第5章|夜明け前を照らすランプ残響優しさの代償夢から覚めた夢野の百合の誓い断章1断章2マスターより

5.野の百合の誓い

 世界。
 かつて、そんな夢を見ていたことがあった。だが、その夢は私だけの独り善がりな夢。残ったのは、まがい物の思い出と、あっけなく砕けた夢の欠片に映る冷たい記憶。
 このまま終わるわけにはいかない。バーラットの一族として、そして男として、ましてや族長の血筋として、生まれ持った使命を果たさず、無為に生涯を費やした者を、父祖たちは末席にも加えてくれまい。だからせめて。
 だから、せめて……一族のみんなが夢見ている世界の実現へ向けて、少しでも力になりたい。
 それが、許されるならば。

 王城の地下へと続く階段を下りていく間、オシアンの頭を占めていたのは、魔法陣をくぐり抜ける途中にふと思い出した故郷のつれづれだった。どうしたことだろう。出奔して以来、望んで思い出そうとする必要もないほど、常に故郷のこと、家族のこと、氏族のことを心に留め思いをかけ続けていたオシアンだった。ディルワースに立ち寄ってからもそれにかわりはない。だが、今回の記憶は奇妙に生々しく、砂漠の熱風をはらんでいるかのようにオシアンの心をゆさぶったのだった。
 七つ下の弟や厳格な父は、自分がこんな北国にいるとは、つゆほども思わないだろう。そう思うと愉快でもあり、省みられないことに対しては何か言葉にならないような思いを感じた。
 ディルワースが、もっとバーラットに近く、南方砂漠一帯に影響力を持つ国であったなら。あまりにも荒唐無稽な仮定ではあるが、そういう考え方を教え込まれてきたオシアンにとって、それは無意味な仮定ではありえなかった。それならば、自分は政治力でディルワースの事件を解決しようとしたかもしれない。ディルワースの後ろ盾があれば、バーラット氏族ももっと強硬に、周辺諸国と渡り合えるようになるだろう。オシアンのこんな性格を、アーシュは一刀両断「気を遣いすぎ」などと笑い飛ばしもした。
 
 今、彼はひとりで地下室を目指していた。アーシュはフューガスを尋問するなどと息巻いていたが、面子的にそれは無理だろうとオシアンは思った。親友であるモース様と、あの無茶なジェラの前で、そんなことはできるはずがない。ジェラに対しては、複雑な思いを抱いていた。指図を受けない、と居丈高に言われたのが堪えているようだ。もっとも、腹が立つとかそういう意味ではなく、無鉄砲だけで世の中を渡っている人間を目の当たりにしたショックが大きい。翻って思うのは、やはり自分の未熟さである。
「……こうやって自己分析しているから、アーシュにさんざん言われるんだろうな」
 ぼそりとつぶやいて、オシアンはランプの光が漏れ出ている扉をそっと開けた。修道僧エルム=アムテンツァと商人ゴド・シシューの姿が見える。エルムの方は、オシアンをみとめ、ほっとした表情で椅子から立ち上がった。
「これはオシアン殿。奇遇ですね。ちょうど貴方のお力をお借りできないかと、噂していたところです」
「光栄ですが、そんなに買いかぶらないでいただきたい。私はただの旅人ですゆえ」
 ゴドはオシアンと目が合うと、ぺこりと礼をした。が、彼の杖にちょこんとおさまっている黒ネズミのアフリートに気づくと、びくんと震えてすぐにその目をそらしてしまった。
 オシアンが部屋の様子をざっと見て取る。ここが、目的の地下室だということは明確だった。
「おふたりとも、資料の調査を?」
「ええ、まあそんな所ですね。城主の秘密の実験室のようです、ここは」
 たくさんの本を机に積み上げながらエルムが答えた。
「城主の、ということはフューガスの」
 オシアンは、壁にしつらえられた一面の本棚を見やる。さすがに《学院》の出らしく、資料が山積みとなっている。
 エルムはそんなオシアンの姿を見、しばらくの逡巡の後、グレイのことを打ち明けた。

