシュは「仕事」として受け入れることができる。
だが他の者にとってはどうだろうか? 言い方によって怒り出す者、仕事を下りると言い出す者がいてもおかしくはない。
だから、とシュシュはさっき思ったのだ。
アダマスの立場で考えると、実験体であることは可能な限り伏せておきそうなものだけどな、と。
そして同時に、実験体としては何を求められているのだろうか、と。
「何かの条件が整った奴が、《炎湧く泉》で何か鍵っぽいことをすると、何かの封印が解かれて………みたいなことを期待しているとか?」
「そうだねえ」
アダマスは宙に視線を浮かべ、しばしの後、こう答えた。
「そういうのは学者のお嬢さんに任せておいて、我々はのんびりと温泉旅行と洒落込みたいんだがねえ」
そう聞いて、シュシュは不思議そうに尋ねる。
「……そうもいかない事情とか、あるわけ?」
「ま、人にはいろいろ事情があるのだよ。剣士君」
この話はそこでなんとなくきりあがったが、盾父とのやりとりは、一行にひとつの謎を与えた格好となった。
すなわち、実験体とは何なのか。自分たちは、何を期待されているのか。
シュシュはご機嫌なアダマスを隣に見て、また尋ねてみよう、どうせ時間はたっぷりあるんだし、と思った。
■Scene:補給隊、(3)
補給隊はつつがなく《砂百合の谷》を目指し、翌日には目的地に着くというところまで進んでいる。
行き交う隊商にも不安な顔はなく、いかにも平和な世の中の道中であった。
隊商と出会うたびに、必ずラムリュアは「若い女性学者を見かけなかったか」と尋ねていたのだが、ミルドレッドらしき女性の話は聞けず、先ほども首を横に振られたものだったのだ。
自分でも無駄足だろうと思ってはいるのだが、道中何もしないでいられるほどラムリュアは強くない。こんなときは、他人の事など何処吹く風、と飄々としていた放浪人リュートを小憎らしくも思い出す。まあそれはラムリュアの八つ当たりなのだけれど。
「仕方ありませんよ」
何やら察したらしきリュシアンが声をかける。
「ミルドレッドさんは私たちに先行していること7日間。《砂百合の谷》を経由していったとしても、すでに《炎湧く泉》に到着しているはずなのですから」
「そうですね、向こうで合流できるといいのですが」
ミルドレッドのことを気にかけている風を崩さぬラムリュアに、リュシアンは別の話を持ちかけた。
「そういえば先ほどから、風にわずかな水の香りがするんですよ」
ラムリュアはそう言われて、そっと目を閉じた。
青みがかった黒髪は、腰のあたりを吹く風に揺らされるが、リュシアンはラムリュアよりも水の気配に敏感なようで、彼がいうほどの水の香りは、まだラムリュアには感じられない。
「オアシスが近いということなのでしょうね。いよいよ今夜は《砂百合の谷》でゆっくりできるのですね」
「クレドさんやグロリアさんも、温泉で休むことができれば良かったのでしょうけれど」
相変わらずリュシアンは、先発隊で子どもたちがどのように過ごしているだろうかと思案しているようで、逆にラムリュアは微笑んでしまう。自分がミルドレッドを気にかけているのと同じだ、と思ったのだ。
先ほどのお返しに、軽くこんなことを言う。
「でも子どもなら、温泉よりも冒険のほうを好むものでしょう? あの子たちもきっとそうじゃないかしら?」
「うーん。やっぱりそうか。カインさんにも同じことを言われましたよ」
「でしょう?」
「先発隊にはエディアール氏もいらっしゃることですし、私が向こうの心配をしても詮無いことですね」
苦笑いを浮かべるリュシアンであった。
その夜、ふと手遊びに占い札を開いたラムリュア。
託したのはこの調査隊の行く末である。伏せて束ねた札山から一枚抜き取り、表に返すと、それは太陽のカードであった。
太陽は苦手だ、と思った。澄んだ青空は好きだけれど、眩しく輝く太陽には目を向けられない。
