第5章|前夜|その温もり|聖地へ|心ある場所(1)(2)(3)|それぞれの足跡|マスターより|
その温もり
とてとてっと《星見の塔》のてっぺんにやってきたフィーナは、イェティカに駆け寄ると、ぎゅうっと力一杯抱きしめた。
「むぎゅう」
イェティカの身体はほっそりとしていた。袖無しのワンピースから露出している肌は、なめらかで温かい。フィーナは、あの感じの悪い巡礼の、枯れ枝のような腕を思い出していた。
ぶるぶるぶる、同じ人間の手とは思えない。イェティカちゃんは……あったかいですぅ。
しばらくすりすりしていたフィーナは、やがて少女の両手をとると、その金色の瞳を見つめていった。
「イェティカちゃん、あのね」
お姉さんに、会いに行こ。
イェティカはフィーナと手をつないだまま、背後の球体に目を向けた。ゆっくりと呼吸するかのように、球体の帯びる柔らかな光は明滅している。
フィーナは、イェティカも一緒に迷宮に連れて行こうと決めていた。なぜならラステルに対しては、その妹イェティカの気持ちが一番強く通じるのではないかと考えたからだ。それに、イェティカだってラステルに会いたがっている。グリーンもいっていた。イェティカにラステルの心が見えるのは、お互いが呼んでいるからだと。そしてその《星見》の力は、素敵な贈り物なのだと。
「あたしが、入れるかな」
「入れるよ、イェティカちゃんが入れなかったら、きっと誰も入れないところだと思うもん」
フィーナはぶんぶんと、つないだ手を上下に揺する。
「ね、考えてみてイェティカちゃん。お姉さんに、早く会いたいでしょ?」
「うん。会いたい。でも」
「……どうしたの?」
サーチェスとグリーンが、部屋にやってきた。サーチェスは、《星見》について尋ねるため。グリーンは、イェティカの様子を見守るために。サーチェスはしばらく球体の周りをくるくると回ったり、つついたり、声をかけたりしていたが、
「ねえねえ、このおねえちゃん、どうしてここにはいってるの? お返事しないの、サーチェスの声聞こえないのかなあ」
ラステルが一向に呼びかけに答えないのでグリーンのクロークを引っ張った。
「それは、あの《獣の姫》とおっしゃる方が、私たちを試してらっしゃるのですわ」
「ためす? どうしてー?どうしてお人形みたいなおねえちゃんでためすの?」
「あの方にとって私たち《大陸の民》は、重要な役目を持っている、らしいんですの。それはたぶん、彼の砂漠の《王》の意志……」
「おうのいし?」
それはなんだかおいしそう、とサーチェスは思った。それなら、サーチェスもいかなくっちゃ。
「もしかして何か不吉な予感、とかあるんでしょうか?」
グリーンが両手を胸にあて、心配そうにイェティカの表情をうかがう。イェティカはぶんぶんと首を横にふって、違うといった。
「そうじゃない。姉さまのことじゃない。何か、よくわからないけど大変なことが起きるような気がする……」
ぽろりと、気丈な少女の目から、また一粒の涙がこぼれ落ちた。あわててイェティカは手の甲でそれをぬぐう。
「やっぱり、あたしじゃまだだめ。何にもわからない。よくない気持ちだけがわいてくるの。こんなのって、いやだよ。もっとはっきり、なにもかもが見えたらいいのに……」
「《星見》、できないの?」
サーチェスが尋ねた。小さな踊り子は、ずっと不思議な気持ちにとらわれていた。なんだかこの間から、胸がうずうずするような。身体が踊りたくてたまらない、っていう時とちょっと似ている。そう、ジェニーにこの間、「《星見》もできたりして」といわれた時からだ。もしかしたら自分も、おとなになったのかもしれない。そしたら《星見》もできて、面白いことになるのかもしれないなぁ……。ともあれ、このうずうずの正体が知りたかった。
「《星見》って、どーするの?」
もう一度、サーチェスが繰り返した。
「サーチェスさん、《星見》、できるんですの? もしかして、フィーナさんも」
フィーナはまだ握った手を離さずに、グリーンを見上げた。
「わかんないですぅ。でもね、できるかもしれないです」
「……ということは」
グリーンの胸が、またちくりと痛む。
たぶん、いっかいだけですけど。とフィーナは心の中で付け足した。
「フィーナね、イェティカちゃんの《星見》をしてあげる」
「うわぁい、フィーナちゃんもおとななのね♪」
《星見の姫》は、自分自身の《星見》はできないという話はみな知っていた。グリーンもそれを承知で、なんとか事態解決の糸口を見つけるため、そして他の危険を回避するために《星見》ができないかと考えていたのだが。
「まさか、ほんとうに、おふたりにそんな《力》があるなんて知りませんでしたわ」
イェティカのことを《星見》の対象にしたら、何が見えるのだろう?
