第5章|夜明け前を照らすランプ|残響|優しさの代償|夢から覚めた夢|野の百合の誓い|断章1|断章2|マスターより|
3.優しさの代償
《まことの国》。
鐘楼の上に、主と離れた少女ミューを抱いている、魔導操師クーレル・ディルクラートの姿があった。
「やれやれ、よく寝る子だな」
しかめ面で、すうすうと寝息を立てている少女を眺める。魔法陣の中をてくてくと歩いているうちに、疲れて眠ってしまったのだ。
しかし、考えようによってはミューは寝ていて正解だったのかもしれない。魔法陣の中は、なんともいえず嫌な空気で満ちていたし、王城で感じた腐臭も、わずかに混じっていたのだから。ミューと約束したとおり、カロンが探しているという《竜の牙》の矢筒を手に入れたら、詳しく調べてみよう、とクーレルは決めていた。かつて彼の心を動かした女性、エシャンジュの気配を彼は感じ取っていたのだ。
「……ん、カロン」
「カロンはいない。着いたぞ、《まことの国》だ。傭兵を捜すんだろう?」
「うにゃ、でぃるく……ありがと、なん」
ミューはぐいと背を伸ばし、ふんふん、と風の匂いをかいだ。彼女も調香術師の弟子のはしくれ。《竜の牙》の匂いをあてにして探そうとしたのだが。
「み〜、わかんないよう」
クーレルは苦笑した。
「弓のほうならともかく、そうだろうな。待ってなさい、今《探知》の魔法を使ってあげよう」
俺はこんなに優しい人間だっただろうか。記憶を無くす前の俺は、こんな人間だったのだろうか。
携えている杖を石床に立たせ、唇からこぼれるままに呪文を唱える。紫の光が杖に宿り、シャッセに魔法をかけたときと同じように、光の糸がするすると伸びていった。
「おいで。ほら」
クーレルが手をのばし、ミューがそれをぎゅっとにぎる。
今度は完全に思い出した《飛翔》の魔法で、彼らははるか下に広がる森へと飛び立った。
召喚師リュカ・シー・オーウェストは、麒麟に変化したキュルの背にまたがって、空中散歩である。うぐいす色のローブがはたはたと風にはためいた。大ぶりのイヤリングも、風に揺れてじゃらじゃら音を立てている。
「っか〜! やーっぱ、キモチいいなーっ」
額の角をにぎって、空からこの《まことの国》の調査をしているのだ。
「こないだは、あのジェラまでいて狭かったけどなあ。あいつも、あのウサギに乗ればイイじゃんな。あのウサギ、でっかくならないのかな〜」
そんな軽口をたたきながら、目を凝らして下界を眺める。ディルワースと《まことの国》には、そっくりなようでいて、違うところがいくつかあった。王城は荒れ果てていなかったし、賢者様の家もない。片っ端から自分の知っている場所にでかけていって、他にも違いがないかどうか、探すつもりだったのだが。
「……見つからないね。間違い探し、失敗かぁ〜」
「きゅるるる」
ここぞと思うところに着陸してみても、芳しい効果はないのが残念だった。成果といえば、《まことの国》には城下町が存在しない、ということ。そして、街道は当然ながら、断崖までしか伸びていないこと。もうひとつ、街道沿いには大きな林檎の木が一本、枝を広げていたということだった。
「あーもう、なんでだろー。誰かが、こっちの世界をつくったんだよな? お城まで完璧につくってあるのに、どうして町をつくらなかったんだぁ? 町がなければ、みんなが住めないじゃん。な? それに、あの林檎の木なんて、街道沿いにはなかったよなー。誰かが植えたのかなあ」
「きゅるるる」
「ディルワースとどっちが先かって、そりゃやっぱ、ディルワースのほうが先だよな。《まことの国》のほうが、ディルワースの複製ってわけだろ」
賢者様の家がないのは、必要がなかったから? 同じように、ディルワースの町も、必要がなかったのだろうか。
「ああ〜、もうわかんね! キュル、戻るぞ〜」
麒麟は大きく旋回し、王城へと進路を定めた。そこには、賢者モースと、意識を取り戻したフューガスがいるはずなのである。