自分の気質は自分が一番知っている。例えばクレドやシュシュのように、日の光の下で遊ぶような子ではなかった。長じても朝はゆっくり過ごし、午後から夜の時間を、学者相手の占いや癒しに充てていた。
太陽という暗示について、しばらく考え込むラムリュアだった。
■Scene:補給隊、(4)
行く手に、小高い丘が見えてきた。
丘は近づくにつれ、次第にその全貌をあらわにする。道は下り。
丘と見えたのは巨大な切り立つ岩盤の上部分だった。巨大な岩が砂漠に楔となって打ち込まれた形で、二つに割け、その裂け目に向かって道が続いているのである。道の両脇はそれゆえ、砂ではなく、古代の縞模様がとりどりに重なり刻まれた岩壁であった。風に運ばれた砂が岩の露出部を多い、ために丘に見えたもののようである。
「すっげー。何これ、何これ!」
ヨシュアとシュシュはこの景色にすっかり興奮している。
「随分変わった地形ですね。珍しい」
リュシアンもほうと息をつき、興味深そうに岩壁に触れた。建築家としてこのような光景はまさに眼福といえる。
「古代の地層のように見えますね。ふむ……ミルドレッドさんがここを訪れたのだとしたら、《竜王》の目覚まし時計の話も、あながち荒唐無稽ではないのではありませんか、盾父」
「そう? まあ、訪れているだろうとは思うがね」
素っ気無いアダマスとは対照的に、シュシュが首を突っ込んだ。
「それ! その話もっと聞かせてくれよ。《竜王》とか《魔獣》の話」
「北方の地で《竜王》が姿を消した話ならよくある伝説だ。劇にだってなってるし。ほら何と言ったかね、有名な……旅団も上演していたよ」
有名だけに、演劇を見たことはなくても、皆あらすじ程度は知っている物語だ。
いわゆる騎士の魔物退治で、たいていその舞台は《大陸》の最北とされる小国であった。その地域には竜の伝説が数多く残っていて、ほんの数十年ほど前には、実際に竜が空を飛ぶ姿も見られたのだという。
もう一方の《魔獣》について、シュシュが思い浮かべるのは、小さい頃神殿で聞かされた物語だった。三柱の兄弟神はかつて、銀色の獣を連れた金色の魔女と長き戦いを砂漠で繰り広げたのである。
「そういえば、その伝説の舞台となったのも砂漠だったねえ」
アダマスはひとしきり顎をなでた。
「だがそれは《神の教卓》ではないよ。《忘却の砂漠》といって……別の場所さ」
「なんだ、そっかあ」
口ぶりに反してシュシュはそれほど落胆しているようには見えない。
「《竜王》にせよ《魔獣》にせよ、強大な力を持った存在がいても、まあ、これだけ広けりゃおかしくはないが。もし仮にそうだとすると、《聖地》の大神殿も大慌てで守護団を送り込むことだろうな。《学院》も嘴を突っ込むだろうし……イヤだねえ」
「ミルドレッドさんの研究次第ではその可能性もあるんじゃないのか?」
ラージが口を挟んだ。
「お嬢さんの研究成果が出れば、だがね」
アダマスが言うには、表向き《聖地》と仲良く交流を進めたい《学院》にしてみれば、ミルドレッドの研究自体が非常に危なっかしいものであるという。
ミルドレッドの仮説どおり《竜王》あるいは《魔獣》が存在していた場合、《学院》は自らがその発見者であるとして研究する権利を主張するだろう。だが同時に、《大陸》全土にとっての危機でもある。《竜王》あるいは《魔獣》が目覚め、統一王朝に敵対したとしたら? 《聖地》は万難を排すべく、もっとも被害が少ない方法で、《大陸》すなわち統一王朝の危機を回避しようとするだろう。
「……それが、アダマスのおっさんってわけか?」
クオンテのハスキーな声が、胡乱そうに響く。
「どうだ、格好いいだろう」
胸を張るアダマス。
「……よく分かんねえや」
正直にシュシュが言う。
「なんでそんな面倒で危ないことするの? 《学院》だって、わざわざややこしいことしなくても、したい研究をすりゃいいんじゃないの?」