「あのねぇ、おおかみさんがいれてくれたのよ」
「狼さん、ですか?」
「よくわかんないけどね、気持ちいいのよ。けがわ、ふかふかでね」
サーチェスはにこにこしている。グリーンはそれを聞いて、決めた。あの銀狼にもう一度会うしかない。でも、どうやって?
「じゃあね、フィーナがやりますからサーチェスちゃんも力を貸してね。フィーナ、疲れちゃうかもしれないから」
「は〜い」
グリーンが見ている前で、少女たちは3人手をつなぐ。
「イェティカちゃん、《星見の姫》は常に鏡じゃないといけないなら……フィーナが鏡になりますね。イェティカちゃんの願いを鏡にうつしてください、お星様……あれ、お星様は、どのお星様ですか?」
「りゅーぶせい、なの♪」
そのとたん、輝く光の奔流が生まれた。
フィーナに見えたもの。
大きな大きな金色の光。それは人型で、イェティカに似ているようだった。魔女、という単語が思い浮かぶ。そばに寄り添うように銀色の光がその人型をとりまいている。漆黒の闇の中、金と銀の光は遠くに消えていった。冷たい光ではなく、どこか命を持った温かな輝きのように見えた。
イェティカの声がすぐそばに聞こえる。
(あたしの中には、いやな気持ちがいっぱいある。ほめられたい、人より強く星の力をうけたい、いい子でいたい。そういう気持ちが、あたしをずっと呼んでる。こっちへおいでって。それは、あのひとの声によく似てる……)
仲間たちの姿が数人、フラッシュして見えた。
クロード。二本の剣を携えた語り部。あたしを守るっていってくれた。
グリーン。もうひとつの名前を大切に守って生きてる精霊使い。あたしに《大陸》の精霊を見せてくれた。
サーチェス。小さな踊り子、ステップクイーン。いつも笑ってる。どんな状況でも。
フィーナ。誰よりも一生懸命な神官。あたしの望みって何、ってきいてくれた。
「そうだよ、イェティカちゃんの望みって、何?」
(あたしの望み……?)
「イェティカちゃん、お姉さんに会いに行こう。大丈夫だよ。フィーナも、一緒に行く」
黒い渦巻きが遠くから押し寄せてくる。渦巻きはどんどん近づき、イェティカのことばをかき消してしまう。それは。一人残される恐怖、姉を失う悲しみ、家族を失った孤独、みなを代表する緊張、その言葉が現実になる不安、大役の重圧。
(あたし、こんなこと考えてたの?)
「イェティカちゃん!」
(……たい)
「なに、なんですか?」
『辛かったら、こっちへおいで』
突然第三者の声がフィーナの脳裏に響いた。違います! と必死に叫ぶ。これはフィーナの声じゃないからね、イェティカちゃん! ……とはいうけど、正直いってこれ以上渦巻きの中にいたら、フィーナやばいですぅ。
(あたし、《大陸》でいろんなもの、見たい)
でもだめだよ《星見の民》みんなが待ってるし子供はもういないからあたしがいなくなったらみんな困っちゃうし姉さまだってひとりぼっちにしちゃだめだし砂漠の外にひとりでなんてでかけられないからそんなことは思っちゃだめなの《星見の姫》がそんなことしたらみんなが困っちゃうからだめきっと『辛かったら、こっちへおいで』だめだめだめ《星見の姫》なんだからたとえば万極星がなくなっちゃったりしないかぎりずぅっとこうしてみんなの鏡になるのが仕事なんだからだめ『辛かったら、こっちへおいで』
その渦巻きが、フィーナをぎろりと見た。ぞくり、と少女の身体の奥底がふるえる。にゅう、と渦巻きの中心から黒いかぎ爪が伸びると、フィーナの身体にぐさりと突き刺さった。
「……あ」
輝く二本の角を見たような気がした。血は、流れなかった。再びかぎ爪が引き抜かれた感触を最後に、フィーナは意識を失った。ずっと身体の中でうごめいていた生あたたかい塊は、なくなっていた。
「フィーナさん、フィーナさん!」
そばでその様子を見守っていたグリーンが、倒れたフィーナを抱き起こして介抱した。息があったことに安堵する。
「お疲れになったんですわ。いかがでしたか、イェティカちゃん、サーチェスさん?」
フィーナの頭を膝枕に乗せて、まだ手をつないでいる二人にグリーンは尋ねた。
