1.運命の縦糸
■Scene:白い剣
スティナ・パーソンとサヴィーリア=クローチェは、行動をともにすることが多くなっている。
朝早いスティナの生活にサヴィーリアがあわせ、朝食などもふたりで準備しているのだ。会話は、自然、夜に見た夢の話に及ぶ。
ぎこちない手つきでパンを切り分けながら、サヴィーリアはこんな夢を見た、とスティナに告げた。
「白い剣、ですか〜? このあいだ私が見たのも、そんなような夢でしたね〜」
スティナは手際よく、サラダを盛り付けている。
「同じ夢なのね? ……髑髏の刻印も?」
「はい。不思議ですね〜。でも髑髏の刻印が姫さまがたのお力なのだとしたら、なぜ白き剣に狙われるのでしょう?」
サヴィーリアは手をとめて、召喚師を見つめた。パンは切り口ががたついているのだが、これはサヴィーリアが不器用なのではない。朝食の準備などは、店と同じで弟に任せていたため、こういったことに慣れていないのである。
「目覚めよ死の剣……そういっていたわ。あれは、誰の声だったのかしら」
「私たちの絵にも、白き剣が描かれているようですね〜」
「夢の中では、あの剣は《ルー》の剣のようだったけれど」
スティナはうなずきながら、それでも考えがまとまりきらないといった顔をしている。
サヴィーリアも、はっきりとした解答をスティナに求めたのではない。こうやって手際のよい料理の仕方を覚えることができれば、《大陸》へ戻って弟を驚かせることができるだろうか、などとも考えている。
「そういえば、ティアさんが部屋に来るのでしょう?」
「はい〜。ジニアさんに許可は得ました〜」
「少し心配だわ。ティアさんのこと。考えたくないけれど、ジニアさんの話もあるし、レシアさんの危ない話も耳にするし」
「大丈夫ですよ〜。そういう危険からティアさんを守るために、いっしょのお部屋にしてもらったんですから〜」
「そう、なのよね」
サヴィーリアはうなずいた。本当は、そうやって微笑むスティナのことが一番心配なのである。
■Scene:三人寄れば
ヴァッツ・ロウ。
飾りに選んだ狼の毛皮をすっぽりかぶって、部屋の隅っこでよくうずくまっていた。背は高くて、精悍な顔つきで、声も低くてかすれ気味で。あんまり表情を面に出さないけれど、その振る舞いから、優しいお兄さんなんだろうと思っていた。この《島》でいちばんの仲良しでもあった。
それなのに、今や彼の身は、白い鳥に変じている。
リラ・メーレンは太めの眉毛を八の字に下げて、不幸な青年のためにしばし涙ぐんだ。
ヴァッツとふたりで枕も投げ合った――ヴァッツは主に投げられる側であったが――部屋には、わずかばかりのヴァッツの荷物が残されている。せっかく領地も決めたのに、とリラはリアルにこぼした。
「でも生きてるから」
人形師リアルはお手製の人形を両腕にはめたまま、リラの肩にちゃっかり陣取っている鳥を見やる。
「人間に戻ることだってできるはずじゃない」
鳥は気恥ずかしいのか、ぷいと顔をそらした。羽毛は白だけれど、彼が頬を染めているのかまではリアルにはわからない。
「うん。そっか。それもそーっすよね!」
勢いづいたリラに、ん、とリアルはうなずいてみせた。
「それに《満月の塔》へ行けば、願いが叶うのでしょ」
「そうそうそうそう! そうなんす」
「ヴァッツを元に戻してもらうっていうのもいいかもね」
「やっぱ人に戻ってほしいっすよねえ」
「戻れる。きっと」
「なんかリアルさんにそういわれると、そんな気がしてきたっす」
リアルがしばしば断定的な口調になるのを、リラは前向きに理解した。
リラの肩で聞いていたヴァッツは、女学生ふたりが自分のことを話題にしているこの状況に、ひたすらおろおろしている。もちろん、嬉しい。彼女たちが手伝ってくれるのだから自分も頑張らねばならない。他人事ではないのだし。