「だから、この前も教えただろう、剣士君。人にはいろいろと、事情というものがあるのだよ」
一行は駱駝を引き連れて、坂道を下り終えた。途端、むっと湿気を含んだ風が肌をなでる。
見上げると、岩壁に切り取られて空が遠い。
ここが目的地である《砂百合の谷》であった。
■Scene:《砂百合の谷》(1)
ほかほかと湯気をたてたお湯が、目の前を川となって流れている。
谷間から吹き出す源泉は火傷せんばかりの熱湯だ。熱湯そのままでは使うすべがないので、川のように流しつつ温度を下げて、適温になったところで隊商入浴自由の共同浴場に引っ張っていくのだという。
共同とはいえ馬鹿にしたものではない。
岩壁を大きくくり抜いて柱と半円の屋根をつくり、外からではまるで神殿建築である。
目立つ建物はこの神殿風浴場のみ。あとは湯気をたてる川の周辺に石造りの低いベンチが並んでいる他、川からお湯を引き込んだ東屋は、自由に出入りできる足湯である。
神殿風浴場の中は源泉の熱気を利用したカラカラ浴場、いわゆるサウナということであった。肩までしっかりお湯につかりたい向きには、衝立で男女仕切られた露天風呂がその脇にある。
ラハを目指す隊商、あるいはラハからやってきた隊商がいくたりも、ほっとした表情でベンチに体を休めているさまは、パルナッソスよりもよほど活気に溢れている。
「おわー、温泉だー!」
諸手を広げてシュシュがはしゃぐ。
「泳ぎたいなあ!」
南方育ちの常なのか、大量の水を前にすると泳がねばならないという強迫観念に襲われるシュシュである。
サンダルはすでに脱ぎ捨てられていて、隊商の人々が旅づかれた足先を温めている足湯にばしゃばしゃと入っていく。さすがに浅いので、全身浸かるわけにはいかない。
「おーい、気持ちいいぞうー。なあ、来てみろよ!」
シュシュはサンダルをぶんぶんと振り回して叫んだ。
「んじゃ俺も!」
急かされるようにクオンテがシュシュの後へと続いた。
「逸る気持ちはわかりますが、他の方のことも考えて迷惑にならないように」
ガキ大将二人といったクオンテたちの様子を見て、思わずカインがたしなめる。
シュシュは肩をすくめて舌を出した。カインには背を向けているので、その表情はわからない。
「俺、カインさんといると小さい頃育った神殿のこと思い出しちゃうな」
膝下までお湯に浸かり、雫を遠くへ跳ね飛ばす。
「聖職者志望だった訳じゃねえんだろ?」
「まさかあ」
シュシュは屈託なく笑った。
「神殿の慈善事業で、戦災孤児を引き取ってただけだよ」
ふうん、とクオンテは吐息を落とした。お湯の表面がゆらゆら揺れて、南方系のよく似た二人の顔立ちを映していた。
「クレドたちと似たようなモンだな」
「そうそう。でもさ、カインさんみたいに……なんていうかな。優しいっていうか、聖職者らしい人って、そこにはいなかったからさ」
「返って思い出すんだろ。……まあカインって奴は、変わってるよなあ」
そう呟いた後、クオンテは、人のことは言えないかもしれないと思って口をつぐんだ。
「俺もそう思う。どうしてだろうね? 俺のいた孤児院の神官なんて、事あるごとに“神のため”“神のため”って言ってた」
「それは、奴も言ってたぞ。たいていの神官の決まり文句じゃねえか」
クオンテは、カインがクレドたちにかけていた言葉を思い出し、その次に、祭祀の家に出入りしていた神官のことを思い出した。
「そうなんだけどさ。でも普通はもっと単純でさ……」
シュシュはやがて口ごもり、いいや、と話を打ち切った。
「カインさんの文句を言ってるんじゃないんだ。でも俺、うまく言えないや」
理想の聖職者。完璧すぎる。そのことに対する漠然とした「なぜ?」を表せなくて、シュシュは結い上げた真鍮色のくせっ毛を掻いた。不安や不満じゃない。理想を追いすぎているような、そんな気がしたことをどう伝えればいいのだろう?