「サーチェス、聞こえたよぉ。イェティカちゃん、《大陸》に行くの」
「あら、それはいいかもしれませんわ。私たち、いろいろ教えてさしあげられますわね。そのために、といったらおかしいかもしれませんけど、早くラステルさんを助けてあげなくては。ねぇ、イェティカさん?」
「……うん」
グリーンは立ちつくしているイェティカをそっと抱きしめた。
その日の夜更け。ぐっすり眠っているフィーナを《塔》のてっぺんの部屋に寝かせたまま、グリーンはふらりと《里》をめぐった。落ち着く場所を探して、結局行き着いたのは門の外だった。前日まで巡礼が寝泊まりしていた、隠れ家のような砂丘の陰。ふと来た道を振り返ると、自分の足跡が点々と記されていた。その振り返った格好のままぼうっと見ていると、寒いほどの夜気が風をはらみ、見る間にグリーンの足跡をかき消してゆく。
「寒い」
ぽつりと洩らして、歌姫は夜空を見上げた。そびえる《星見の塔》。その頭上に万極星。そして満ちた月。
「ああ、もう満月なのですね」
自分は何をしているのだろう、と思う気持ちが日増しにつのるグリーンであった。
「今すぐにでも、ラステルさんの所へ飛んで行きたいけれど。しなければならないことがあるのですわ。ねぇ、精霊たち、こんな私を許してくださいますか?」
降るような星空の元で、グリーンは問いかけ続ける。思いははるかな父母のことにも寄せられた。
「お父様、どうか、私に勇気を与えてください。お母様、私の力を奮い立たせてください……」
それは、パルティシアと呼ばれた日々、呼んでくれる人がいた日々の幼い記憶。
パル。その名前を思い出すたびに、ちくりちくりと心の棘が痛んだ。
「名前……不思議なもの、ですわね。呼ぶ人がいれば、こんなにも力強い」
ドゥルフィーヌ、ガラハド、そして、まだ知らぬもう一柱の神の御名。それを知るのは誰だろう。
「貴方なら、ご存じなのでしょうか? 砂漠の王、《銀狼》よ……」
いつしかグリーンの呼びかけは、銀狼に捧げる歌となって夜のしじまに響いていった。
「(呼んだか)」
ひらりとグリーンの前に降り立ったのは、まさしく巨大な銀狼だった。翼が生えているかのように夜空を駆け、砂煙も巻き上げずにそこに存在していた。
「……あ、あの。……びっくり、したのですわ。まさかこんなにすぐにお会いできるとは思ってませんでしたの。砂漠でお会いできるのですね」
「(ふん、今は我が力が満ちゆく時だからな。しかし、王などと呼ぶな。何のことか分からなかったぞ。気の強い娘だな)」
狼は喉をぐるぐると鳴らして唸った。どうやら笑っているらしい。
「王よ、貴方が望み、求め、もたらすものは、《星見の民》の苦しみと戦いなのでしょうか?」
ぐっとこぶしを握りしめ、グリーンは勇気をふりしぼって尋ねた。先に神殿で出会ったときは言いしれぬ恐怖だけがあったが、今は少し違う。サーチェスは懐いてにこにこしていたし、何より自分がこの狼を、悪者とは思えないのだから。少なくとも、この王には心が存在している。グリーンは確信していた。
「(苦しみも戦いも、領分ではない)」
銀狼の答えに、グリーンは胸をなでおろした。
「ああ、そうですのね! よかったですわ、私、もしも王が戦いをお望みなのでしたら、差し違える覚悟でおりました」
にこにこっと表情を変えた歌姫は、懐から短剣を抜いた。刃が月光を受けてきらりと光る。彼女はすぐにそれを元に戻した。
「王が戦いをお望みでないのならば……」
グリーンはふうわりとクロークを広げて深々とお辞儀した。
「私は、王とともに行く覚悟でいます。私は、王の手足となりましょう。その荷の重さは量りしれませんが、それでも、私はその荷の一部だけでも、ともに背負いたいと思っています」
銀狼は目を細め、新たな僕に命じた。
「(三柱の神の名において、千年の眠りにつきし我が主を目覚めさせよ、パルティシア。神の武具を集め、処分するのだ)」
第6章へ続く

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