第5章|前夜その温もり聖地へ|心ある場所(1)(2)(3)それぞれの足跡マスターより

心ある場所(1)

 その日、塔の一室に集った仲間たちは9人。里長とイェティカ、そしてパレスが彼らを出迎えた。
「風が吹いてるの」
 イェティカが、部屋の奥を指さした。そこには例の球体がそっと置かれている。ラステルの姿を淡く映しながら、その球体は一点にかすかな輝きを灯していた。
「これは? 昨日までは、光は点滅を繰り返すだけだったはずだが」
 シウスが無骨な手をそっと球体にかけた。呼吸のように明滅する光とは別に、明るい点ができている。常に輝いているという、万極星のように確かな光。そして、風はその球体を中心にして生まれている。
「昨日、それが灯ったんだよ」
 シウスの隣にイェティカは並んだ。彼の腰ほどの身長しかない少女は、ゆっくりという。

「昨日、フィーナがあたしの《星見》をしてくれたの。フィーナはまだ疲れて眠ってる。でも、フィーナにも、姉さまの姿が見えたのかもしれない。そのときからなの、この光が灯ったのは」
「フィーナはイェティカの鏡になったんじゃな」
 その場にいなかった里長は、そのときの話を聞いて辛そうな顔をした。
「だがこれがフィーナの選んだ道なら、あとは我らもできる限りやるしかない。イェティカも行くと決めたようだからな、くれぐれもよろしく頼む」
 本当は10人目となるはずだった少女は、すやすやと眠っている。安らかな寝顔に、仲間たちは少し安心した。

 ガガはショックを受けた。この盾は、フィーナに渡すつもりだったのだ。
「フィーナ、疲れてるのか」
 そっと寝台にひざまづき、その傍らに盾をたてかけた。
「フィーナ、大変だ。信じる。それ、難しいな」
「そうだね」
 クロードが隣に立って答えた。少女の黒髪をすくって、指のすきまから逃がす。
「フィーナの、かみさま、フィーナのこと見てる。フィーナ、逃げない。逃げないから、傷ついてる」
「フィーナは頑張ってるよな」
 クロードとは、大して年が変わらないのだ。逃げないというのは大変なことだと思う。自分の身体が辛い時に、周りに優しくふるまうのも大変なのだ。そのことは、クロードは双子の弟を見ていて学んだ。
 イェティカの護衛となるだけじゃ、まだ足りない。自分もそういうふうにならなくちゃ。
「ガガ、助ける。手伝う、フィーナの、ある、ありかた」
「うん、戻ってきたら目覚めてるといいな。そんでもって憧れの《星見の姫》ー!って、また騒いでほしいよ……」

「じゃあ、気をつけてな」
「あれ、グリューンは行かないんですか?」
「うん、俺ここで待ってるよ」
 グリューンは棍をかざしてにこっと笑った。彼の思惑はふたつ。ラステルを助けに行っている間、無防備になってしまう仲間を守ること。そしてもしもそのとき敵が襲撃してきたら、自分の持つ力を使うこと。グリューンの一族には代々伝わる秘密の能力があった。彼の緑色の瞳に宿る《邪視》の力は、部族を束ねていた父親から、そのキャラバンとともに受け継いだもののひとつである。力を解放すると相手の精神に介入することができるのだが、自分にも反動が返ってきてしまうため、めったなことでは使わない荒技だった。

 ファーン、シウス、ダグザ、サーチェス、クロード、アーネスト、ガガ、そしてアインを抱いたルーファ。全員が球体を囲んだ。イェティカがルーファとファーンの間に入り、手をつなぐ。
 あっと思う間もなく、彼らの姿は幾千もの光の粒になって球体に吸い込まれていった。
「うわ、すげー!」
 グリューンは、さっきまで彼らがいたところに駆け寄る。半透明だった球体は虹の七色を帯びて輝いていた。フィーナの灯した光のそばに、ちかちかといくつもの光が集まっている。
「みんな、ここにいるのか?ちっちゃい天球儀みたいだなあ」
「そうだな、星空みたいだ」
「パレスは、行かなくてよかったわけ?俺、あんたもてっきり行くもんだと思ってた」
 パレスはむっとして言い返す。
「こっちで何かあったらどうするんだ。それにもう俺がラステルとイェティカにできることはないからな」
「《獣の姫》って人に、できることはあるのか?」
 その問いには、パレスは何も答えなかった。
 でも。とグリューンは《剣》の表情をうかがう。どこか遠くを見晴るかすような顔つき。ここしばらくの旅で見せていた苦渋ではない、何かに変わっていた。なんという表情をするのだろう。こいつが《獣の姫》と対面したときの顔ってのを、見てみたいぞ。
 グリューンは確信している。絶対に、攻撃が仕掛けられるはずだと。折しも今夜は満月なのだ。