「……おめー、すげえな」
クオンテはなんとなくシュシュの言わんとしたことを理解した。そして抱いた感想がこの一言であった。
自分も率直な物言いをする性質であるが、シュシュは。
出会った人間に対して訳隔てなく、正面からぶつかろうとする。
「え?」
シュシュは何を褒められたのか判らず、クオンテの深緑の瞳を見上げている。
「砂百合って、コレのことだよなー、きっと!」
ヨシュアの目に飛び込んだのは、白紫色をした釣鐘型の花。鈴なりになって谷を埋め尽くしている。鈴蘭をやや大ぶりにしたような植物だ。ブーツの中ほどの高さに咲き並ぶ釣鐘が、いっせいに風に揺れるさまは目にも美しい。
「厳しい気候に適応して、この谷に自生しているのさ。サボテンの代わりにね」
砂百合の一本を手折ってアダマスが答える。
「綺麗だなあ」
「夜になるともっと美しいんですって。楽しみね」
ラムリュアが、商人のひとりから聞いた話を披露する。
「よし。水汲みを早いところ終わらせようじゃないか」
アダマスが言うのに否やを唱える者は誰もいない。
ようやく力仕事の出番だとばかりに、張り切ってクオンテやラージが水汲み作業に精を出す。水瓶はすぐに満たされて、あっけなかったくらいである。
ヨシュアもてきぱきと手伝った。その作業のついでに、あたりの砂や水を記録と称して採取する。
「味も、普通の水っぽいな」
一口舐めてみた感想だ。
「そりゃあ、そうだろう」
しゃがみこんで砂を寄せているヨシュアを見て、ラージは変な奴、と眉根を寄せる。
「もしも、ここのオアシスの水にだけ特別な薬効があるんなら、今頃ここらにも《精秘薬商会》の窓口が出来ているに違いないじゃないか」
■Scene:《砂百合の谷》(2)
「オアシスの中でもお湯がこんこんと湧くのは、この《砂百合の谷》だけだ」
仕事を終えた一行に、どこからかアダマスは「大吟醸・極星」を取り出した。
「どうだ、一献」
「それでは遠慮なく、いただきましょう」
リュシアンが杯を受け取る。
「美味い。これは……なかなか」
「だろう? こういうのは外で飲むのが美味い。パルナッソスで飲んだってちっとも美味くないんだ」
したり顔でアダマスは、杯をあおるリュシアンを眺める。
「わかります」
リュシアンは元々美味しい酒と食事があれば多少の不自由もかまわないと思っている。とりわけ、旅先でその土地が育んだ料理を味わうことを、何よりの楽しみとしていた。
貴族の家に育ったので、他人に比べて口は肥えているほうだと自分でも思う。
「ソレスね、思い出したよ。たしかに建築家の一族だったな」
そういってアダマスは、ソレス家の手による著名な建築をいくつか挙げる。水との調和を活かした神殿や、水に映る様が非常に美しいと称えられる橋など、いずれも水との関わりが深いものばかりだ。
旅人たちの中でも、諸国を旅していたり、興味がある者ならば噂を聞いたことがあった。
「祖父や父の手によるものなんですよ」
「水に親しい一族なのか?」
ヨシュアが目を輝かせる。リュシアンは答えて、先祖が大昔に水の精霊と仲が良かったらしいという話をする。
ラムリュアも合点がいった。
「水の気配を感じることができると言っていたものね」
「けれども、私はまだまだ勉強中の身ですからね。お恥ずかしい」
謙遜ではなく、自分はソレス家の名を継ぐには早いと感じている。しかし、このような遠方の地にあって、自分の一族を知る人間に会えるのは嬉しいものだ。酒の美味しさにも増して、不思議な出会いの縁を感じる。
「握手して!」
ヨシュアがそう言って、答えを待たずにリュシアンの手を握りしめる。将来像を勝手に想像するうちに、いてもたってもいられなくなったものらしい。
「なるほど。そのうち、年若い建築家君の手による立派な神殿が建つということだね?」
「いつになるかはわかりませんよ、盾父殿」
「何。あんたも知ってのとおり、パルナッソスの神殿は相当ボロだ。崩れる前に一つお願いしたい。さて、そちらは……」
アダマスが次に酒瓶の口を向けた相手は、カイン。
「下戸なら無理には勧めんが、聖職者というのは理由にはならんからな」
「盾父が勧めてくださるものを、どうして拒めましょうか」
聖なるものを享けた時のような真面目な面持ちで、一口、杯に口をつける。