ヴァッツが羽根を休めている間にも、リラはてきぱきと空き部屋から持ち込んだ毛布を整えている。ヴァッツを元に戻すという目的が一致した女学生たちは、同じ部屋で暮らすことにしたらしい。リラいわく、「ヴァッツさんの寝台はヴァッツさんがまた使うから」リアルには自分の寝台を使ってほしい、のである。ももんがの尾があるから寝心地もそんなに悪くない。尻尾を抱きしめ、やっぱりこれを選んで正解だった、と満足するリラ。
「……だから、この境界線からこっち側が、私の領地。ヴァッツさんのところはすこーし狭くなるっすけど。あ、リアルさんの荷物置き場はここっす」
仕切りたがりのリラにより、新たな決まりがこの部屋に付け加えられてゆく。
「荷物置き場?」
祖母とふたりで暮らしてきたリアルには、このあたりのリラの細かさが新鮮に映るのだ。きょとんと紫色の瞳でリラを見つめながら、いわれたとおり丸っこい熊のリュックを下ろした。この熊にも精霊たちを宿すことができるのは、犬と猫の人形と同じである。いわば、人形師の仕事道具だ。
「そうそう。こういうのは最初に決めておいたほうがいいっすから」
「……そうなの?」
「そうっす。ヴァッツさんの荷物置き場はここだったんす」
リラが示した指の先には、ヴァッツが始終手放すことのなかった袋があった。
ばさばさばさ。ばさっ。途端にヴァッツが激しく羽根を振るう。
「ああっヴァッツさん。そんなに羽根を撒き散らすとまたジニアさんに怒られるっす!」
ばさばさばさ。
ヴァッツの抵抗むなしく、リアルは無造作にその袋を手に取った。むしろ、ヴァッツが抵抗すればするほど、リアルは中を見たくなる。彼女は、自分から人に関わることに決めたのだった。そのために旅に出たのだから。袋を暴きたいという好奇心は、遅まきながら芽生え始めたリアルの自立心でもあった。
「在りし日のヴァッツさんは、よくそのマリィ袋と戯れていたものっす……」
そういうリラは、絵画の話を耳にしてからというもの、袋の中身は女装道具かと思い始めている。なるほど、確かにヴァッツから、髪を結えばいいともいわれたし。なんとなく納得する。
水色のツインテールを揺らして袋を覗き込むリアル。両手の犬と猫の人形も一緒だ。リラはこぶしを握り締めた。
袋の中からでてきたのは、白いもこもこした……うさぎのぬいぐるみ。
マリーベル、と刺繍されたりぼんをつけている。毛並みは見るからに上等で、丁寧に作られ扱われてきた人形であることが、リラにさえもわかる。キヴァルナの測量道具を目にしたときもそうだった。いいものは、輝いているような気がする。人形師のリアルなら、はっきりとその違いが見えるのだろう。
「マリーベル。マリィ……マリィ袋」
リアルの口からマリィという言葉が出るたびに、ヴァッツは身の縮む思いである。翼で目を覆う。羽根の隙間から、動きを止めている女学生たちが垣間見え、またヴァッツは身悶える。
知られたくなかった秘密。
いい年した男のくせにうさぎのぬいぐるみを愛でているなんて。りぼんも洋服も手作りしたなんて。はりきって名前をつけて刺繍もしたなんて。
ヴァッツは思い出した。伝書鳩を見たあの日のことを。姉の助けを借りてようやく実らせた恋が、終わってしまったあの日のことを。もうどうでもいいと思った。自分なんてどうしようもない、何もうまくいかない、母や姉たちに使われるだけ使われて、可愛い恋人にも振られて、話し相手はマリィだけだった……。
「かわいいっすねー、うさちゃん」
「コレ、マリィ?」
「あ。マリィ。マリーベルちゃん。そうそう」
「すごく大事にされてる。神性工芸に近いかも」
「神性……?」
「キヴァルナの道具みたいな。魂をもつ道具、精霊が宿る道具ってコト」
呟きながら、リアルは猫の人形でそっとうさぎの毛並みを撫でた。新しくもないけれど古すぎるというわけでもない。二十年は経っているから、ヴァッツが小さい頃に買ってもらったりしたのだろう。
「ものを大事にする人、好き」
そういうリアルの顔は和んでいた。
「うん。ヴァッツさんが戻るまで、マリィちゃんを大事にとっておかないといけないっすね」