 しばらく、静かな時が流れた。太陽はまだ高い。《星見の里》はいつもと変わらぬ雰囲気である。パレスはその隕鉄の剣に両手をかけ、腰をおろしていた。しばらく窓から泉と里を眺めていたグリューンだったが、里長がしきりに目をこすっているのに気がついた。
「どうかしたの、ばーちゃん」
 かなり気安い呼び方ではあるが、里長は怒ったりはしない。パレスはその実直な性格からか、ぴくっと顔をあげて里長を見たが、本人が気にしていないようなので何もいわなかった。
里長は真北の万極星を見ている。もちろん《星見の民》ならぬグリューンには、真昼の星は見ようもないが、なんとなくまたただならぬことが起きていそうな雰囲気だけはつかんでいた。
「うーむ、これは……」
「万極星?」
 パレスも立ち上がり、片手をかざして砂漠の彼方を見晴るかした。

「……なんだ、この感じは」
「おまえも気になるかねパレス。これはいったい……これ、グリューン」
「は、はいーっ」
「おまえの仲間たちがらくだを借り出しているといったかね?行き先はどこだね」
「え、ええっと」
 たしかアデルバードを筆頭に、神話の神様たちと聖地について調べている組があった。
「《大陸》の、神様が砂漠に眠ってるって聞いた。聖地に調査に行くっていってたぞ」
「聖地? 《大陸の民》の神が《忘却の砂漠》に?アイリがいっていた話か」
とパレス。
「なるほどね」
 里長は窓から離れて腕を組んだ。小柄な里長だが、威厳があふれていた。
「もしかしたら、これから数日のうちに……とんでもないことが起こるかもしれない。どういう結果になるかは分からないが、少なくとも変化は現れる。それが砂漠の意志なれば、我らも従うことになる」
「変化? それは、いいほうに? わるいほうに?」
「さあて。天秤は同じおもりをぶらさげておるからの。それを決めるのは、誰だろうねえ」
 球体は静かにちかちかと光を放っている。里長はアンジーを呼び、様子を見てくる、と部屋を出て行った。ラステルたちをよろしく頼む、と言い残して。

 その光あるところで何が起きていたのか。

 真の闇が、ねっとりとファーンの身体を包んでいた。
「おっと、これはいったい?」
 この気怠げな物質には覚えがあった。彼を最初の旅に誘ったもの。
「そうそう、海を見ようと思ってちょっと出かけたんですよね。それが、こんなことになっちゃうなんて、人生って深いなあ」
 ファーンは見たことのない海を目指して旅立ったのだった。街道沿いの街をめぐるのも十分楽しかったが、街道の果てで海を目にしたときは、なんだこりゃ、と思った。サーガに歌われるような人魚の眠る深海の都、海竜が巻き起こす大渦、暴風雨の中にだけ姿を現す幽霊船……そういう荒々しいものはない、なんの変哲もない海岸に彼はたどりついた。うららかな春の日、曇天に灰色の海面が彼を出迎えた。おだやかに寄せては返す波の音が今でも聞こえてくるようである。
「あそこはいちおう音に聞く屈指の名勝って話だったんですけどね、天気が悪かったんですねえ。輝く海面と白い浜辺を想像して行ったんですから」
 でもそれは、誰が悪いという話でもない。ただ、ファーンがそういう日にその地を訪れたというだけだ。
「あれ、そういえばみんなはどこかな?」
 暗闇の濃度が心なしかひいたような気がして、ファーンはどことも知れぬ場所に足を踏み出した。

