第5章|夜明け前を照らすランプ残響優しさの代償夢から覚めた夢野の百合の誓い断章1断章2マスターより

4.夢から覚めた夢

 マリィ家は、病人がいる家特有の重苦しいムードにつつまれていた。出迎えた新妻ローズ・マリィは、神妙な顔でディルウィード=ウッドラフを中へと招いた。
「ちょうど、たずねようと思っていたところよ」
 応接間のソファーにすとんと座ると、ローズは呟いた。
「ランディおじーちゃんの目が覚めないの。りんごもたーくさんあげたわ。いいって聞いたことは全部やったわ。なのに……」
「それはもしかして《狂乱病》?」
「私も、かかったみたいなの。起きているときにも突然記憶が途切れて、白昼夢を見てるみたいなの。だからね、ディルウィード」
 ローズはうるんだ瞳でディルウィードを見上げた。
「あなたのところの子ども、リーフ君……」
「ええ」
「夢で私と会ったって、言ってたわよね。ランディおじーちゃんにも会えないかしら。私、夢の中であの子と会った覚えはないのよ。シャッセ姫や《白馬の君》、コルム先生がいらしたのは覚えてるんだけど」
「それは《まことの国》と呼ばれている場所ですね。夢を見たときに行くことができるという」
 ディルウィードは、いよいよリーフを帰してあげるべく、行動に出ることを決めた。しかし、彼自身は今までリーフを育てるのにかかりきりだったため、《まことの国》への情報収集と称してマリィ家にお邪魔することにしたのだった。13才くらいに育ったリーフは、最近ではちっとも手がかからず、今は旅籠でフィリスとお留守番である。手がかかる時期が短すぎたようで、ディルウィードには物足りない。もっと、面倒をいっぱい見たかった、というのが彼の感想であった。
「そうね、魔法陣をくぐると行ける場所……でも、わたしは魔法陣をくぐることなく、たどりついてしまったわけだけどね」
「なるほど」
 《狂乱病》というのが一種の精神状態であるという説に従うならば、おかしくはない。トランス状態になることができる者は、魔法陣という手段を使わなくても自由に《まことの国》に行き来できるようになるのだろう。そうして、あるとき帰ってこれなくなるのか。
「辛くはありませんか」
「そうねぇ、声は聞こえるわ。ひっきりなしに、低い呪文みたいに、なんかぶつぶつ言ってるの。でもよく分かんないし、りんごは食べてるから……賢者様に一度見てもらおうとは思ってるんだけど。おじーちゃんみたいに眠りっぱなしになってしまったら、やばいと思うわ。どうにかまだ大丈夫」
「モース様は、ずっと《まことの国》においでのようですからね」
「あら、そうなの? なんだ、じゃあ探して診てもらえばよかったわ」
 とん、と音がして、寝室の奥から上品な老婦人が退出してきた。ゆっくりと客に一礼して去る。あれが、老いらくの恋の相手、サンディさんだろう。ディルウィードはふむふむとうなずいた。そして、ここから先は、単なる知的好奇心、といういつもの言い訳はなりたたないのだと気づき赤面した。
「リーフ君と僕が一緒にいるようになってから、変わった点って思い当たります?」
 ディルウィードが切り出した質問に、ローズは首を振った。彼女はこれまで、ちょくちょくディルウィードにつっかかっていたが、リーフと話したことはあまりなかったのだ。
「リーフ君もやっぱり、《狂乱病》なんじゃないかしら。夢を見ることで、行き来することができるのよ……あの子もディルワースで産まれたんだもの。《狂乱病》になる要素はあるわ。ムズカシイ事はわからないけど」
 たとえ、それが卵でも? ディルウィードの疑問はさらに大きくなる。
 混沌とした要素で作り上げられた卵の殻。それは、リーフを護るためにあったのか、それとも。
「《狂乱病》は、本当にディルワース人にのみ発現するのでしょうか。シャッセ姫のご病気も、もしかしたら……いや、考えがまとまらない。失礼しました」
 手で顔を覆うようにして立ち上がるディルウィード。もう行くの、ととがめるように彼を見つめるローズの視線に気づき、ディルウィードは笑って見せた。
「大丈夫ですよ。僕は決めました。リーフと一緒に《まことの国》に行きます。今までいろいろと下準備してから、だとか、情報を整理してから、とか、考えすぎていたけれど決心がつきました。僕の力じゃ、これが限界なんだと」
 限界、という言葉に妙に力がこもっていた。
「そのことに立ち向かわなかれば。だからあとは、当たって砕けろです。ローズ、ありがとう。参考になりました」
 青年の背中をじっと見送るローズ。ふと、ディルウィードの足が止まり、ローズを振り返った。
「そうそう、あの『一枚の葉っぱ』のお話。物語のラストを、教えてくださいませんか?」
 彼の顔のいつにない真剣さに、くすっと笑ってローズは言う。
「ばっかねえ、もちろん、お父さんにもお母さんにも、沢山の友達にも仲間にも、会えるに決まってるじゃない。なによーう、泣きそうな顔しないでよ、こっちまで泣きそうになるじゃない!」
 本当は、葉っぱは川をくだって、海に出て……今まで見たこともない世界を知ったのよ。でも、仲間には会えなかったの。
 こんなお話、私大嫌いだったわ。だからいつもシスターにせがんで、結末を変えてもらってた。
 今度だって、それくらい、やってもよかったわよね、シスター?