「カイン君、わかっているねえ。頭の固い神官の中には、酒は感覚を鈍らせるという連中もいるがね、私はそうは思わない」
カインにそう言ってアダマスは自分の杯を干した。
「当然飲みすぎはよくないが、飲む前から、飲みすぎた時のことを心配しても始まらんからね。そうじゃないか?」
「盾父は……」
両手で杯を弄びながら、カインは尋ねた。
「盾父はなぜ、第24教区へ?」
統一王朝ルーンが《聖地》アストラを保護下に置いてから十余年。
《大陸》諸国は統一王を神代復活の象徴として仰ぎつつ、緩やかな共同体として神なき平和の時代を謳歌している。
統一王朝復活以前、《聖地》アストラの大神殿に仕え、神のしもべの剣であり盾であった騎士たちの集団――神殿騎士団。統一王朝復活において多大な功績が認められたことから、彼らは発展的に統一王朝の守護、すなわち“聖騎士団”となった。この功績とは、《聖地》にあった統一王のための玉座まで、王を導いたことによるという。
以降、兄弟神信仰の枠組みの中で存在していた武力が、正しく政治と結びつき、統一王朝の持つ武力として《大陸》に君臨するようになった。逆に、統一王朝からみれば、玉座に許された統一王そのひとと《王都》アンデュイル以外に実体を持たぬ象徴的存在であったのを、兄弟神信仰という精神的意味での支配力までも得たことになる。
聖騎士団領第24教区。
パルナッソスの正式名称からは、聖騎士団すなわち統一王朝が、パルナッソスを要衝と位置づけていることが伺える。
そのあたりの事情を、そしてアダマスの信仰についても、カインは詳しく知りたかった。
「私は退屈が大嫌いでね」
アダマスはカインの質問をはぐらかすように言った。
「聖騎士団領が実際のところいくつあるのか、知っているかね?」
「……いいえ」
「当然だ。数は明かされていないし、聖騎士団員にも知らされてはいない」
意地悪をしたんじゃないよ、とアダマスは前置きして続けた。
一説では、聖騎士団領の数は百以上とも言われているという。
「それでも十箇所は回らされたかな。そのあげくにパルナッソスへ来ることになった」
「そりゃまたどうしてだ?」
ついクオンテが口を挟む。統一王朝復活以降の話に限ったとして、十余年で十箇所以上の教区を点々としているとなると、普通ではなさそうだ。
「どう考えてもパルナッソスより、他のところのほうが退屈しなさそうに思えるんだが……もちろん勝手な想像だけども、さ」
「おっしゃるとおりさ」
にやりと笑い、アダマスはクオンテにも酒を注いだ。
「教区長といっても所詮、大神殿から派遣されてきているだけだからな。統一王の機嫌を損ねるようなことになったら、即、これさ」
と、首元で手を動かしてみせる。
「あんた、何かしでかしたのかよ?」
思わぬ不穏な話に、クオンテはわずかに身を引き、アダマスを見つめた。
「ははは。ひとつところに長居はできないようにできているらしい。おかげでパルナッソスなんぞに来ることもできたしな」
「得な性分か」
クオンテは酒を飲み干し、杯をひっくり返す。
「かもしれないねえ」
今は退屈はしていない、と言ってアダマスはまた皮肉っぽく笑った。
時は夕涼み。
大きな空一面の色合いが、刻一刻と美しくうつりかわってゆく。空色から、深い藍へ。そこに至る間の、日没の橙赤、薄紅、紫。砂漠もまたゆるやかな曲線のうちに光と影を宿し、空と同じ色を孕んで夜をまとってゆく。
砂百合の花のふくらみに、ぽつりぽつりと光が宿りはじめた。青白くほのかに透ける光。この地に住む蛍が、砂百合を好むためにこのように美しく、まるで花が光を抱いたように見えるのだ。
しばらく物思いにふけっていたカインが、口を開いた。
「盾父自身は、神に会ったことはおありでしょうか」
「神は細部に宿る」
もう半分ほどになってしまった酒瓶で、砂百合の茂みを示すアダマス。
「たとえ神々がもはや《大陸》に戻ってくることがなかろうとも……蛍を宿す砂百合のように、夜の帳が七色に空を塗り替えて行くように、そのすべてが神の遺物だ。私は日毎、神に触れている」
カインは身をこわばらせた。
もはや《大陸》に……そうなのだろうか? 預言はもはや成就しないのだろうか? 神々はもはや、我ら人の子のことなどお忘れになったのだろうか?