 サーチェスはひざを抱え、くるくる空中で前転しながらその闇に降り立った。いつ地面に着地できるのか分からなかったのでどきどきしていたが、怖いとは思わなかった。
「よくわかんないけど、サーチェス、ためされてるのかな?」
 つま先がカールしている踊り子の靴をとんとんとはき直し、先に見えた一筋の光に向かって歩き出した。
 暗闇は怖くない。本当に怖いのは、大切な人がいなくなることだもん。
 サーチェスの《家族》の顔が、次々と浮かんでくる。
「そのうち会えるかなぁ?話すことがいっぱいあるんだもん、会いたいなぁ〜」
 こんな人たちとお友達になったんだよって、まずは、《家族》に紹介しなくちゃ。
 あのお人形みたいなおねえちゃん……この近くにいるらしい、イェティカちゃんのおねえちゃんも、大切な人をなくしたのね。何人も、何人も。それでもイェティカちゃんが、待っててくれてるのに。待っている人がいるのに。

 ダグザが身の回りを確かめると、ちゃんとグレートアックスも一緒についてきていた。
「丸腰じゃないのはいいんだが、これがどれだけ役にたつか、だな」
 ふう、と大きく息をついた。精神戦の経験がないわけではない。敵がどこをついてくるのか、どんなことを仕掛けてくるのか。ある程度予測はしているが、何よりもまず自分自身を見失わないようにしなくては。もう一度深呼吸してから、ダグザはあたりを見回した。
「やれやれ、ひとりぼっちかい。みんなばらばらに入っちまったか、まずいな」
 ぶん、とグレートアックスを振り上げて、肩に担いだ。何が襲ってきても自分は大丈夫。だが、他の仲間は大丈夫だろうか? 彼が真っ先に心配したのは、アーネストのことだった。
 美貌の剣士は、生き別れの姉妹を探して旅をしているといっていた。《星見》でその行方が分かった、と昨晩打ち明けてくれたアーネストは、それでもまだ迷っている顔をしていた。
「やっこさん、大丈夫かねえ」
 アーネストの心はすでにここにはなく、姉妹の元へと飛んでいるのかもしれない。探し物が見つかったことには心からよかったな、といえるけれども、それでこの《迷宮》とやらにつかまってちゃ、何にもならないんだぜ。
 そう言葉をかけることができるのも、アーネストを見つけだしてからである。とにかくダグザは、いつもと同じように大股で歩き出した。

 シウスがずっと閉じていた目を開けたとき、そこに広がっていたのは茫漠たる砂漠だった。一瞬、《忘却の砂漠》なのではと考えたが、それにしては空が奇妙な前触れのようにレモンイエローに輝いている。砂漠の砂も、その空の色を反射してきらきらと輝いていた。
「これが、ラステルの精神世界か?」
 予想していたのとちょっと違ったので、重戦士はごしごしと目をこすってみた。だがシウスの瞳には、やはりレモンイエローしか映らない。
シウスは魔法の心得がない。身ひとつで幾多の戦いをくぐりぬけてきた男である。その赤銅色の肌には無数の傷が走っていたが、それらはすべて生き抜いた証のようなものであった。もっとも彼は、肉体の傷を誇ってさらすような男ではない。
 そんなシウスも、魔法の世界はとんと不得手である。ラステルを助けたいという気持ちはあるのだが、その心の中へ入らなくてはならないと聞いて、彼はまず魔法の使い手たちに片端から尋ねて回った。彼らの方が精神世界に通じているだろうと思ったからである。

「心の中ねえ。昔むかーし、学校で習ったことがありますよ」
 アゼルは答えた。彼の手に預けられていたロンパイアは、ルーン文字による魔力を与えられ、生まれ変わる時を待っていた。
「あ、もうちょっと待っててくださいね、今寝かせてるところですから」
 塗料と薬剤のついた手を洗いながら、アゼルは布で包まれているロンパイアをあごで示す。
「ねかせる? ねるのか、こいつが」
「なんていうかな。魔力が落ち着くというか……ルーン文字っていうのは、力を持った模様をいくつか組み合わせて意図した効果を発現させるんですよ。組み合わせによっちゃ、お互いの力が干渉しあって暴発、ってなコトにもなりますからね。いや、安心してください。俺はちゃんといい仕事したんだから」
「こいつはまだ寝たりないんだな」
「うーん、そうですね。ああ、明日ラステルさんとこに行くんでしたっけ」
 アゼルは、ちょっと隣村に行くんでしたっけ、という感じでラステルさんとこ、と発音した。
「さすがに一晩じゃあ、ちょいと安定するか心配ですねぇ。ま、でも、ああいうとこじゃ、目に見える武器ってのは思ったよりも力にならないモンですよ」
 シウスは腕組みして、布包みを見下ろした。