予想通り、王城前には人の輪ができていた。レイスとジェラ・ドリム、ベネディクトン・ヴァリアント。そしてアーシュ・アーシェアたちが、モースとフューガスを囲んでいる。その周りを守るようにして、きらきらと光の粒が舞っているのが見えた。レイスが光の精霊を呼んでかけた、《光の防護》の魔法だろう。レイスのことは、心配性のお姉さんだなぁ、などとリュカは思っていた。常に仲間たちと賢者様の身を考え、きちんと守りの魔法を準備している。考えるより手がでるタイプの自分とは正反対だ。守りに入る、そのこと自体、リュカには向いていないのかもしれない。たくさんの苦しい別れを経験すれば、いつか自分もレイスのように、そっと仲間の後ろを守るような、そんな人間になってしまうのだろうか。そんな日のことは、想像もつかなかった。
キュルが音もなく高度を下げ、リュカがその背からひらりと飛び降りた。
「たっだいま〜。たいした収穫はなかったよ。ちぇ」
そう言いつつ、彼はなるべくジェラから遠いところに陣取る。先日の一件以来、すっかりジェラ=最強! 怖い! と思いこんでびびってしまっているリュカだ。当のジェラはそんなことを意にも介せず、真剣に耳を傾けていたフューガスの話を中断されたことに対して怒っている。
「静かにしてよ! 今、お二人の昔のお話を伺っていたところなのよ! はい、フューガスさん続きをどうぞ」
「あ、ああ」
しばらく安静にしていたおかげで、フューガスの言葉は以前よりもかなり聞き取りやすくなっていた。燃えるように赤い髪には櫛があてられ、身につけていたぼろぼろの武具は、すべてきちんとした衣服に替えられていた。もっとも、布地の隙間からは、玉虫のように色を変える鱗が一部、見える。手足が妙に長く、背には黒こげになった片翼が所在なげに残っていた。シルエットこそバランスが悪いが、フューガスの姿は、人間らしさをとりもどしている。
例えばオシアンに言わせれば、完全に人間の姿に戻っていないことに何か裏がありそうだ、となるのだが、アーシュをはじめこの場にいる者たちは、そこまで問題視しないメンバーであった。
「フューガス様は、三つの罪を犯したとおっしゃいましたが」
《清流弦》を手にしたレイスが、フューガスの話を促す。ディルワースの異形の王はうなずいて、言葉を続けた。
「そうだ。《狂乱病》を俺の領土から駆逐すること。根絶し、民を救うこと、それだけが俺の願いだった。モース、知っているな?」
「もちろん。そのために《竜の牙》をはじめ、いろいろな《竜》の伝説について研究していたよね」
学生時代、モースが錬金術を、ボーペルが語学を、フューガスが《竜》伝説を、それぞれ専門にしていたという話は、一同も耳にしたことがあった。ディルワースを悪夢から救うため。親友たちにはそう告げて、志半ばで倒れたフューガスの研究はモースが引き継いだとも。また、モースの口から聞いたのではないけれど、モースが作り出した人形たちは、錬金術で生命を作り出す実験の果ての産物らしいことも、理解していた。
「えーっと、賢者様って、肩かじられてたんだよね? たしか、むかーし、《なりそこない》にやられて。それってどーなんですか?」
「ん、もうリュカ、順を追って話してくださってるのよ。まぜっかえさないで!」
「ふむ。どうしようか、どこから話すのがいいだろうね」
「そりゃあ、最初っから順番に、ぜーんぶ話してくださるのが一番です!」
力説するジェラの横で、飛びウサギがため息をついていた。猫にまたたび、リラくんに美少女、そしてジェラにロマンチックでドラマチックな話は禁物。オレサマ野郎同士の友情には興味ないし……あーあ、長くなりそうだなぁ。
ふうと息を吐くと、リラはふわふわとキュルの背中に移動し、ころんと横になった。