「――《大陸》に満ちるすべての争いがなくなったとき、再び地上に神々が降臨し、長い至福の時代が始まる」
ヨシュアが預言の言葉を繰り返した。
「神に会ったことはなくても、神の影を見つけられる限り、私は悲観的になるのは早計だと思っている……答えになったかね、カイン君」
「お言葉ですが盾父」
カインは蛍の光から目をそらすように天を仰いだ。
岩壁が視界の大半を遮り、夜空の星々はわずかに切り取られて見えた。
「それは預言の否定にも聞こえますよ」
「そんなことはない。これでも私は敬虔な《涙の盾》信徒だよ。神は存在すると言っただろう。預言成就に向けて、出来る範囲のことをやるだけさ。そしてその点において、私は統一王朝復活を喜んでいるよ」
アダマスはカインに二杯目の酒を注ぐ。
「何故でしょうか、盾父」
二杯目には口をつけず、カインはアダマスをじっと見据えた。
「統一王朝は、預言成就に向けていったいどんな策を講じているというのでしょう。私にはそれがもどかしく思えるのです」
抑えた口調ではあったものの、珍しくカインが心中を吐露している。
「……やれやれ。思わぬ神学論争になってしまったな」
アダマスは苦笑して肩を鳴らした。
「続きは今度にしようか」
そう言った視線の先には、転がっているシュシュの姿。温泉ではしゃいで満足したらしく、相変わらずの薄着姿で気持ちよさそうな寝息を立てていた。
■Scene:補給隊、再出発
早寝した分、シュシュの朝は早い。
朝告鳥が鳴くか鳴かないうちに寝床を這い出し、辺りをひとっ走りした後は愛用の剣を片手にいつものように朝の鍛錬に励む。あっちでティカやダージェと再会したら、相手を頼もう、などと考えながら、もう一周走り出そうとした時のことである。
「あれっ、ヨシュアだよな」
高台にヨシュアの姿を見つけた。何事だろうか、その場で足踏みしながら様子を見ていると。
ヨシュアは左手を宙に差し伸べて、聞き取れぬ言葉をささやいている。儀式めいた魔法のようだ。
もう一方の手で荷物の中から草で編んだ小箱を取り出すと、左手の掌にのせる。
「あ!」
思わずシュシュは声をあげた。
左手の先に、いつの間にか灰色の鳥が現れた。草の小箱を両足でつかんだかと思うと、高々と舞い上がる。
「うわ、すっげー!」
灰色の鳥が見えなくなるまで行く先を見つめていたヨシュアが、ふっと気づいて視線を落とすと、ぶんぶんと腕を振っているシュシュと目が合った。
「……あ」
「おはようヨシュア!」
「お、おはよう」
朝から元気一杯のシュシュを見て、ヨシュアはこの元気はどこから来るのだろう、と思った。
「ねえ、今の何? 何か鳥だったよな?」
「うん」
「何て鳥? あいつヨシュアの友だち?」
「友だちじゃないな。残念だけど……魔法で鳥の形をしていただけだよ」
それを聞いて、シュシュはまた驚いた。
「魔法! ヨシュアって魔法使いだったんだ?」
「そんな、別に珍しくもないじゃないか」
ヨシュアは、魔法使いのいったい何処がシュシュの琴線に触れたのか、と不思議そうな顔をする。
「それに俺は博物学者ってことにしてるから」
「あ。違うよ。ホラ、パルナッソスでアダマスの親父さんと話してたときも、いっぱい聞きまくってたし。俺も、世の中見たいこと知りたいことが多すぎてさー、自分ではヨシュアと似てるのかなってちょっと思ってたからさ」
