月がそろそろ真円に満ちようとする夜。
《星見の里》には、久方ぶりに冒険者たちが全員集合していた。わいわいと《白羊の集会所》が活気づく。
「うん、みんながなかなか帰ってこないから心配してたんだよ」
ツェットが洞窟探検組の労をねぎらい、何があったのか聞かせてくれとせがんだ。情報交換モードになった仲間たちのために、グリーン・リーフが人数分のお茶をいれた。
「無事で何よりですわ。ああ、これだけのカップを並べるのも久しぶり」
ポットの湯気と茶葉の香りを確認しながら、グリーンは幸せそうに微笑んだ。
「(どーせ俺のコト、いないほうが静かだとかっていってたんだろう)」
相変わらずひねた表情のアインにミルクを準備して、グリーンは、
「そんなことありませんわ。ツェットさん、心配なさってましたよ」
と黒猫の毛皮を撫でた。
そんな歌姫の姿をそっと垣間見るダグザには、彼女はどこか無理をしているように感じられた。見た目通りののほほんとしたお嬢さんではないような気はしていたけれども。表情が、変わったような気がする。
「ま、大人なんだしなあ。とやかくいうことじゃねえが」
「何だ、何の話?」
ついつい思考を口に出していたらしい。目の前にはルーファ=シルバーライニングが立っている。
「大人って、誰のことさ? ラステルとハースニール?」
ルーファは手にした小さなポットから、空になったダグザのティーカップに中身を注いだ。
「んー」
眉根に力を込めながら2杯目のカップを飲み干したダグザは、げほっと咳き込んだ。
「おい、いつから酒になったんだよっ」
「ツェットが入れたんだよ。こうやって飲むお茶があるんだってさ」
しれっとした顔のルーファは、さらにアーネスト・ガムラントとアゼル・アーシェアのカップにも、おかわりをついで回る。トリア・マークライニーが自分も、とルーファにカップを差し出している。フィーナ・サイトとサーチェスには、いつものハーブティーが注がれていた。
「……ったく、あの嬢ちゃんはよ。別々に飲む方が、絶対いいと思うぞ」
「そうか、ダグザは嫌いか? 俺は、なかなかいけると思ったがな」
甘党のシウス・ヴァルスは、この味が気に入ったらしい。ダグザの隣に腰をおろすと、それぞれに輪をつくって自分の考えを披露している仲間たちの様子に目をやる。
「ジャンの奴が、ここの酒はいけるっていってたからな。土産にするのもいいかなんて思ってるんだが、あいつ、どこにいったかな」
派手な衣装の商人の姿は、なぜかここにはない。
「なぁシウス、冗談抜きでどうするね。俺はもう、頭が限界だよ」
子供たちの前では見せない顔つきで、ダグザは問いかけた。
「アゼルとファーンがいってた、封印の話か」
「違う違う。そんなでっかい問題は専門外だよ。ラステルの話さ」
時間は少し遡る。洞窟組の一行は、ラステルを連れて里に帰還していた。《星見の民》全員が、彼らを出迎えた。この《里》に、こんなに人がいたのかと思うくらい十重二十重に囲まれる中、シウスは大切な預かりものをそっと里長に差し出した。
大きな半透明の球体。そのなかに包まれるように、自分を抱きしめるように縮こまった女性の姿が、時折思い出したように現れる。《獣の姫》ディリシエの、半ば気まぐれによって渡されたそれこそが、かつての《星見の姫》ラステルであった。
駆け寄ったイェティカがその半透明の壁を抱き、額をくっつけた。姉の存在を確かめるように。
「ねえさま。ねえさま」
その金色の瞳からとめどなくあふれた涙は、少女の頬と半透明の壁を伝って流れ落ち、砂漠の砂に吸い込まれていく。半透明の壁越しに、ラステルの頬にも涙が伝っているように見えた。
「生きておるのだな、ラステル。よう戻った」
里長は両手を胸にあて、天を仰いだ。
「もうこれ以上、民の命を失わせはしない」
その思いは、万極星に届いたかどうか。
ラステルを完全に目覚めさせるためには、心を連れ戻さなければならない。里長はうなずいた。
「確かに今のままほうっておけば、ラステルの身体もどんどん衰弱していくばかりのようじゃ」
《星見の里》の中心にそびえる塔の一室に、その球体はパレステロスの手でそっと運び込まれた。
「軽い」
パレスが漏らしたのは、その一言だけだった。
「ごくろうさんだったね、パレス」
里長は、球体の前にただ座り込むパレスに声をかけた。
冒険者たちは、準備ができたら明日、ラステルの《心》を助けにいくから、と彼らに伝えてその場を辞した。
「人の心の中は、どんな風なんだろうな」
