第3章 3.赤と銀
■Scene:赤と銀(1)
ミルドレッドは陰となる天幕に男手で運ばれている。
てきぱきとラムリュアが指示したこと、女性の介抱に妙に慣れているダージェがいたことで、天幕の中もとても手際よく整えられた。
「熱射病や熱中症になっているんじゃないかと思うわ」
専用に小さな水瓶を準備してもらい、《砂百合の谷》で汲んできた水を手元においておく。また、ラムリュアは手持ちの薄布の一枚を水に浸し、ミルドレッドの首のあたりにそっとかぶせた。
「体温をこうやって下げて。あとは……」
「ラムリュアサン。天幕の日よけはこんな感じでいい?」
「いいわ。ありがとう、ダル」
「任せてっ!」
「あのう、イーダさんとヨシュアさんが、お薬を……と」
パーピュアが袂にたんまり、薬包だの小瓶だのを詰め込んで戻ってくる。
「うん。どれか役に立つんじゃないかなってヨシュアさんと話していたんだけど」
「癒し手の方にも見てもらったほうがいいかと思って」
イーダとヨシュアは口々にそう言って、天幕の前でお店を広げ始める。
料理用やらお茶用やらで小分けにしていろいろイーダが持ち歩いていた中から、役に立ちそうな香草をヨシュアと選び出す。薬草学については専門家のヨシュアが舌を巻くくらい、イーダの厳選ぶりは的確だった。
「この実……珍しいグロウブロウじゃありませんか」
「ん、それかい? 前の店の常連だったおばあちゃんが、それを煎じたのが一番喉の痛いのに効くっていうからさ」
「黒菱金盞花の根っこなんて、よく持ってましたね」
「珍しいモノだったのかい? 山岳民族が採ってきてくれるんだよ。まあ、リディアの民がいない山じゃあんまり採れないみたいだけど。リディアの民が好む味は独特だよね。あ、そっちの瓶はええっと」
「まさか薔薇の精油」
「うちの支店ならどこだって扱ってる品じゃないか。別に珍しくないだろ?」
「いえいえミゼルド産といえば最高級品ですよ!」
「砂漠の気候で劣化しないようには注意してるんだけど、大丈夫だろ」
「問題ありませんよ。ちゃんと保管されているし、妙な沈殿もない」
双子の天使がにっこり微笑む紋章を瓶に見つけ、震えながらヨシュアが答える。
「よかった。それ、お茶に一滴垂らして飲むと、気分が晴れ晴れとしてくるよ。こう、遠くまで軽々と見晴るかすような……」
「そりゃあそうでしょう、イーダさんの品揃えには参りました」
イーダにしてみれば薬としてというより、日常の香辛料やお茶として持ち歩いていた品々だが、品揃えを褒められて嬉しくない商人などいない。
「どうぞ今後ともごひいきに!」
と笑顔で取引成立を喜んだのだった。ヨシュアとグロリアはイーダを散々質問攻めにした――山岳民族って何、とか、ミゼルドってどこにあるの、とか、精油の保管方法は、だとか――ふたりの気が済むまで延々と続いたが、イーダにとってはおつりのようなものである。
「手持ちの香油じゃ足りないかしらと思っていたけれど」
と、ラムリュアがくすりと微笑む。
「隣に《精秘薬商会》の臨時支店があることを、すっかり忘れてしまってたわ」
選び出された香草類に、ヨシュアの手持ちの薬草を加え、ラムリュアやパーピュアが好む状態の香りに調合する。
「アメジストは月の力を帯びているんだってね」
ヨシュアは手元を覗き込むパーピュアに、乾燥した葉を取り出してみせる。
「それは?」
「ラベンダー。アメジストと相性がいいって説があるらしいんだけど……こっちの月見スミレとどっちの香りが好き?」
パーピュアは片手に一枚ずつ香葉をとって、何回も何回も繰り返し試香してみる。
「う〜ん……」
悩む。実は決めることがあまり得意ではない。
「あ、いいよ。二種類作っておくから。好きなほう使って」
「そんな、いいんですか?」
「だって」
ヨシュアはごりごりと香草を砕く手を止めて、ふわっと笑った。
「俺、彼女を癒すことはできないから。こんくらいしか力になれないもんね」
■Scene:赤と銀(2)
レディルがミルドレッドの元を訪れる。