「そらとぶしま、そらとぶしま……」
 ぶつぶつと呟きながら、旅籠で旅支度をしているミスティ=デューラー。寝台に腰掛けたリーフがその様子をじっと見ていた。
「ったく、フィリスもずるいねえ。ぬけがけして《まことの国》に行っちゃうなんてさ。このミスティさんと、ディルウィード父さんもおいていくなんてさ!」
 フィリスの姿がないことを、実はミスティは予想していた。前の日、随分思い詰めた様子だったからである。秘密の魔法の指輪の夢を見た、とかなんとか言っていた。深くは尋ねなかったけれど、フィリスの旅はその指輪を探す旅だったらしい。彼女は一足先に、自分のなすべきことを果たしにいったのだ。きっと。
「しょうがないよ、フィリスかあさんの役目だったんだもん」
「何おまえ、生意気な口聞くようになったねぇ」
 ミスティが、リーフの琥珀色の目をのぞき込み、手甲をはめた拳骨をその頬にあてがう。
「ご、ごめんなさい」
「じょ〜だんよ、冗談。このくらいでびびってちゃ、あんたの将来が不安だわよ
「ミスティ母さんも、アングワースにかえるの?」
「は? いや、私はアングワースとやらに行ったことがあるだけだよ。私は、私の居場所は……ここじゃない、もっと《大陸》の真ん中のほうさ」
 ランドニクス帝国。母国の名前を思い出すと、次々に記憶をたぐり寄せるように、細かいことを思い出すことができた。母国に戻れば、重鎮ともいえるポストが待っていること。《空飛ぶ島》調査から戻って、息抜きの休暇をとり気ままな食べ歩きの旅に出たところを、道中ですっころび、頭を強打してしまったことも。

 ランドニクスは他の諸国に先駆けて、《空飛ぶ島》調査に2班を編制し、送り込んだ。国家予算を少々拝借しての調査である。最新鋭の飛行機械が導入され、調査班はどうにか島と同じ高度まで上昇することができた。だが上陸までには至らなかったと記憶している。移動魔法を用いて内部に侵入するのは、次回の課題となった。

 その結果、かの島の航路はほぼディルワース領土上空を、一定期間で巡回していることが明らかになったのだ。ランドニクスの学術レベルは《大陸》でも一、二を争うほどである。魔法に基づくものならば《精霊の島の学院》に一日の長があるけれど、帝国は《学院》に追いつくように《ランドニクス大学院》なる研究機関を設置している。
「思い出した、私にも大学院の臨時講師の話が舞い込んできたことがあったっけ」
「ミスティ母さん、すごーい」
「いや、すごくない。あんまりにも教授のひとりがセクハラひどくって、殴りつけてやめちゃったし。あれは何の講義だったっけ」
 思い出せ、ミスティ。そうだ。霧が、晴れる。
「竜言語魔法概論。竜言語……りゅう……」
 体中の血が、発火し沸騰するかのような衝撃。ぐらりとミスティがよろめく。リーフが飛び跳ねるようにして、その身体を支えた。
「母さん、大丈夫!?」
 リーフが触れた先が、ちりちりと焦げるように熱い。ミスティが、腰にしがみついているリーフを見下ろした。