「明日、か。ラステルを助け出しに……」
ふたりとも彼女を助けるために動こうと決めている。シウスは握った手を開いては、また握る。この手に先ほどまで預けられていた、女性の重み。重みというにはそれは軽すぎた。
「よーう、おふたりさん」
珍しく琵琶を手にしたアデルバード・クロイツェルが割り込んできた。
「ご機嫌だねバード」
「まぁね。ほら、もうそろそろ見えてきたじゃないか?今回のモロモロ。ラステルちゃんを助けて、《獣の姫》さんだっけ、あいつの目的がよからぬことならくいとめて、それで俺は《星見》をしてもらうんだからな。これでばんばんざいさ」
「当ててみせようか、バードパパのことだからな。当然ジェニーちゃんのことを占ってもらうんだろう?」
バードは、どっかとテーブルに尻を落として琵琶をぽろんとつまびき始める。
「どうなんだい、年頃の娘を持つ身としての意見が聞きたいね」
「あん?」
バードはその黒髪をかきあげると、きょとんとした顔でふたりを交互に見た。
「ジェニーが何を考えているかなんて、俺にはお見通しだ。あの子に関していえば、なぁ〜んにも、心配はしていない。親子の絆は無敵なんだ! 悪い虫なんてまだ早いからな!」
「ふん、それじゃあ《星見》で何をみてもらうんだよ?」
なははは、と笑みを固めたまま、バードは何も言わなかった。
シウスはいつも身につけている重装備を脱いで、身軽な格好になっていた。改めて眺めると、その赤銅色の肌には無数に傷が走っている。すごいな、と思ってルーファはシウスの筋肉を見ていた。と。
「そうそう、ルーファ、あの話だがな」
「何だよシウス」
機嫌がよさそうな師匠にとことことルーファは近づいて、彼のカップを満たした。
「ほら、いってただろう洞窟で。おまえが上から降ってきたときさ」
「ああ」
ルーファは口をへの字に曲げた。
「ああいうときはな、正直、どうしようもないさ。石灰は濡れちまうと使い物にならないし。ま、あの場面でできるのは、すぐにでも動けるように受け身をとろうとすることくらいさ」
彼は大きな手でルーファの茶色の髪をごしごしと撫でると、ルーファにも飲めとカップを渡す。ルーファはそれを飲み干してシウスの顔を見る。彼はにやりと不敵に笑っていた。次の瞬間、シウスの右手はルーファを殴っていた。
どんがらがっしゃん!
その勢いに、小柄な弟子は軽ーくふっとばされた。痛みよりも訳がわからないルーファは、今度は怒った顔のシウスを呆然と眺める。
「いいか! 無理はするなといっただろう! 今回は命に別状はなかったから良かったが、いつもそうとは限らないんだぞ!」
「……お、おいシウス……?」
声をかけたバードを片手で制し、尻もちをついているルーファを見下ろしてシウスはどなる。
「仲間がいるなら仲間に頼れ! そのための仲間だ。そのために、一緒にいるんだからな!」
いいたいことをいってすっきりすると、シウスはその手をルーファに差し出した。
「ほんとにもう、心配したんだぞ……おまえが無事で、よかった……」
アイリはほくほく顔で、ツェットとクロード・ベイルを前にして鍵を見せびらかしている。
「よーく見てみたんだが、傷ひとつついていない真金製だ。ほら、暗いところでもほのかにこれ自体発光してる」
「ほんとだぁ、それ高く売れるよきっと!」
「勿体ない、これを使ってあける扉を発見してからさ。見てな、神殿か洞窟か、どこかにきっと隠し部屋があるはずだ。そこには山のよーなお宝が待ってるんだ」
「へぇ! これ真金なの?」
クロードがすかさず彼女の手から鍵を拝借し、しげしげと眺めて言った。
「俺読んだことあるぞ、真金のお守りって恋のオマジナイになるんだろ? こないだ読んだ本に、『これでアナタもモテモテ』っていうのが載っててさぁ」
「こらガキ! 本を読むのはけっこうだけど、鵜呑みにすんな! 真金はオマジナイに使えるほど、そこら中にあるもんじゃないんだからな」
自分が石像から鍵を奪った時よりも素早いクロードの動きに唖然としたのもつかの間、すぐにアイリは大切な鍵を取り返す。
「違うの? これ持ってると突然ラブレターとかもらえるって書いてあったよ。靴箱の中に3通も入ってたって」
「あ、うちの店にも行商人がこのまえ来てたよ。フィヌエで大人気だって」
「砂漠のどこに靴箱があるんだい。この鍵は石のゴーレムが持ってたんだよ。誰がゴーレムにラブレターを書くんだ?」
それに恋愛成就なんて興味ないね 、と、本当に興味がなさそうな口調で付け加える。わかりやすい人だ、とクロードは思った。