「様子はどうだい?」
控えめに尋ねるレディル。もちろんミルドレッドの容態のことだ。
目を伏せてミルドレッドの手を握っているパーピュアを横目に、うーんとダージェは答える。
「落ち着いてはいるみたいだよ。ずうっと眠ってる」
「……ええ。肉体的な疲れを癒している段階なのでしょう」
パーピュアの声は相変わらず落ち着いている。
「回復に向かっていると思いますよ」
「ならよかった……なあ。何だかここ、変わった匂いがしねーか?」
天幕を覗いたレディルは、ふんふんと鼻を動かした。
「薬草だって」
ダージェがミルドレッドの枕元を示す。乾いた色をした草葉が小さな器に載せられている。
同じものがもう一つ、天幕の中の邪魔にならぬ場所に置かれていた。
「誰のだい?」
「イーダとヨシュアの持っていた葉っぱ。上手く混ぜて使えるんだって」
グロリアは得意げにそう教える。
物珍しげにレディルは顔を近づけ、くん、とその香りを確かめた。
「いい香りでしょ?」
「飴色になった木製の神像なんか、こんな香りがすることがあるぞ。ま、よっぽど気を配って保管しとかねーと、黴ちまって香りも何もねーんだけどな。特に香木だと虫もつきやすいし、湿気は大敵だし。その分神秘的な香りが漂う像ってのは何ともいえずいいモンだけど……」
「……レディルにも効果があるみたいね、この薬草」
グロリアはくすっといたずらっぽく笑って青年を見上げた。骨董品のこととなると饒舌になるのがおかしかった。
「で、何の効果だって? 気付け薬みたいなもんか?」
「私たちのために、準備してくださったのです」
ゆっくりと目を開いてパーピュアが答えた。
厳しい環境のなかで病人に付き添う癒し手の負担を少しでも和らげようという、ヨシュアの心遣いだ。
本来は煎じて飲むことで長時間の集中を助ける効果があるといい、パーピュアとラムリュア、ふたりの癒し手の気力を慮ったものであった。
もちろんレディルは、香木に似た香りに惹かれてやって来たわけではない。
「ミルドレッドサンの荷物? そこに置いてあるので全部だけど……」
「俺、彼女の荷物を“遠見”してみようと思ってさ」
レディルの脳裏に蘇るのは、黒曜石のナイフが抱いていた思念。
悪いものではなさそうだけれど、近づいてはいけないようにも思わせられた。黒い雲の中にぽつんと光る星。レディルが今まで触れてきたお宝の中では珍しい部類にあたる。
人の手で作られた骨董品は、持ち主を転々と変えるか、どこかでひっそりと眠り続けるか、いずれにしても長い時間の果てにさまざまな想いを宿すようになる。骨董品がレディルを呼ぶのか、それともレディルが骨董品の想いに感応するのか。レディルが読むことができるのは、決まってとても古い品々が持つ記憶に限られていた。作られた時代が古いものほど強い思念を帯びている骨董品というわけだ。あるいは、積もり積もった記憶が膨大であるほど、レディルが受け止めやすい形になるのだろうか。
レディルはくすんだ金髪をかきあげると、眠ったままのミルドレッドにぺこりとお辞儀した。
「本当なら、眠っている間にこういうことをやっちゃいけないのかもしれねーけど。あんたの受けた傷の手がかりが見つかるかもしれないってことで、許してくれよな。ミルドレッドさん」
と、眠っているとはいえきちんとミルドレッドに許しを請うレディル。元来生真面目な性質なのだ。
パーピュアはミルドレッドの手をそっと握ったまま、レディルがひとつひとつ学者の持ち物を検分する様子を眺めた。
彼の“遠見”についてはパーピュアも興味があったのだ。《精秘薬商会》ではたまたま彼が受け止めた負の想いを昇華したけれど、例の黒曜石のナイフをレディルが“遠見”した話を聞いた際、パーピュアは自分の力との共通点のようなものを感じたのだった。
「飾り帯のついた剣……。聖印と、箱がひとつ」
金色の鍵がついた聖印は、三柱の兄弟神のひとり《愁いの砦》なる女神のしるしである。
「ミルドレッドサンも神官なのカナ?」
「どうだろ。本人に聞くのが一番早いんだろうけど、アダマスさんの話を聞く限りじゃ違うように思えるけどなー」