「たぶん、アゼルおにいちゃんはね、こころのカタチのことをいったんじゃないかなあ」
とは、サーチェスの意見。
「こころの形かい。そいつは考えるのが難しそうだが」
「考えるんじゃなくって、そこにあるんだもん。そのカタチがわかれば、さわることもできるのよ」
「??」
「だからね、あのお人形みたいなおねえちゃんの、本当のカタチは見えないけど見えるのよう。でもね、見えるのは自分も見られてるの。ちゃーんとカタチを知ってれば、だいじょーぶ★だけどね」
 ぴょんぴょんと少女は飛び跳ねて、付け加えた。
「ろんぱいあ、カッコよくなるね!ねえねえ、完成したらサーチェスにもさわらせて!」

 そのサーチェスは、別の所にいるらしい。ともかくも、シウスは歩き出した。この世界の何物をも傷つけないように、と自分に命じながら。足下で金砂がさらさらと流れていった。腰にはハースニールの剣がある。《夜魔》を倒すことはできなかったけれど、この剣なら、切れないものも切れるのかもしれない。例えば、ラステルの迷いとか。

 ガガは、今自分がどこに立っているかなどとは考えなかった。ここがどこであれ、足下にある大地を踏みしめていくだけだ。岩山でも、氷結海でも、細い吊り橋でも。だが彼が目にしたのは、緑の山肌とその隙間から見える青い空だった。ちきちきちき、と山鳥が鳴いている。ばさばさばさっと羽音がした方向に目を向けると、母鳥が巣に降り立ち、雛にえさをやっているのが見えた。
 下草をぱきぱき踏みしだいて、あたりを見渡せるところに出た。青い尾根が続いている。その奥にはさらに険しい岩色の稜線が、薔薇色の雲の上にそびえていた。なだらかに続く緑色の絨毯は、夏草の草原のようだ。あちこちに羊の群れが白い模様をつくっていた。
「ガガ、いたところ、にてる」
 力をかけて木を折らぬよう注意しながら、林の中を抜けて草原に降りていった。

「んめえええええ」
 羊たちは、突然の巨人の姿にもあわてずに、同じように草をはんでいる。
「いのちが、たくさんだ」
 青空には輪を描く鳥。林にはその雛。草原には羊たち。絡み合って息づいている自然がある。
「みんな、生きてる……」
 ガガが山野での暮らしから学んだこと。それは自分に正直に生きるということだった。教えてくれたのは動物や植物、ガガを囲む自然である。何もてらわず、あるがままに、まっすぐ生きるということ。あたりまえのこと。どこからか舞い降りた小鳥が、ガガのぼさぼさの頭についととまった。
 ラステルは、どこだ?
 草原に一本まっすぐに伸びている道を、迷わずにガガは歩いていった。大声で叫んだり、求めたりしない。沈黙は言葉より雄弁なのだ。ただ、自分の前にある道を行くだけだ。ラステルだけではなく、《獣の姫》の心にも続く道だといいなと考えながら歩いていく。彼女にこそ、伝えたいことがある。

 アーネストはイェティカとともに、暗い泉の縁に立っていた。《星見の里》のようだが《塔》はない。イェティカがぎゅっとアーネストの手を握った。小さな手。
 ミリエラ。
 いや、違う。それは港町にいるはずの妹だ。今隣にいるのはラステルの妹、イェティカ。
「こっち」
 イェティカはアーネストをひっぱりながら、泉の中に足を踏み入れた。ぱしゃんぱしゃん。夕暮れのようなしじまに、入水の音が意外に大きく響く。深さはアーネストの膝までしかない。生温い水がブーツに入り込んでくるが、不快ではなかった。ぱしゃんぱしゃん。
「君には分かるのか?ラステルの居場所は」
 アーネストをひっぱってゆくイェティカに、彼は尋ねた。
「聞こえるの。こっちだと思う」
「さすが、姉妹なんだな」
「えっ、……そおかな」
 きょとんとした顔で、少女はアーネストを見上げた。