「読む本は選んだ方がいいぞ」
アイリはくしゃ、っとクロードの髪をかき回した。
「恋愛に興味ない学者さまもいれば、恋愛沙汰で死んじゃいそうになるお姫さまもいる……」
ずず、と熱いお茶だかお酒だかを飲みながらトリアがつぶやいた。
「どっちかってと、興味ない人のほうが珍しいと思うけど」
お相手のジェニー・クロイツェルは、大の男二人にはさまれて、楽しげに琵琶を弾いている父親の姿に目をやりながら言った。
「ボク思うんだけど、バードおじさんって子離れしてないよね」
「あははは〜よく言われるわ」
肌身離さず持っている棒杖で、ぽんぽんと肩をたたきながらジェニーは答えた。
「魔法戦士で腕もたつ。琵琶っていう芸もある。甘いマスクでかなり若く見えるし、トークもいけてる……こりゃそのうちジェニーに新しいお母さんができるかもよ」
「さぁねえ、どうなのかしら。興味ないみたいよ、あんまり。あ、こんな身近にいたわね、興味ない人が」
「うそぉ、だって吟遊詩人ってモテるんじゃないの? ファーンなんて人気者だよー」
ファーン・スカイレイクが《星見の民》の、どっちかというとおばさんたちに人気があるのは有名な話であった。
「どこがいけないのかなーおじさん」
「お父さん、琵琶は本職じゃないしねー……トリアちゃんもさぁ、しっかりしてるって言われるでしょ」
いやー、とトリアは片手を頭の後ろにやり、帽子をかぶりなおす。
「そうでもないよ。でも気にしてるんだよね。ホラ、ウチのおっ師匠様ってけっこうイイ年だから自然とこうなったっていうか」
「トリアちゃんだったら、お父さんのことそういう対象になるー?」
「えー! いや、ならないよー。たぶん。おじさんだって、それはマズイでしょう。ジェニーは、うちのメンバーだったら誰が好み?」
「グリューンは、一筋だしねー」
少女たちの話題は果てしなく続いてゆく。
「ハースニールさんって、美形だったの?」
ルーファがポットのかわりにアインを片手にやってきて、その質問に答えを返した。
「おう! 聞いてきたぞ、そのハースニールのことっ」
螺旋階段の上で幻影を見てからというもの、ルーファのなかで《星見の姫》は今まで以上の存在になっている。里に戻ってくるなり、積極的に情報収集を始めていたのだった。アインはポットの中身を飲ませられたらしい。うぷ、とかうにゃあ、とかもごもごいっている。ルーファのテンションは奇妙に高かった。
「ラステルってね、優しい性格の穏やかな人だったんだけど病弱で、おこもりしたりしなきゃならない《星見の姫》にはならないだろうって言われてたんだって。なかなか《成人の儀式》も受けられなかったくらいだからね。だけど、そのときの《星見の姫》、ディリシエって人がいなくなってしまったために、本意ではなく即位したらしいんだ。まぁ姫の不在の後、儀式を受けたらイェティカのように、姫にされてたってことみたいだけど」
これは、里長に聞いた話だった。ルーファは幻影については、イェティカやパレスには告げていなかった。それは、ただでさえ複雑な事態に悩んでいる(らしい)彼らに、これ以上よけいな心配をかけたくないという配慮である。仲間たちにも口をつぐんでいたのだが、これはまた別の理由があった。
アインとふたりで見事に水路に落っこちたあと、ルーファはアインに問いただした。
「あれ、見たかい」
「(あれ、って、ラステルとハースニールってヒトのことか?)」
それを聞いた瞬間、ルーファはアインの脇に手を入れてくすぐった。息もたえだえの黒猫に凄む。
「いい? それ、みんなには内緒だからね」
「(くひゃひゃひゃにゃああああ!なっ、なんでだよお)」
「なんででも。戻ったら、里長んとこ言って聞くんだから!」
口止めしながらルーファはやっぱり、と思っていた。あの二人は、ラステルとハースニールだったのだ。なぜ自分たちが会えたのだろう? きれいな、居心地のいい景色だった。あれは、ラステルからのメッセージだったのだろうか。あの、問いかけは。
だったら、自分には答えられることがある。
「……でさ、そのときすでに《剣》だったハースニールが守るから、ってことでなんとかやってきてたんだって」
「いい話じゃない」
トリアとジェニーは、うんうんとうなずきながら聞いていた。
「パレスはその時なにしてたの?」
「ディリシエがいなくなったとき? 放心してたって」
「ルーファは、明日、ラステルさんとこに行くのよね」