「人間の盗賊がこの城に? つまり、ディルワース王城を荒らしていった盗賊団の生き残りだと」
 オシアンはその話を興味深そうに聞いた。
「おそらくそうでしょうね。で、厄介なことにですね、その盗賊は訳ありでして、その」
「ふむ」
 エルムの言外の含みを察し、オシアンはうなずいた。
「盗賊などという輩がいるからには、何らかのお宝があるのだろうな。今はもう価値がないものかもしれないが。それをつきとめるのが、鼠退治の早道、か」
 オシアンも、地下室に残されたものの中に手がかりがあるとふんで、ここまでやってきたのだった。相手の正体も目的も対処方法も判らずに当たるのは、彼の流儀ではない。彼はロマンには流されないのだ。 
「そうそうそう、そういうことです。なにやら番人らしき者もいるようですから、こっそりと」
 オシアンの協力を仰げたことに感謝して、エルムは傍らで慣れぬ魔法語を一生懸命たどっているゴドに、にこりと微笑んだ。奇妙な黒装束のまま、ゴドははにかんだ笑顔でそれに応える。この子も不思議な子だ、とエルムは思った。

 グレイとの対峙は、《野の百合の門》の人間としてエルムに課せられた使命だ。最初は心の準備が出来ていなかったとはいえ、グレイとの問答の場面にゴドを同席させてしまったのは、エルムの落ち度だった。あまつさえ、ゴドをグレイの放った魔法に巻き込んでしまうなど、修行不足を痛感するばかりである。
 それなのにゴドは、エルムに何一つ尋ねることなく、彼女の手伝いをしてくれていた。《まことの国》にあって心細いのは、ゴドも同じだろうと思う。だからこそ、彼女があえて黙ってエルムについてきてくれるのが、たまらなくエルムには嬉しかった。今もゴドは、もくもくと書物を調べてくれている。日記があればそれを調べようと思うのだが、紙の書きつけばかりで、まとまった日記帳のようなものはなかなか見つからなかった。
 オシアンがすっと手を伸ばし、机上の一冊を手に取った。アフリートが小さく鳴きながら、書物の隙間をちょこちょこと走り回る。
「綺麗なものだ。インクの匂いも新しい。これは、書物だけでも一財産になるだろうな」
 ディルワースのかび臭い王城とは違い、こちらでは何もかもが時を止めたように真新しい。まるで人の手が加わっていないかのようだ。
「これらはみな、防護に関するもののようなのです。一口に申しましても、環境の防護・生命の防護・精神の防護など、さまざまですね」
 エルムがこれまでの成果をかいつまんで話す。ゴドとふたりで山のような書物をざっと調べ、見当をつけたのだ。

 《まことの国》には、その全土に対して守りの魔法がかけられている。それは外からの侵入を拒み、変わらぬ今を保持するように働いている。常に発動しているこの魔法の源は、城主がこの《まことの国》をつくりあげる際に交わした契約によるのだという。

「特定の何かを守る魔法かと思ったのですが、そうではなく、全土を守るだなんて。城主様はよほど、この地を荒らされたくなかったというわけですね」
 エルムはそう結び、背後の書棚をオシアンにゆずる。
 『魔との対峙』『防護の砦--安全な儀式のすすめ--』『祈願と代償』『召喚奥義』……それらの書名を見るほどに、オシアンの唇がぎり、と固く結ばれていった。
「いくつかは耳にしたことがある。《大陸》でも有数の禁書目録に名を連ねているものばかりだな」
 ゴドはそれを耳にして、ひそかに自分の目に狂いはないことを喜んだ。商人としてでも、ちゃんとやっていけるかもしれない。こんな物騒な品を扱うのは自分の手に負えないだろうけど。
「ゴド、すまないがその本を取ってくれ。ああ、そうそれだ」
 ゴドは両手で『召喚奥義』を差し出した。血のように真赤な革表紙の、いかにも不吉な本だ。悪趣味だが分厚くはない。それらをぱらぱらめくると、オシアンはあるページを開いてみせた。

 ○召喚の失敗……対象が召喚に応じなかった場合、もしくは、対象との契約期間内に目的が達せられなかった場合。
 ○魔法陣の強化……二重の円による対象の束縛。血族による支配。