 血が、呼び合っている。

「リーフ、あんた、もしかして」
「ミスティ母さんは、《竜》……」
「リーフ」
 ミスティは、はっきりと自分の身体に流れる血を理解した。古代から連なる《竜》の血族。彼女は純血ではなく、どういう理由か、《竜》と人間の間に産まれた一族の血をひいている存在である。そのことを理解した今、彼女にはふたつの《竜の牙》の位置が手に取るように感じられた。あれは、間違いなく《竜の牙》を用いて作られたものだ。身体が教えてくれる。熱い、熱いこの血流が。
 だから、リーフのことを知っていたのだ。
 この子も、《竜》の子だったから。
 ミスティ自身は知らなくとも、身体に流れる血が、それを知っていたんだ。
「違う、違うよ母さん。僕は、人間だ……きっと……」
 ミスティは顔をしかめ、琥珀の瞳をのぞきこんだ。そして、彼の秘密を暴く。
「人間は卵から産まれない」
 ディルウィードは、それをリーフに教えるな、なんて言ってたけど、とミスティは思う。言わなくっても、事実は消えない。隠す必要なんてないじゃない。立ち向かえばいいんだ。みんな。
「おまえは卵から産まれたんだよ。それを、ディルウィードがひろって育てた」
「嘘。じゃあ僕は……ちがうよ。本当の父さんも母さんも、人間だったもん」
「まだ何か、隠された秘密があるのさ」
 ミスティの肌を刺すような衝撃は、もう気にならないくらいまでに治まった。この感触、この血の記憶を見る限り、リーフは《竜》の血族に違いない、とミスティは思う。《貴石の竜王》アングワースの息子とでもいったところだろうか。だが、リーフ本人には知らせていない何かが、まだあったはず。アングワースがリーフを欲しているのなら、こんなまだるっこしいことはしなくてもいい。リーフは卵というかたちで、逃されたのだろうか。
 ミスティはまとめた荷物を背負うと、リーフに手を差し出した。
「行こう、あの国へ。美味しいものもきっとあるだろうし」
 小さな手が、ぎゅっとそれを握り返した。
 
 ディルワース王城、鐘楼。石壁の魔法陣が、誘うようにまたたいている。
 両手でにミスティとディルウィードの腕をにぎりしめながら、リーフはその眺めを堪能していた。
「すごい、すご〜い!」
 ディルウィードは、むっつりと黙っていた。卵の話を、ミスティがリーフにしたと聞いたのだ。
「それだけは内緒にしておいてほしかったんですが」
「は? 何いってんのよ、この甘っちょろオヤジ」
「お、オヤジ……僕は、ミスティさんよりは、若いと……思いますが」
「リーフを助けるのに、彼が自分のことを知らなくってどーすんのよ。ええ?」
「今日はいやに強気ですね……」
「おうよ。だいぶ思い出してきたからね」
 の割には、魔法陣を目にしても、今ひとつピンと来ないミスティだ。この陣の大元となっているのは、竜言語をめぐらした召喚陣のようだ。だが、その外側に描かれているのはミスティの知らないものだった。なんだろう。召喚陣の強化のようにも見える。
 ミスティの迫力に、まあ頼もしそうだからいいか、とディルウィードは自分を納得させた。自分自身を知り、対峙しなければならないのは、リーフだけではない。ディルウィードも、ミスティも、フィリスもそうなのだ。逃げるわけには、誰もいかない。
「じゃあ、行こう」
 3人は手をつないで、石壁に描かれた魔法陣を通過した。
 