「そのつもりさ」
「気をつけてね……で、ルーファはだったら誰がいい?」
「え?」
「だ・か・ら。うちのメンバーでつきあうならぁー」
「え、ええ〜っと」
口を濁すルーファの脳裏に浮かんだのは、ここにはいない相手。仲間たちの知らない人。
少女たちの追求は、やはり果てしなく続くのであった。
ガガは夜気にあたりにふらりと外へでた。ひんやりとした外気が気持ちよかった。
仲間たちと一緒にいるのは、楽しい。ガガは心からそう考えていた。旅立つ前、自分がまだひとりの主人のためにだけ戦う拳闘奴隷だったころは、こんな日が来るなんて想像もしなかった。洞窟で手に入れた巨大な盾を手にする。《ガラハド》と銘の入ったその盾は、見た目とは違って、まるで自分の身体のように軽々と扱うことができた。
これは、あの子に渡そう。
ガガはそう決めていた。拳ひとつで攻防を兼ねることができる自分よりも、これが必要な人がいる。
いつしか足は泉へと向かっている。大通りの向こうに塔が見えた。ラステルの帰還を祝う《星見の民》たちの喜びの声がそこここで聞こえる。ふと、向こうから来る人影に気がついた。
「アーネスト」
「ああ、ガガじゃないか」
今《星見》をしてもらってきたのだ、とアーネストはいった。その表情は複雑ではあったが、何かを見つけた人間独特の信念めいたものが宿っていた。
「見つけたか、きょうだい」
アーネストはにこりと口尻をあげ、小さくうなずいた。
「ガガ、アーネストの笑う、はじめて見たぞ」
「……そうか? 俺だって笑うさ」
半ば照れてそう答えたものの、アーネストも自分の変化に気づいている。確かに微笑すら、しばらく浮かべていなかった。
「イェティカはすごい。《星見》の力を、俺は信じるよ。旅の目的に一歩近くなったから」
「行くのか」
剣士はかぶりを振った。行きたいのはやまやまだが、もうしばらくつきあいたいのだ、という。
「イェティカに礼をしたい。そのためにも、ラステルを取り戻す力になれば、と思っている」
「そうか、よかった。ガガも、頼むつもりだ」
自分と同じ巨人族の仲間たちに会うことが、ガガの願いだった。アーネストは先に戻るよ、といってガガの一枚岩のような背中をぽんとたたいた。
塔の入り口で里長に取り次ぎをお願いする。出迎えた警護の《剣》は、パレスだった。
「ガガじゃないか。里長なら上だ。入れ」
「……」
「どうした?」
「ガガ、大きい」
パレスは自分よりも頭二つ分くらい上にあるガガの顔を見上げ、次に塔の天井を見上げた。そして肩をすくめる。
「心配しなくても、通れる。塔は天井も高いし丈夫にできてるからな。たとえ砂漠がひっくりかえったって、崩れたりしないさ」
もちろん塔の床は、ガガが通っても抜けたりしなかった。それでも気を遣い、身を縮こまらせて里長の前にでたガガは、一喝されてしまった。
「なんだね巨人の大人ともあろうものが。しゃんとおし!」
反射的にガガの背筋が伸びる。
「《星見》。仲間、探す」
「ふるさと探しかい。わかったとも」
ガガの依頼に里長はうなずき、ガガの《星見》をする約束をした。
その場を立ち去りかけたガガはふと思いついて足をとめた。里長に、もうひとつ聞きたい、という。
「これ、見つけた」
ガガは例の大盾を里長にかざして見せた。彫られている文字を示し、
「文字……アイリ、読んだが、わからない。ガ、ガ……ガラハド」
小柄な里長はその部分に目を凝らすが、首をひねっている。
「石の像たち、戦った。これ、持っていた」
「盾といえば」
里長が顔をあげていった。
「ラステルが残した《星見》で、意味が分からないものがある。それに盾がでてきたはずだよ」
引き出しの奥から出した書き付けをガガに見せた。
「たしかこれは、ラステルが《星見の姫》になったばかりの頃のものだ。
《父が 盾を隠したために
父は 剣に貫かれた
父が 剣を砕いたために
父は 鎖につながれた》」
ガガはそれを覚えておこう、と決めた。
《白羊の集会所》に戻る途中、ガガは砂漠狼バクちゃんのところに立ち寄った。泉のほとりで丸くなっていたバクちゃんは、ガガの姿を認めるととびかかるようにして懐いてきた。
「おまえ、砂漠、好きか?」
賢そうな目は、じっとガガを見つめている。フィヌエを発ってからずいぶんと経ってしまっている。バクちゃんにだって、仲間はいるのだ。その場にしゃがみこんだガガは、空を見上げた。大きな流れ星が尾をひいて、虚空に消えていくのが見えた。
それぞれの物語 本編へ続く