「一重の魔法陣に、もうひとつの円陣を追加することにより、召喚儀式の成功を確かにすることができる。だが、この方法で魔法陣を強化する場合の代償は大きい。術者は自分の生命力をかけて、それを達成することになるだろう、と、そんなところか」 
「フューガスさんは生きていらっしゃいますね? 通常の生きるという意味とは、異なるかもしれませんが……」
 賢者モースなら、こんな危なっかしい手段を親友に教えはしないだろう。だからモースの手伝った魔法陣は一重の円陣。だがそれを確実なものにするために、フューガスが命をけずって魔法陣をもう一段強化した。
「生命力をかけるくだりは、自分の血で描くとかそういった類のものだろう。実際、召喚術においてはよくとられる手段だという」
「血で……」
 黙って聞いていたゴドの顔から血の気が引いていく。仲間の中にも召喚師の少年がいたけれど、彼もそうやって、力をつけていくのだろうか。
「ああ、なんて顔をしてるんですか、ゴド? 大丈夫ですよ。フューガスさんはちゃんと無事でおいでなんですから」
 エルムの言に、ぎこちなくうなずくゴド。オシアンはそうは思えなかった。大丈夫のはずがない。大きすぎる術を行使して反動がこないはずはない。それに、人としての意識を取り戻したのなら、フューガスの身体だって、もとに戻るはずではないのだろうか。漠然と、この《まことの国》では、偽りがあらわになる、そんな空気があるような気がしてならない。すべてのことには、理由があるのだと。

「安全な儀式なんて存在しない。そもそも安全な魔法など存在しないのだ。すべからく魔法の理は、事象の有様を、意思を介してねじまげるものだからな」
「おっしゃるとおりです」
 エルムは机に両手をついて、あたりに広げられた書物と実験器具を眺めながら悲しげに言った。
「私は《大陸》東部の、とある村の出身です。太陽が昇ると起き、沈んでは床につく暮らしの中で、私たちは精神をとぎすませ、自然と一体の境地を悟るべく修行いたします。人としての殻を脱ぎ捨て、さらに高みへと昇ることができる、それは生命の至高の形だとされております。……でも、ここに存在するのはその対極です。……個人的な話で失礼しました。でも、なぜか」
 エルムは言葉を切って、左手をその胸にあてる。
「この場にいると、それを思わずにはいられないのです。人間が生を望むこと、その美しさと、忌まわしさ。理をねじまげて安住の地を得ようとしたディルワースの人々」
「これで得心がいった。城主フューガスは禁じられた術を用い、悲願達成の儀式をなした……すべては、統治者の、フューガスの意思なのだな」
 吐き捨てるようにオシアンが言った。統治者の意思は、形がなくとも人を縛ることができる。それこそが恐怖だということをオシアンは知っていた。彼はこれまでもずっと、ディルワースの君主の異様なあり方に疑問を抱き、反論を唱えてきた。領主と直談判もした。領主は実際には「領主」にすぎず、ディルワースの実権を国王から預かっていたにすぎないと、今では分かるのだが。
「この国の行く末は、こんなところだったのか? ディルワースの民が、こんな結末を望んだと」
「でも、きっと」
 はじめてゴドが、口を開いた。
「きっと、国王陛下も苦しんだんだと、ウチは思います」
 抱えていた本を机におくと、ゴドは消え入りそうな声で続けた。その目は、ひたすらに床の模様を追っている。どうやって役に立てばいいのか、自分はディルワースに何ができるのか。模索しているうちに道をふみはずした国王の気持ちが、なんとなく分かるような気がしていた。
 役に立ちたいのに、その方法が見つからない。それはゴドがいつも感じている焦り。
 だから今は、あえてエルムに何も尋ねないことを彼女は選んだ。彼女を手伝い、彼女の役に立つ。それは、一番簡単に、ゴドがゴド自身を許せるやり方だったのだ。もっと頭のいい人ならこんなことで、自分を嫌いになったりしない。ううん、違うな。頭がいい人、強い人は、きっと自分を嫌いになったりしないんだろうなあ。