 じゃきん。
 灰色の闇の中に、翻った銀色の刃のきらめきが、ふたりの目にうつった。
「リーフ君、ローブの陰に隠れていなさい」
 リーフをかばいながら、ディルウィードは素早くあたりに目を走らせた。リーフを狙う者がいる。ここはまだ、《まことの国》とやらではないらしい。魔法陣の中、閉じられた空間のようだ。敵を倒さねば出られないのだろうか。慎重に、かついつでも放てるように稲妻の魔法を準備する。
 ところが。彼の魔法の発動を助けるはずの指輪は、いつまでたっても魔力を放出しなかった。不安に駆られ、指輪をこすってみる。アメジストは普段と変わらず輝いていた。ただディルウィード生来の魔力だけが、ちょろちょろとアメジストに絡みついていた。
「そ、そんな……指輪の力が、尽きてしまったのか!?」
 愕然と膝をつく魔法使いを後目に、ミスティはぱしんと両の拳をつきあわせた。
「情けないねぇ、そんなモノに頼っていたとは。ミスティさんをごらん。この腕いっぽんで、なんでもござれってもんよ。あ、腕だから二本か」
 恨みがましい目つきでミスティを見上げるものの、ディルウィードは何も言い返さなかった。
「こいつは《竜》じゃあない。ねぇ、リーフ?」
「うん」
 リーフがとまどいながらうなずいた。
「ディルウィード父さん、大丈夫?」
「大丈夫だっての。まったく、どっちが子どもなのよ」
 ディルウィードのかわりにミスティが投げやりに答えた。

『アンタが来るとは思わなかったな』

 舌っ足らずの声とともに、ピンク色をした子どもが現れた。ふりふりのドレス、頭に二つの大きなリボン、その手には銀色の大鎌。年は5才くらいだろうか。ちょっとつり上がった目が、ぱちくりとまばたきして、ミスティ、リーフ、ディルウィードを順繰りに眺めた。
「あんた誰よ」
『くすっ、だーれだ? うふふー』
 子どもは宙に浮いたまま、くるっと一回転して見せた。先端がハート形をしているしっぽが見える。
「謎かけにつきあってるヒマはないのよ。おしゃべりはいいから、《まことの国》へはどっちに行けばいいわけ?」
 いらだちを押さえたミスティが尋ねる。手甲をはめた拳は、たとえ相手が子どもでも、容赦なく振るわれるに違いない。母国では、ナントカいう難しい名前の役人だという話は、本当だろうか、とディルウィードは半信半疑であった。
『アングワースなら、ここをまーっすぐよ。でもね』
 じゃきん、と鳴らされた刃が突如リーフの前に現れた。ディルウィードは、準備していた稲妻を放って少女にぶつけると同時に、とっさに身を刃の前へと躍らせた。灰色の空間に一筋の赤が舞う。ディルウィードのローブが切り裂かれ、肩から胸にかけて、じわりと暗い染みがひろがった。魔法使いの放った稲妻のほうは、子どもの操る鎌に弾かれ、かき消えてしまう。
「ディルウィード!」
「くっ……」
 染みを押さえたディルウィードの手も、みるみる真っ赤に染まってゆく。
「よくも、父さんをっ!」
 リーフが涙を浮かべ、ピンク色の子どもにくってかかろうとした。が、その首ねっこをミスティにつかまれ、彼女の背後へと戻される。
「じっとしてなさい、おまえだいたい武器を持ってないじゃないか。……よくも、やってくれたねぇうちの父さんを。どういうつもりだい? これがアンタの遊びなのかい?」
 ミスティの双眸に、ぎらりと暗い炎が宿ったかと思うと、彼女は自ら鎌の前へと躍り出た。
『きゃあ』
 鎌の刃に沿って、ミスティはその手を滑らせた。赤いしぶきが指先からほとばしる。のけぞる子どもをにらみつけながら、ミスティはその血で複雑な文様を完成させた。一瞬のうちに、ミスティの身体が炎に包まれる。
「ミスティさん、これは……」
「まったく、これだから言うこと聞かないガキんちょは苦手だわ。手こずらせやがって。って、何じろじろ見てんだい、ディルウィード」
 しゃべっている間にも、炎は形を変えて子どもに襲いかかる。
『きゃー!!』
 子どもはくるくると回転しながら、じゃきじゃきとでたらめに鎌をふるった。炎は細かく切断されて、はらはらと地に落ちる。やがてじゅうじゅうと音だけを残し、炎は立ち消えた。
「ち、久しぶりだから、いまいち勘が戻ってないねぇ」
『ちくしょー、何なのよアンタ。嫌な感じだわ。もーうモモ怒った! アンタなんてぜーんぶ食べちゃうからっ』
 泣きべそでつっこんできたピンクのふりふりを、ミスティはばしーんと片手ではじき飛ばした。その手は、固く黒い皮膜で覆われた爪のようになっている。
「《竜言語魔法》? これが……?」
 薄れゆく意識の中でも、ディルウィードはミスティの戦いぶりを見守った。《竜》族が使用したとされる《竜言語魔法》の実際は、今の《大陸》では謎に包まれていた。呪文の詠唱も複雑な身振りも、魔法の発動体すら必要とせず、ミスティは水を得た魚のように自在に戦っていた。
「食べられるもんなら、食べてみなさい!」
 ふわり、と灰色の雲がミスティを包んだ。

