第5章|夜明け前を照らすランプ残響優しさの代償夢から覚めた夢野の百合の誓い断章1断章2マスターより

断章1.それでも僕は愛し続ける

 陽光きらめく《精霊の島》。
 《大陸》でも有数の、魔力満ち溢れるその島にある《学院》は、魔法使いたちにとって憧れの場所だった。正しくは、《大いなる悠遠の旅路にかかげられし灯火たる学び舎》という長ったらしい名前があるのだが、それを知る生徒じたいまれであり、ただ《学院》、あるいは《精霊の島の学院》と呼ばれるのが常であった。
 はるか昔、《大陸》全土を揺るがした神々と魔女の《大戦》の時代よりも前に、この《学院》は建てられたのだという。

 校舎の前にある噴水は、今日も盛大にしぶきをあげていた。素質のあるものの目には、水の精霊たちが楽しげに風と戯れている姿が映るだろう。
「遅いじゃないか」
 《学院》の制服であるローブを羽織った青年が、足をせわしく踏み鳴らしながら、約束の時間に遅刻してきた親友をにらむ。燃えるような赤い髪が、しぶきまじりの風に翻る。ローブがはためくと、身なりよく襟の折れた白シャツと黒いズボンが見えた。
「ごめんね、前の講義が長引いちゃったんだよ」
「錬金術実技か」
 息を切らして駆けてきた青年がうなずいた。彼もまた、同じローブを羽織っている。背格好も服装もそっくりだが、髪の色だけが違った。豊かな金髪が、流れるように肩に落ちている。
「あの教授は好きじゃない」
「フューガスは、嫌いな先生のほうが多いじゃないか」
 フューガスと呼ばれた赤毛の青年は、親友をじろりとにらむと、あたりを見回した。
「ボーぺルのヤツもまだ来ないんだが、もう待っていられない。ちょっと来い、モース」
 親友モースの手をぐいとつかむと、フューガスは人目を避けるようにして校舎の裏へと場所を変えた。
 
「どうしたの、話って、例のお見合いのこと?」
 モースの問いに、フューガスは首を振った。そして、今からとっておきのいたずらを仕掛けようとしている子どものような瞳で、モースにささやいた。
「俺はついに見つけた。《狂乱病》を治す方法を」
 モースは、ゆっくりとまばたきした。
「いいか、誰にも言うなよ。これでディルワースはこの世の悪夢から救われる。だがそれにはお前の力が必要だ」
 モースはもちろん、親友フューガスが国へ戻れば王子であること、彼の国の風土病のこと、そして彼の目的は常にディルワースを救うことにあるということを知っていた。常々フューガスが、風土病を称して「この世の悪夢」とこぼしていたことも。悪夢は寝ている間だけでじゅうぶん、よりによって自分の治める国、《大陸》で一番平和になるはずの国が、得体の知れない病気に蹂躙されていることで、彼は生まれながらに傷ついていたのだ。
 それはプライドというにはあまりに幼い感情。
 国を愛する一方で、国の痛みを我が身に感じる。それはよいことなのだろうか。
「僕の、力が?」
 《狂乱病》が治せるのなら、それは喜ばしいことなのに、なぜフューガスは校舎の裏を選んだのだろう。噴水の前で話してもよかったのに。湧き上がった疑問は、親友の笑顔に押さえつけられた。
「協力してくれるな?」
 こくりとうなずいたモースを、フューガスは満面の笑顔でがばと抱きしめた。そしてそっと彼に耳打ちする。
「《貴石の竜》……あの力を利用するのさ」 
「《竜》の? 君の故郷ならともかく、この《学院》でだって見た人はいないんだよ? もう絶滅しかけている種族じゃないか、って、こんなことは《竜》伝承を研究してきた君には言う必要はないと思うけど」
「違う」
 有無をいわさぬ否定。
 モースは思う。ああ、こういう態度のフューガスをとめることはできないんだ。今までも、これからも。出会ったときから、彼はこの硬質な自信を身にまとっていたのだ。欲しいものを常に手に入れ、周りを従えてきたに違いない。彼自身そうとは知らず。
「《竜》はまだ《大陸》に存在している」
「フューガスだってまだ見たことないくせに。それならどうして目撃されないのさ」
「《竜》の次元を行き来するものが、減ったからさ」
 フューガスはそこまで言うと、ぽんぽんと合図のように親友の背をたたいて身を離した。
「じゃあな。ボーペルには言ってもいいけど、他のヤツらには内緒だからな!」
 くるりと身を翻し、彼はモースに背を向ける。
「……ずるいよ、いつも」
 残されたモースはため息をついた。
 輝く水しぶきの彼方に、駆けてくるボーペルの姿を認める。たくさんの辞書を抱えているその姿は、蜂蜜壺を持ったクマのようだ。モースが手を振ると、ボーペルは全速力らしいスピードでやってきた。

 僕らはいつまで、僕らのままで、3人でいられるのだろう?
 ああ、どうか……。
 
 誰に向けるでもない祈りの言葉は、ボーペルの詫びの文句にかき消される。それは、今は昔の物語だった。

END


第5章|夜明け前を照らすランプ残響優しさの代償夢から覚めた夢野の百合の誓い断章1断章2マスターより