レディルはそういいながら、剣を静かに抜いてみる。
「あっ」
黒々と艶めいた刀身が誘うようにレディルの目に映る。
「もしかして、黒曜石?」
グロリアが声を弾ませる。
「いや……違うな。これは模造品だよ」
さすがに骨董品を相手にしている時間のほうが人間と話す時間よりも長いレディルである。すぐに剣の材質が黒曜石ではないと見抜いた。剣を持ち替え、ひっくり返し、レディルは楽しげに確かめている。
「黒曜石に似せてあるだけだ」
「なあんだ」
「でも、待って。剣のほうからは何も見えてこないけど、この飾り帯のついた鞘は本物っぽいぞ」
剣を眺めていた時間の倍以上かけて、飾り帯と鞘を覗き込むレディル。
「飾り帯に本物偽物なんて、あるの?」
「ごめん。言い方が違ったよグロリアちゃん」
レディルが訂正して言うには、
「飾り帯は骨董品としての価値がある。模造品の剣は、帯と鞘に釣り合うように後から作られたものみたいだ」
ということである。
「わざわざ黒い剣をあつらえているんですか。アダマスさんのナイフとも何か関係ありそうですね〜」
「そうかもな。《炎湧く泉》を目指すミルドレッドさんとアダマスさんが似たようなものを持ってるって、何かお宝っぽい感じがする」
「でもミルドレッドサンがわざわざ剣を作って持ちあるいたりするかなあ? だって彼女、とても剣士には見えないよ?」
ダージェが剣士らしい意見を述べる。
「だから、そこがお宝っぽいんじゃないか。いかにも何か大切な役割がありそうに見えるだろ」
「えー? そうかなあ……」
ダージェにとっては、レディルのお宝に対する価値観は理解しづらいようである。
ともかくレディルは飾り帯を“遠見”する。その佇まいにほれぼれとしながらも、今度はナイフを見た際のように衝撃を受けまいと身構えつつ、記憶を読み取ろうと目を閉じた。
■Scene:赤と銀(3)
「ああ……」
吐息が思わず漏れる。
パーピュアもミルドレッドの手を握ったまま祈るように目を伏せる。
「炎」
いつもより一層低い声でレディルは呟いた。受け止めた記憶を言葉にするのがもどかしい。
「暗く燃えている。次第に弱くなって、剣が……炎を切り刻んでる」
火の精霊というのは、例えばこんな姿をしているのだろうかとレディルは想う。しかしそれは火の精霊が剣に屈する姿であった。
鞘から迸る暗い炎がレディルの顔を照らしたのをダージェは見たと思った。錯覚だった。しかしレディルは熱そうに顔を歪めている。骨董品の記憶と一体になるほどのめりこんでいるようだ。
その時、レディルはまさに骨董品の記憶につき動かされているような感覚を味わっていた。
アダマスのナイフを見たときよりも明晰に見えたのは、ヨシュアの薬草が精神力を高めたおかげであったと後になって気づいた。しかし“遠見”の最中には、手を伸ばせるほどの距離で目まぐるしく移り変わる記憶についていくだけでレディルは精一杯だった。
「炎が散って、消えてしまった……剣が収められる。この、鞘だ」
頭上にはいつ昇ったものか、まばゆく光る星がひとつ。
その星に照らされて、次第にあたりは冷えていく。少しずつ、少しずつ……。
レディルが我に返ると、かちかちと歯がなっている。寒気がした。しかも気づかぬうちに衣服は汗みずくであった。
「ちょっと、大丈夫?」
さらに驚いたことには、いつの間にかラムリュアが天幕の中にいてレディルの汗をぬぐっている。
「身体が冷えちゃってるわ」
「あ……」
自分がラハの主人のお屋敷にいるのか、どこにいるのか分からなくなって、レディルはそれきり言葉を続けられなくなった。
無意識のうちにお守りの小石を探る。混乱したのはほんの一瞬だった。
レディルは自分が見たもののことをそっと語った。
「そんなの、見えちゃうの? ……あわ。ごめんなさい」
グロリアがびっくりして大きな声をあげかける。
傍からは目を閉じているとしか分からない人間の内側で、いろいろな力がいろいろな方法で発揮されている――フートやラムリュア、パーピュアもそういった力を持つ者たちだ――ということが、やはり不思議でならない。