それは、きっと似ているのだと思っていた。
だから鳥に託した手紙にも、シュシュのことを書いたりもした。
「……で、さっきの鳥だけど、何の魔法?」
「鳥の魔法。んーと、一言で言うと、故郷に手紙を送る魔法、ってところかな。ここまでの旅で書き溜めた記録類はいつも、ああして送り届けているんだ」
「へえー」
しばらく感心していたシュシュ。
「返事はどうするの? ヨシュアは旅して回ってるわけだろ? あの鳥、ヨシュアの居場所がわかるの?」
「返事は来ないんだ」
「ええ! そーなの?」
「だって……必要ないもの」
そう答えるヨシュアは、ひそかに自問する。
そうだろうか? 本当に、返事は必要ないのだろうか? 鳥の魔法は一方通行。そういうものだと理解して、これまで行ってきたけれど。
思い起こせば、第二の故郷であり鳥の辿りつく先である「魔女の家」を出てこの方、ヨシュアは一度も故郷に帰ったことはない。同様の使命を帯びた仲間たちも滅多に帰らないのを知っていたから、ヨシュアもそのようにしているだけなのだが。
「勿体ないなあ。せっかく、手紙を送ることができるのに返事がもらえないなんて。だってまるで、どっかの秘密組織みたいじゃないか」
「ひ、秘密組織……いや。そういうんじゃないから、俺んトコは」
そんな捉え方もあるのかと、逆に驚いたヨシュアは必死に否定する。
「や。いーよ別に、ヨシュアがどんなとこの生まれでもさ。ヨシュアはヨシュアで、変わんないわけだから」
「だから違うってば……」
シュシュの前向き思考が思わぬ方向に行くのを留められない、けれど彼の明るさに救われる気がするヨシュアである。
■Scene:補給隊、(5)
風が少し強くなってきた。
マントを巻きつけるようにして、一行は《砂百合の谷》を後にして、《炎湧く泉》を目指す。
水の補給、一行の体力、ともに充分である。
ほのぼのとした雰囲気が一変したのは、目指す方角に不思議な雲が現れてからであった。
オーロラのように輝く、幾筋もの雲。それらははっきりとした形を有して、砂漠にくっきりとした影を落とした。
「妙な雲だな」
最初にそれを認めたクオンテが呟く。
「吉兆ではありませんか?」
カインは心配することなどないといった口調だ。
「雲というには、妙にキラキラしてねぇか?」
クオンテの心がざわめいた。
「あんな雲、珍しいわ。パルナッソスから見たことがないもの」
ラムリュアはそう言って、マントの合わせを確かめた。こげ茶色の目を細め、不安そうに行く手を見やる。
アダマスが顔を上げ、そして表情を曇らせた。
「いかんな」
その言葉は、補給隊の面々が予想もしていなかったほど重く響いた。
「何? 何かの前触れなのか?」
はっとして、腰のものを確認するシュシュ。
「向こう、大丈夫でしょうか……」
「わからん。急いだほうがよいかもしれん」
アダマスの言葉に従い、補給隊は歩みを速める。しかしどう急いでも、目指す《炎湧く泉》にはあと一日の距離がある。
不安な気持ちを抱えたまま、補給隊一行はようやく《炎湧く泉》に到着する。
そのころには輝く雲は消え去っていた。
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