フューガスは、《狂乱病》からディルワースの民を解放したいと願い、そこに偽りはなかった。そしてディルワースが《竜の通い路》であり、最後に《竜》族が争い同士討ちとなって死に絶えた場所である、との説に基づいて、《狂乱病》と《竜》との関連性を探っていた。だが、彼の研究では、《狂乱病》の原因を特定することまではできなかった。
「そう……そうですよね。私たちも、同じように壁にぶつかりましたもの」
独り言のようにレイスが呟く。
「だから、今度は《竜》の持つ生命力に目をつけた。対処療法というわけだがね、千年生きると言われている《竜》の生命力を宿すことができれば、《狂乱病》などどれほどのものか、という……今思えば、愚かな考えだったが」
フューガスは自嘲を交えてそう言った。モースは何も言わない。
「薬と毒は同じもの、ということでしょうか。《狂乱病》は、何か別の副作用にすぎないとか」
ジェラが口を挟む。
「異なる生命を、人の身体に宿すなど危険きわまりないことです」
レイスも恐ろしげに眉根を寄せた。
「そうだね。誰もがそう思うだろう。でも……僕もフューガスも、自分たちならばできると思った。そうして実際に、《竜》召喚の儀式を行ったんだ」
「ボーペルだけは最後まで来なかったがな」
その方法を思いついてから実行するまでには、しばらく時間がかかった。学生だった彼らは《学院》を卒業し、フューガスとボーペルの帰国にあわせて、モースも居をディルワースへと移した。矢筒の《竜の牙》に記されている竜言語をなんとか解読し、それを参考にして魔法陣を描き上げる。フューガスが描いた文字をモースが確認し、修正して完成させたのだ。
「矢筒のほう、ですか。ふーん」
アーシュが背負っていた包みをそっと差し出す。フューガスは始め受け取るような仕草を見せたが、片手でそれをおし止め、首を横に振った。
「《竜の牙》だろう? いや、俺はもうそれに触れることができないのだ」
フューガスの左手は、右手に押さえ込まれている。アーシュにはそれが不自然に見えた。まるで、片手がそれを欲し、もう片手で押さえているように。
「すまんがそれをしまってくれ。……その力は、《竜》を滅ぼす。一度はその力を借りたものだが、皮肉だな。今は、それにうち砕かれることを恐れるとは」
フューガスは口の端だけで微笑む。
「話がそれたな。だが《竜の牙》について、分かっていることは少ないんだ。《竜》の力で作られたがために、《竜》すらうち砕くということ以外は。《貴石の竜王》の3人の子らは、同士討ちで亡くなったとされていることが関係あるかもしれんのだがな。さて、件の《貴石の竜王》アングワースは、俺たちの召喚に応じ、姿を見せたわけだが」
ひゅう、とリュカが口笛を吹いた。
「まず俺は、自分が実験台になった。恐れ多くも《大陸》最後の竜、アングワースに対して血を分けてほしい、その生命力で病に苦しむ民を救いたい、と願った。だが、効果はなかった。その年のうちに、10人以上も消えてしまった。だから次に、国土に根付いている病を振り払うために、新たな領土がほしいと願った。驚くべきことに、アングワースはその身体を提供してくれたよ。それがこの世界、アングワースだ」
モースの顔は、次第に険しくなっていく。彼も知らなかった事実を、フューガスが語っているのだった。いまや、モースの顔は血の気を失って蒼白だった。フューガスは苦しい独白を続けた。
「アングワースへの移民を進めようとして、ついに俺の身体にも異変が起こり始めた。《竜》の血を得たものの、肉体が耐えきれずに変化し続け、次第に《竜》の持つ破壊衝動に身を任せるようになった……」
「フューガス、僕はこの話を初めて聞いた。僕が同席したのは、最初の段階だけなんだね?」
モースは白い衣をするりと下げ、肩の傷をあらわにした。昔、親友をかばってついたという傷。アングワース召喚の際に立ち会った証。モースは泣き出しそうな顔をしていた。