「何なのでしょう、その光景は」
ほんの少し眉根を寄せて、パーピュアは呟いた。
「剣が作られたときの記憶かなあ……儀式とか」
レディルは眠り続けるミルドレッドに視線を落とす。
「ぎ、儀式ー? やだなあ、ミルドレッドサンがそんなのに関わってるんだったら可哀想だよ」
ダージェはふるふると首を横に振った。
「ミルドレッドさんは見えなかった。だから、俺が見たのは、彼女が飾り帯を手に入れる前のことじゃねーかと思う」
レディルの小さな呟きを聞いていたかのように、ミルドレッドは胸を上下させ、穏やかな寝息のまま寝返りをうった。
「今度は私もやってみるわ。体力がかなり回復してきているからそろそろできるでしょう」
「やってみるって、何をやるつもりさ?」
「眠ったままのミルドレッドさんに尋ねてみるの」
その答えを聞いてもレディルは合点のゆかぬ顔をしたままだったので、ラムリュアはさらに説明を付け足した。
「あんたには言ったことなかったかしら。私の精霊の話」
「占いを手伝ってくれるんだったか、そいつ」
「それもあるけど」
考えてみれば骨董品管理人の青年とは、ラハの《精秘薬商会》で度々顔を会わせていた仲であったが、ひとつのことに協力しあうのは初めてなのだ。
意外に相手を知らないものね、とラムリュアは思った。口も利かぬだろうと思っていたカインにはなぜか占いを頼まれ、その成り行きで精霊の話までしたというのに。
「ちょい待って」
呼吸を整えているラムリュアを遮って、レディルは小箱を手に取った。ミルドレッドの持ち物のひとつだ。
「こっちも見てみなきゃ。当然だろ」
「レディル……あんた、楽しんでるでしょう」
「あ、開かねー」
ちょっとした細工になっているらしく、少し力を入れたくらいでは小箱は容易に開かない。お宝だと思うと、乱暴な扱いもできかねる。
「ラージにでも頼めばどう。きっと得意よ」
「うーん」
しばし首を捻りながら小箱に挑むレディルである。
■Scene:赤と銀(4)
「はい、コハク。そうそういい子〜。コラン、プル。こっちを向いてくださいね。はい、そうです〜」
パーピュアは休憩がてら、駱駝にあれこれと話しかけることにしていた。
今彼女が手にしているのは大きなブラシ。荷を下して身軽になった駱駝たちの背を、順番にきれいにしているのだった。桜の花びら模様がちりばめられた袖をからげて張り切っている。
「ルウもおいでなさい〜、もう。ルウはいつも最後ですねえ〜」
「何してんだよ、ピュア」
「ああ、ティカさん。調査のほうはいかがですか?」
立ち上がり、額ににじむ汗をぬぐう。紫色の瞳がまあるくなった。
「昼間っからそんな張り切って、だいじょーぶなのかよ? ピュア、昼間は弱いって言ってたろ」
口調は乱暴でもティカはティカなりに心配しているのである。
「でもここは日陰ですから〜」
「……もうとっくにお日さまは動いちゃってるよ。ホラ。キノコの影がどんどん短くなってる」
ティカは水瓶に立てかけられていた日傘を取り、ピュアに差してやる。
「無理すんなよー。ミルドレッドさんの面倒だけでも大変だろ? ミルドレッドさんは無理だけど、駱駝のことだったらおれも手伝えるんだからなっ」
ピュアを案じて口を尖らせるティカ。
日傘を受け取ったピュアは笑いながら、
「でも、駱駝たちのことは気分転換みたいなものですから〜」
と相変わらずの調子で答えた。
「気分転換?」
こくりとピュアはうなずいた。
「ラムさんと私、交替でミルドレッドさんの傍にいるでしょう?」
「ああ。ダージェが護衛だろ? 後はグロリアと、ヨシュアさんとかレディルさんとか」
「今はラムリュアさんが付き添ってくださっているんですけど……あの、変かもしれませんけど、声が聞こえるんです」
「声!」
ティカは目の色を変えた。
「アレか? あの幻覚で聞こえたって奴か? それともカッサンドラさんの声とかかっ!」