 グリューンはパレスと二人で残された。こうなるとグリューンは必要以上に緊張してしまう。第一この《剣》とは、たいして言葉をかわしたわけではなし、どうやらツェットはこういう顔が好きなのらしい、とめらめらしているくらいである。
 熱を帯びた視線を感じていたパレスが、口を開いた。
「さっきから何だ?人のことをじろじろじろじろ」
「イヤ、ごめんってば。なあパレス、あんた《父なる者》って知ってる?」
「砂漠の父、《星見の民》の父、か。昔、ディリシエがよくいってたな。《父なる者》に会いたいって」
「ほんとか!?」
 パレスの口から昔語りが聞けるとは、グリューンは意外に思った。絶対口をわらないと思っていたのに。
「《父なる者》って会えるのか」
「会いたいと思いさえすれば、な。《星見の姫》の前にはよく姿を現すらしいが……俺にはわからん。ディリシエはいなくなる時、《父》の元へ向かうと言い残していたからな」
「《父なる者》ってのは、でっかい銀色の狼みたいなやつだろ?角の生えた。グリーンがいってたぞ。銀髪の人影と、銀色の狼。同じやつだって」
 グリューンは腹立たしげな口調だ。あの無礼な狼のことを考えるだけでも、気分が悪い。
「銀色の髪の毛の人物なんて、《里》にはいないからな。俺は一度だけ、《父なる者》を見たことがある。いや、遠目で見かけただけだが」
「《朱の大河》じゃなくて、か?」
 パレスは違うと答えた。まだ若い日。ディリシエが姿を消した翌月のことだという。
「砂漠の彼方に、銀色の人影を見た。それによりそうように、ディリシエ……だったと思う。まずディリシエが生きていたことに驚いた。ふたりを見失ってからずっと行方を探したが、結局見つけることはできなかった。そのときは、それで納得させたんだ。ディリシエが戻らないのは、考えがあってやったのだと。あいつは、自分の意志で行動したんだと」
「そういえば、《星見の姫》って、鏡でなければならないっていってたな?どうしてだよ。自分で考えられないなら、人形と一緒だろ」
 たとえば、今の身体だけのラステルのように、それは生きているといえるのだろうか。フィーナは自らイェティカの鏡になる、といって《星見》を強行したと聞いた。無茶をするやつだ。
「俺には特に強い《星見》の才があるわけじゃないからな。だが、《星見》を行うときに、下手に自分の意志を強く持つことは危険なのだと、ディリシエはいっていた。ラステルもな」
「もし……」
 グリューンはためらいながら、言葉を選んで続けた。
「これが全部、決まってたことだったらどうする?」

 彼はここしばらく疑問を持ち続けていた。自分たちが《大陸》からやってきたこと、そこからすべて、あらかじめ定められていたのだとしたら。バードの話を聞いて、この砂漠に何かの契約が取り交わされていることが気になった。砂漠の真ん中に不自然な量の水があるのも、あるべき姿をねじまげて契約をしているのならば話は分かる。そして自分たちも、その長きにわたる契約を完成させるための、最後の小さな歯車になっているのではないだろうか。
 自分たちの行動は予測され、利用されていた。誰に?もちろん、あのいけすかない狼に、だ。
「俺たち来なかった方がよかったのかもしんない」
 けれど少年の口から続けて発せられたのは、また別の言葉だった。少なくともこの地で一生懸命やっている、幼いイェティカやパレスたちの姿を目の当たりにしては、とても言えないと思ったのだった。
「……そんなことはない。ラステルが戻り、《夜魔》を倒すことができた」
「でも、ディリシエと戦うんだぜ。俺たち」
 少年の緑の瞳が悲しげに伏せられる。もしも自分たちが首をつっこまなければ、ディリシエの所行が明らかになることもなく、《星見の民》はそれなりに平和に過ごせたのだろう。ただラステルは行方不明のままで、訳も分からないうちにイェティカが次の姫になり、という筋書きは変わらなかったのかもしれないが、パレスとディリシエが戦うのはもう少し先だったはずだ。もしかしたら、ずっと別の道を進んでいたのかも。
「ディリシエはきっと来る。もしかしたら、そのとーちゃんも連れて」
 だって、あのひとの目的は、あんたしか考えられないから。
「そうなったとしても、もう俺の心は決まっている」
 パレスはその剣をかざした。沈みかける陽の光が刃にきらめく。
「もうかつての俺ではない。ディリシエが、そうでないのと同じように」
 その言葉は、グリューンの心をひどく打った。自分もいつか、そんなせりふを吐くようになるのだろうか。心を寄せた相手と道を分かったときに、そんなふうに思うことができるのだろうか。考えたくない。今はまだ。
 グリューンはばれないように目尻をぬぐった。

(2)


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