「みんなが、正体不明の病気に苦しんで、おかしくなっていなくなって……大事な人たちがそんな風になっていくとか、そうでなくても、いつかそうなるかもしれないっていう不安……いっぱい抱えてずうっと暮らしていくなんて……ウチ、ものすごく辛いことだと思います」
「だからといって、罰されないでいいという法はない」
 オシアンの語気に、ゴドはびくりと萎縮した。エルムはどちらに加勢もできず、無言で顔をしかめていた。
「あ……すまない」
 きゅっと目をつぶってしまった小柄な商人に詫びるオシアン。
「判断の善悪を問うている場合ではなかったな。ゴドの言うことももっともだ」
「いえ、いいんです。ウチが勝手に思っただけだから」
 後の言葉はゴドの口の中にもごもごと消えた。

 がたん、と扉を開ける音がして、一同はとっさに身構えた。
「グレイ……じゃ、ない。ソロモンさん!」
「ああ〜っと、来てしまいましたねぇ、こっち側に」
 ぽりぽりと頭をかきながら現れた青年は、ディルワースに残っているはずの青年ソロモン・ウィリアムスだった。ひょうひょうとした口ぶりに、一同の身体からすっと力が抜ける。
「それが、ディルワースでいろいろと魔法陣だの《竜》だのについて調べていたんですが、ちっとも埒があかなくて」
 こっちにはもうしばらく後で来るつもりだったんですけど、と言い訳のように付け足して、ソロモンはあたりを見回した。
「うわ、やっぱりこっちの地下室のほうが、段違いに資料が多いですねえ」
「ディルワースには、資料はほとんど何も残ってませんでしたしね」
「モース様のお留守に、あの家にお邪魔するわけにもいかなかったんで。こっちに来たのは正解だったかなあ……。私は、《竜の牙》の敵についての記述を探しにきたんです」
 モースにも似た、長めの金髪をばさりとかきあげて、ソロモンは書棚を順番に眺めていった。
「ふむ、たしかに興味がある」
「でしょう? 《竜》より強い者、戦士とか、剣とか、もっと強い存在とか……そういうものに対抗するためのものが《竜の牙》だと思うんですよ」

 オシアンは弓矢の絵が描かれた図面を手にとった。フューガスが《竜の牙》を利用して儀式を行ったときの、手順が書き込まれているようだ。
「これをきちんと読んでいけば、フューガスの意図があきらかになるだろう」
「《竜の牙》には、弓と矢があったのですよね。矢は矢筒に封印されていて……」
 ソロモンは、茶猫の行っていた儀式の話を聞きかじっていた。
「今はアーシュが持っている。《なりそこない》探知機などと称していたが、《竜》に反応する力があるのは事実だった」
「弓はカロンが利用していた、と」
 矢筒には厳重な封印がなされていたのとはまったく逆で、通りすがりの……と言ってはなんだが、猫にだって扱えたのだ。弓よりも矢のほうが、重要に思える。
 ソロモンと並んで図面を覗き込み、細かにつづられた文字を追いながら、オシアンは考えをまとめていった。

 すべてを打ち砕く《竜の牙》。フューガスの残した研究によれば、その矢こそ《竜》の力を凝縮したものであるという。アングワースの三匹の子らは、ディルワース上空で同士討ちとなった。その肉体はディルワースをとりまく峰々となる。そして彼らの残した牙は、3本の矢になった。
 《竜の牙》が打ち砕くのは、《竜》自身だ。彼らの果てしない破壊衝動に終止符を打てるもの。《竜》の力を無に帰すもの。人の手に負わせるにはそれはあまりに強大である。