その掴みかからんばかりの勢いにピュアは少し驚いて――傍からはそうは見えないが――、違いますよう、とのんびり言った。
「じゃー何だよっ。紛らわしーこと言うなよなっ」
「石の声、なんです」
「石の……?」
さっき目の色が変わったばかりのティカだが、途端にすうっと目が細くなった。目に見えない、自分で感じ取れないものに対して腰が引けてしまうのはティカの性分なのだった。
「石ってピュアのアレ? あの変な宝石? アメジストのことか?」
危険を払う力があるのだと聞いた。でも肝心の《魔獣》相手では、効果がないということも。
日傘の影の下でピュアはまたうなずいて言った。
「アメジストがずうっと私に訴えているのがわかるんです。ミルドレッドさんの傍で、全力で彼女を癒しなさい、って」
「それって……いっつも?」
「はい、いつも」
「メシ食ってるときも?」
「はい、月の光を浴びて休んでいるときも」
それは困った、とティカは思った。
「慣れてはいるんですけどねえ〜」
くるくると日傘の柄を弄びピュアは首をかしげる。そんな自分の体質を、今さら不思議がるかのように。
「時々は他のことを考えてないと、私ももちませんから〜……あ。そうでした」
ピュアは、自分がかぶっていた編み帽子の花飾りを外し、金茶色をショートカットにしたティカの耳に添えた。
「な、何だよっ」
ティカ、花飾りなどというものを身につけたのは、生まれてはじめてである。
「贈り物ですよ〜」
「う、嬉しいけど、なんで花なんだよっ」
真っ赤になってティカは固まった。花飾りをつけている自分の姿を想像できないのであった。
ピュアはにこにこと微笑んでいる。
「私の我侭ですけれど。危ない目にティカさんが少しでも会わなくなりますように」
お守りのつもりである。
ピュアにとって大事な友だちであるティカだが、調査の折には自分から離れてしまうことのほうが多いだろう。せめても自分が身につけていたものを側に置いてくれれば。そう思っての花飾り、なのだが。
ティカはどうしたらいいかわからない。
とりあえずもごもごとお礼を言って、真っ赤になったまま自分の天幕に直行しようとした。
が。
それからしばらく、ティカは4頭の駱駝たちに花飾りを狙われ追いかけられることになる。
■Scene:赤と銀(5)
看病の手を、パーピュアと交替したラムリュアは、いよいよミルドレッドとの対話を試みる。
それは催眠療法と呼ばれるものによく似ていた。
ミルドレッド自身と話すのではない。彼女の側に寄りそう存在――カインに言わせれば神――から話を聞くつもりだ。
占いの場合は各種の絵札が媒介となるから、人ならぬものとのやりとりも行いやすいのだが、直接精霊との対話がどれほど可能なのか、ラムリュアも多少不安は残る。
何しろ精霊使いフートが話すようにはいかない。過去、わずかに学んだ知識と、以降仕事として目にしてきたさまざまな事例を元にするしかないのである。
眠っているミルドレッドの手を握る。反対側では、ダージェもまたミルドレッドの手を握り続けている。
香草の香りを胸いっぱいに吸い込んで、ラムリュアは静かに自分の内側を見つめた。
「どうか」
ダージェに聞こえるか聞こえないくらいの声で、ラムリュアは囁いた。
「応えて。このひととともに在る……霊よ」
ミルドレッドはすう、と寝息を止めた。
ラムリュアは自らに寄り添う存在が、ミルドレッドを抱きしめる様子を思い描き、囁きを続ける。
「私は、このひとを導く手助けをするわ」
許しを請うような囁き。
相手はミルドレッドか、その霊か。両方だとラムリュアは思った。
「聞こえているならば、ミルドレッドさん。応えて……」
ここから先は、相手が許してくれるかどうかしかない。ラムリュアは静かに、そのときを待った。
いい加減ダージェが我慢できず口を開こうとしたところに。
「……だ」
ミルドレッドの唇から言葉が漏れた。
「やだ……やだ……はなしてよう……はなして……」
ミルドレッドが呻いた。健やかな寝息とはうってかわって、身をよじりながらの言葉だった。