 ディルワース城下、商店街の一角にて。
「これで、よしっと」
 ミスティは手にした地図に、赤ペンで大きくマルをつけた。
「ここのお酒はなかなかいけるもんね、もうちょっと交通の便がいいところだったら、絶対買い占めて家に送ったのになぁ、残念。ああ、あとはよさげなつまみもあればパーフェクトだったわね、と」
 その地図は、ミスティが趣味と実益を兼ねて作成していた、ディルワース食べ歩きマップだった。そこここに赤マルと、ちょっと辛口のコメントが書き込まれている。
 ディルワースがこれほどまでに田舎だったのは、ミスティにとってある意味ショックだった。人情あふれる街人たちが、その代表だ。城下町はまだマシだったが、ここの人間の優しさといったら……つい甘えて居着いてしまいたくなるような、居心地のよさを見事に醸し出してくれている。深入りすると危険だ、とミスティは自戒を込めて呟いた。長居は無用。
 だって、自分には戻る場所があるのだから。本当にいるべき所は、ここではないのだから。
「よし、今日のおみやは、大将の店の焼き鳥串にしようっと」
 リーフがすくすく育って、酒につきあうようになったら面白いのに。まあそれにはまだしばらく時間がかかるだろう。ディルウィードもフィリスも、許してくれないかなぁ、やっぱり。つまんない連中だなー。元老院のジジイみたいで。
 
『なあに、それ!?』
「なあに、それ!? と言われてもねえ」
 ミスティは仏頂面だ。
『つまんない、却下だわ。きゃっか!』
 そう言って、子どもは姿を見せなくなった。

「失礼な」
「ミスティ母さん、気をつけて」
 リーフがミスティの赤いシャツをひっぱった。
「あいつが父さんをはめたんです」
「父さん? ディルウィードじゃなくて?」
 ミスティの足元には、ついに意識を失ってしまった魔法使いが転がっている。あり合わせの布での止血は、少しは効果があったようだが、傷は深そうだ。リーフはこくりとうなずき、続けた。
「僕の父さんは、あいつに利用されたんだ。僕も利用されそうになったけど、うまく逃げることができたんだ」
「逃げるって、あの生意気なピンクから? それとも、アングワースからかい?」
 ミスティは中腰で、リーフの顔をまじまじとのぞきこんだ。
「アングワース……それって、母さんたちが探していた、竜王ってひとだよね」
「ん? ああ、まあ人じゃないけどね。ディルワースに伝わるお宝が、《貴石の竜王》アングワースに関係あるものだっていうから、調べている仲間たちがいたんだ。それがそもそも、ディルワースを悩ませる《狂乱病》の元凶じゃないかってね」
 そういえばリーフには、ディルワースの出来事を、きちんと語ったことはないのだっけ。
「アングワースって、父さんが言っていたのを知ってる」
「アングワースは存在するんだね?」
 リーフはうなずいた。彼の指さす先に、ぽつんと小さな光が見えた。灰色の闇の中にあって、それは暖かな窓のように見えた。出口の光だ。ミスティはディルウィードを肩にかつぎ、リーフの手をとってそこへと急いだ。

「ここが、《まことの国》……」
 ディルワースとうり二つの鐘楼の上。ミスティは眼下を眺めて呟いた。
「十字形をしている。たしかにここは、《空飛ぶ島》だったんだ」
「そうです。そしてここは、竜王アングワースの肉体の上に父さんが築いた、ディルワースのもう一つの領土です。でも、僕の知っているのはこれだけ。僕がなぜ生まれたのか、両親はこの世界のどこにいるのか、それは分からないままです」
 ミスティは、リーフの言葉の、いつになく真剣な調子に振り返った。
「だから教えてください。僕は、何をなすべきなのか」
 リーフはさらに姿を変えていた。燃えるような赤い髪をたなびかせた、細面の青年へと。その瞳はまっすぐに、ディルワースを見下ろしていた。

第6章へ続く


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