「ねえフューガス。今キミは、三つの願い……三つの罪を説明してくれた。僕は最初の時にその場にいた。あの時の儀式の代償は、キミ自身だった」
話を聞いていた一同にも、賢者が口にしようとしていることの恐ろしさが飲み込めた。
「儀式には、相応の代償が必要です」
レイスが唇をきつくかみしめて、フューガスの誇り高い相貌を見上げた。長身に赤い髪がざわめくように逆立っている。
「エシャンジュをどこへやった」
割り込んできたのは、クーレルの低い声だった。片手に紫の光を宿した杖を、もう片手にはミューを横抱きにして、恐ろしいほど冷淡な表情でフューガスを見つめていた。彼はそっとミューを下ろすと、アーシュの方へ向けて押しやった。こつん、と杖を地に下ろす。紫の光が、弾けそうなほどに強まった。
「エシャンジュはまだ生きている。待っている」
「貴様、エシャンジュの……」
フューガスがその瞳を細め、クーレルを認めた。途端、そのまなざしは、クーレルを射殺さんばかりの憎悪の視線にとって変わった。
「でぃるく」
ミューが不安げに、さっきまでと別人のような魔導操師を見上げる。
「貴様のせいだ。妻の不貞だぞ、どうしてくれる! 俺に隠れて逢い引きしていたんだろう、そうだろう!」
「違う」
吐き捨てるようにクーレルがうめいた。違う。エシャンジュは待っていたんだ。ひたすらに、愛する夫を。それを知っていながら、自分の研究とやらに没頭したのは、貴公の罪ではないか。
「エシャンジュは幸せだったよ、きっと」
「モース、おまえまでそんなことを言うのか! 不実な妻を持たされた俺の身には、なってくれないのか!?」
「エシャンジュさんは今どこにいるの? その方、ディルワース王妃なんでしょ?」
凛とした声で、ジェラが言った。
「もういない」
フューガスの呟きをクーレルが否定する。嘘だ。だって俺には感じられたんだ。エシャンジュはまだ待っている。俺のことを。いや、もしかしたら、夫の貴公のことを。そうだろう?
「儀式の代償には、術者もしくは近親の者が適切だったんだよね? フューガス、キミは、妻を生け贄にささげたのかい?」
「もうひとり、足りません。儀式が行われたのは計3回。最後の贄となったのは、お二人のお子さん、なのですね?」
唇をきつくむすぶレイス。その手から《清流弦》がするりと抜けた。竪琴が地面に落ち、でたらめな不協和音が鳴り響く。
「ディルワースの敵、それは……夢魔、ではありませんか? 居心地のいい夢や思い出を喰らうために人に寄生するもの。《狂乱病》は夢とうつつを行き来します。夢魔導士との旅路で聞いたことがある、そういうものにそっくりですもの」
全員の視線が、小柄な吟遊詩人の上にそそがれる。
「子猫ちゃん、キミは……」
「そう、ずっと考えていました、賢者様。夢は無限の可能性を、願望を引き出すことができる。そこに人はつけこまれるのではありませんか? 夢なくしては生きるのは辛い。でも現の世があるからこそ、私たちの今が存在する、そう、思っています。幾代の時を経ても、それだけは忘れることはないでしょう」
「子猫ちゃんの言うとおりだ」
モースが子猫ちゃんたちを見渡して言う。フューガスはすべてを明らかにしたせいか、幾分疲れたようにも見えた。
「ディルワースの敵は夢魔なのだと、僕も考える。太古の世、それこそまだ《大陸》が夢を見ていた時代、《竜》の版図だった時代から生きている連中だ。人間のルールは通用しないと思っていい。だが、夢魔には《狂乱病》の源となるほどの力はないはずなんだ。あれは、寄生している存在だからね。きっと病原は、宿主のほうだと思う」
「なるほど、夢魔の寄生先を探せばよいのだな?」
ベネディクトンがあごに手をあてて言い、モースがにこりとうなずいた。
第6章へ続く

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