「もともと瘴気を持っていたとは、どこにも書いてないな」
「ちょっと待って。ストップストップ。どうして《竜》は同士討ちをしたんです?」
 ソロモンの指が、忙しく本をあれこれめくる。
「《竜》は《大陸》最強の種族でしょう? 同じ《竜》同士で戦うなんて、自分で滅びに行っているようなものじゃないですか。もっと強い生き物に捕食されたならいざ知らず」
 フューガスは、《竜》が減少していった原因に飢餓を挙げていた。  
「私は、《竜の牙》は、《なりそこない》か《竜》か人間を滅ぼすために存在しているのだと思っていましたが……もうそういう種族うんぬん関係なしで、こういうことでしょうか。要は《なんでもぶっ壊せるアイテム》だと」
 エルムの顔は真剣だ。
「ずいぶんとそれは……シンプルな説明だな」
 オシアンが肩をすくめた。キィ、とアフリートがエルムにちょっかいを出している。
「あれ、いけませんか。名訳だと思ったのですが」
「じゃあ、それを用いて何かをぶっ壊す、のは、誰なのでしょう」
 ソロモンが首をかしげる。
「《大陸》最強の《竜》、なのですよね。たとえ我々が、精神の高みへと到達しても、勝つことなどできないでしょうかね」
 エルムの呟きに、はっとソロモンが顔をあげた。振り向いたオシアンと目が合い、声をあげる。
「それだ!」
「しーっ、しーっ、静かにしないと、見つかっちゃうんですよ」
「そうか、精神か。肉体や、それに宿る生命力は最強でも……精神がそうとは限らない。例えば、精神に力をふるうような存在であれば、彼らを内側から食い破っていくこともできる」
「《竜の牙》が本当に打ち砕くのは、そういう相手だと」
「そうだ。精神に対して振るわれる武器。それが《竜の牙》ということか」
 矢筒の封印はまだ解かれていない。来るべき時、振るわれるべき時に、それは解放されるとしたら、きっとその瞬間は刻々と近づいているはずだ。
 そして、それは誰の役目なのだろう?
「グレイには大きすぎる獲物ではないか? 《竜の牙》は」
「……ええ。私もそう思います」
 エルムは嘆息する。左手の刻印はずきずきと脈打ち、彼女にその使命を強要しつづけていた。

 フューガスが守ろうとしたもの。この国をかけて、守ろうとしたもの。
 エルムはつらつらと考えながら、王城の一角へ向かって歩いている。大きな黒いマントに身を包み、頬にはいかつい墨をいれている。同じような格好をしたゴドが、半歩さがってその後に従っていた。ゴドのほうが、黒一色の鎧と仮面に身を固めていて、いかにも歴戦の戦士、に見えないこともない。
「いやあ、助かりました。ゴドがマントの予備を持っていてくださって」
 こそこそとささやき声のエルム。いざ、グレイと対峙するという段になっても、寄り添うようにゴドがいてくれた。彼女が顔に描いた傷痕を、エルムは聞くまで本物と思い込んでいた。それを聞いたゴドのほうも、まんざらではない。
「怖く、ありませんか」
「ウチも怖いけど……エルムだって一緒だから」
 ぼそぼそとそれだけ言うと、またゴドは黙って歩きつづけた。一緒だから怖くない、のか。それともエルムもゴドも怖いのは一緒だから、という意味か。どっちでもいい。エルムにとって、それは久しぶりの道連れだった。