「おかあさん……おとうさあん……」
ダージェがラムリュアと顔を見合わせる。
「ラムリュアサン。この声は、ホントに……ミルドレッドサン?」
どうして、と目で問うラムリュアに、ダージェは再びミルドレッドの顔を見つめ、囁き返した。
「ボクが助けた時のミルドレッドサンよりも、ずいぶん幼い声なんだ」
少しさばさばしていて男勝りな雰囲気だったミルドレッド。
だが。今深い睡眠の中で発せられる言葉は、まるで幼児のように舌足らずのそれであった。
「やだ……つれていかないで……いや、こわい……」
「でも、霊は嘘はつかない」
ラムリュアは答える。フートが以前口にしたのと同じ言葉だ。
「ミルドレッドさんが子どもの頃のことが、引っかかっているのかもしれないわ」
空いているほうの手で薄布をはねあげ、ラムリュアはミルドレッドの口元に耳を寄せた。苦しげな叫びを聞き取ろうとする。
「ミルドレッドサン」
ダージェは彼女を握る手に力を込めた。彼女の中に入ることができれば、今ミルドレッドを苦しめる何者かと戦うことができるのに。今は側にいるしかない自分が無力で、何だか情けなく思えてくる。
「はなして……やだ……いたい……いやあ……」
幼いミルドレッドが何かに抵抗している姿が自然に思い浮かび、ラムリュアは急いでその想像を打ち消そうとした。
離して。嫌だ。痛い。嫌。
幼さが一層ラムリュアの耳に刺さる。幼い子どもは少し苦手だった。子どもが側にいない生活をしてきたからかもしれない。
「助けてあげるわ」
どうしたらよいか分からぬまま、ラムリュアの口がそう告げた。
おそらくはこれも、ラムリュアの霊が言わせたものかもしれない。
「きゃあっ」
突然の痛みにラムリュアは身体を折った。片目を覆う。燃える棒を目に突き立てられたと思った。
だがそれは一瞬のことだ。驚いたダージェがすぐにラムリュアの身体を支える。ラムリュアが感じたようには、ラムリュアの目は傷ついてはいなかった。
「どうしたの? 突然……」
「ううん。ありがと、ダル……」
自分の目を押さえていた手の平に、血糊も何も痕跡がないことをいぶかしみ、ラムリュアは呆然としてミルドレッドを見た。
ミルドレッドの呼吸は再び、深い眠りのそれに戻っている。
「ミルドレッドさんの目は赤と銀……」
「ウン。そうだよ。神秘的だよね」
ちょっと珍しい色であることは確かだ、とラムリュアは思った。
しかし……。
幼いミルドレッドの目を何者かが赤く染めたような出来事があったのだろうか?
だとしても、一体何のために。
すぐにラムリュアは思いついた。これは報告すべき事項だ。エディアールの意見を聞くべきだ。ミルドレッドが落ち着いたことを確認すると、心配するダージェを天幕に残し、すぐにエディアールの姿を探す。
「……というわけでした」
エディアールを探して彼に逐一報告し終えると、自分でもほっとしたのが分かった。肩の荷が下りたような安堵を覚える。ラムリュアは真っ直ぐアイスブルーの瞳を見上げていた。
「何より貴女に怪我がなくて良かった。いくら癒し手とはいえ、自分の身を自分で癒すのは困難だろう」
「そんなこと。皆さんに比べたら私に出来ることなど限られていますから」
じっとエディアールを見つめたままのラムリュア。彼の襟元に小さく光るバッジを見つけ、しばし目を留める。
「いや……怪我がなかったのは偶然と言うべきだ。ミルドレッドのことは貴女やパーピュアに任せてしまっているが、危険を冒してもらいたいのではない」
手袋の中の砂を払って、再び探検家は手袋を嵌めた。
「それはそれとして、この件は教区長殿へも急ぎ伝えておくべきだろうな」
隊長を補佐する立場らしくエディアールは情報共有を促した。
「わかりました。それでは盾父さまには次の食事の席にお話しておきましょう」
ふわりと微笑み、ラムリュアは視線を逸らした。両手で薄布を軽く押さえるようにエディアールの前を立ち去る。
しばし無言であったエディアール。やがて、彼の思考は、調べねばならない細々とした項目に埋め尽くされてゆく。