 城の一室で、グレイは待っていた。奇襲闇討ち上等のつもりで乗り込んだエルムは、拍子抜けである。
「よお、審問も大変だなあ。こんな《大陸》の端っこくんだりまで来て」
 せせら笑うようなグレイの言い草にも、エルムは仕事用の硬い表情を崩さない。
「あん? こないだの嬢ちゃんも一緒かい。いいのかね」
「かまいません。私が、一緒に来てほしいとお願いしたのです」
 張りのある声で、エルムは答えた。ゴドはぴくりと眉を動かす。 
「彼女は私の友人です。傷つけたりしたら許しません。《門》の審問官としてではなく、一人の人間として」
「分かったよ。何にもしやしねぇっつの」
 グレイが片手を頭の後ろで組んだ。もう片手はだらりと垂れ下がったままである。そういえばこの間もそうだった。エルムはその手に一瞥をくれ、他意がないことを確認する。
「先日はそれで痛い目を見ましたからね。今日は、話し合いに参りました」
 村で修行をしていたときに、グレイと会ったことはない。察するにグレイは、エルムが物心つくより前に出奔したのだろう。
「《門》を離れるならば、なぜ正式な手続きを踏み、その力を《門》に返さなかったのですか」
「そりゃあ、おめぇ、そんな面倒っちいことしてるヒマなんざなかったから、だろうが」
 上げた手で、ごま塩気味の頭をぽりぽりと掻いている。
「ではなぜその力を、人を傷つけ盗みを働くことに用いたのです」
「おいおい、エルムちゃんよ。じゃあ尋ねるが、アンタは何のためにその力を使うんだ?」
「何って、それは自己鍛錬のためです。少なくとも、他者をふみにじるためではありません」
 ちゃんづけで呼ばれたことに逆毛をたてながら、マントをばさりと翻す。荷物をおろし、耳あてのついた帽子を深くかぶって、エルムは棍を両手に構えた。  
「自己鍛錬さえしてりゃあ、人助けができるか?」
 身じろぎひとつしないまま、ゴドはこの問答がどこへ行くのか、見当もつかずに立っていた。
「弱いままでいるよりも、多くの人を助けることができるでしょう。高みを目指せば目指すだけ、視野が広がります。自然の意思の中で、より新しい道を見出すこともできる」
 エルムも同じだった。グレイは何をしようとしているのか。煙には巻かれない、と若き僧は肝に銘じる。
「王城が獲物とはどういう意味ですか? どう好意的に解釈しても、グレイ、あなたのものは何一つないのですよ。何のために、何を狙っているのです」
「俺のもんだと胸をはって言えるもんが、ここにはあるのよ」
 無精ひげの伸びたあごをさすりながら、グレイはくっくっと喉を鳴らして笑った。
「それどころかな、エルムちゃんのものだってきっとあるぜ。そこの真っ黒いお嬢ちゃんのも」
「何を、非礼な……」
 エルムが叫びそうになったそのとき、ゴドが二人の間にすっと入り、グレイを見据えてこう言った。
「取引、しましょう。ウチは商人です。グレイさん、あなたの狙うお宝を手に入れるお手伝いを、ウチがする。グレイさんの邪魔はしない。だから、エルムの話を聞いてあげて」
「ゴド!」
 その申し出に驚いたのはエルムだ。
「およしなさい、ゴド! グレイに肩入れするなんて」
「いいの、ウチにできることを、ウチがやりたいだけだから……」
 エルムに分かってもらえなくても、直接の解決に結びつかなくても、いい。ゴドは自分に言い聞かせ、こくりとうなずいた。
「ははっ、面白いことを言う嬢ちゃんだねぇ。こんな子が《門》にもいりゃあ、ちっとは修行も面白かったかもしれねえがな」
 喉を鳴らしながら、グレイはゴドの申し出を喜んだ。
「いいじゃねぇか、エルムちゃん。嬢ちゃんの言うとおり、俺にちっと時間をくれないか? 何、目的を達成したらおとなしく、あんたの説教をくらってやるよ」
 そんな態度なら、相手にする分だけ時間の無駄だ。そう思っても口に出さず、エルムはグレイの次の言を促した。
「俺は取り返すんだ。俺の、奪われた思い出をな。この城にいればいるだけ、俺もあんたも、思い出を食べられてる……この城をぶっこわして、トンチキな魔法をぶちやぶって、そんでもって、俺は自分が自分であることを取り戻す。それだけだよ」
「思い出を取り返す?」
「あーそうだ。悪ぃかコラ! 盗まれたものを取り返すだけじゃねぇか、ぐだぐだいわねぇで協力してくれるよな? 嬢ちゃん」
 ゴドはもごもごと何か言った。
「あん?」
「……どうすればいいの、って」
 エルムは力なく、手にした棍を下げた。
「おう、いいねぇ! この城をぶっとばすのさ。思い出を奪ってくヤツの根城にいってズドン! だよ。なぁ? そんでもって、無事に脱出できた暁にゃあ、俺が一国一城の主だな! 《竜の牙》もうっぱらって、ウハウハだぜ!!」
「……そううまく、行きますかねぇ」
 不本意ながらグレイに丸め込まれてしまった形のエルムは、脈動する刻印をもつ左手を眺め、大きくため息をついたのだった。

第6章へ続く


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