リラもうなずいている。ヴァッツがなぜあそこまでマリィに執着していたのかは、本人に聞いてみるしかないけれど、別段変わったことには思わなかったのだった。
そしてヴァッツは、シンシアとはまったく違ったふたりの反応に勇気百倍、俄然やる気になったのであった。
■Scene:ふたりの天秤
アンナ・リズ・アダーは、騎士クラウディウス・イギィエムに対して思うところがある。だから、こんな自分らしくもないことを思いついたのだ。
レオの服を縫い上げた報酬を、わざわざ請求しに行くなんて。
一介の紡ぎ手である自分が、この《島》で、よるべない子どもにしてあげられる唯一のこと、それがレオのための服作りだった。だから騎士さまからの依頼がなくても作っていたに違いないし、そもそも騎士さまから正式に依頼があったからといって、報酬などはなから受け取るつもりもなかったのだ。最初は。
……相手は騎士だ。それもランドニクスの若獅子。筋金入りの貴族さま。
アンナはそっと視線を落とした。足首に嵌めた木の鈴がこすれた音を立てる。
胸に浮かぶ故郷エーラの風景。はるか遠い《大陸》で、変わらぬ日々を過ごしているであろう見知った顔……いや。変わらずにいられるはずがない。ランドニクスの内乱は、戦地だけを変えたのではないから。
アンナは小さく指印を切った。故郷の職人たちがひそかに信仰をあたためてきた女神への祈りだった。
「変わっていくのが、悲しかったんだ。どうしたらいいのかわからなくて。変わらずにいたいって、そうやってたくさんの人が願っていたに違いないのに、ねえ」
小さく呟くともう一度足元の鈴が鳴った。
彼女は故郷を去った人間だった。旅に出た18の時以来、一度も戻ってはいない。故郷を去ることができなかった人たちに対しての後ろめたさ、変わっているであろう有様を目にすることへの恐れ、そんな弱さが、彼女の足を故郷から遠ざけている。
《大陸》から忘れられたこの《島》からも、女神への祈りは届くだろうか。
浅い眠りに寝返りをうつレオの脇で書き物をしていたクラウディウスは、アンナを認めるなり立ち上がると、貴婦人にするのと同じ仕草でその手をそっとおしいただき、荒れた指先に口付けた。
「マエストロ・アダーと呼ばせていただく。私の新帝陛下に、あれほどふさわしいお召し物は考えられぬ」
驚いて指先を引っ込めたアンナは、それでも気丈に申し出る。
「望むものをいえば、騎士さまは何でもくださるのかい」
プラチナブロンドの巻き毛と暗緑の瞳を見ていると、歌姫の顔がなぜか浮かんだ。ああ、あのひとも緑色の目をしていたんだ。次いで浮かんだのは、やれやれ、という感動詞であった。
「私の定められるものであれば何でもお約束しよう」
ちらりとレオを見やる。ハリネズミのマントから、かすかにアンナの縫った服が覗いていた。
「それなら騎士さま。どうか約束しておくれ」
クラウディウスの瞳が、ほんのわずかしかめられる。身構えるかのように。
アンナは声を潜め、レオを起こさぬようにささやいた。
「《島》にいる間だけでいい。レオのためだという理由で人を傷つけないこと。そして、必ずレオとふたりで《大陸》に戻ること……この二つの約束を、どうか」
許されることではない。平民が貴族に対して何かを望むなど。機織りの街エーラの民が、ランドニクスの騎士と何かを約束するなど。
でも、レオは、ただの子どもだ。やがて来る選択のときにレオが何を選ぼうとも、それはレオの道。アンナはそうあってほしいと思っている。新帝陛下のためだという大義名分によって、クラウディウスがみすみす苦難を背負う――それも背負うのは自分ひとりでいいとばかりに、次々と重荷を積み重ねて自分を追い込んでいく。そんな必要はないとも思っている。
その一方で、彼はそうせずにはいられない人物なのだともわかっている。自分を追い詰めずにはいられない。自分で背負わずにはいられない。自分で断罪せずにはいられない。
「マエストロ・アダー。イギィエム家の誇りにかけて、貴女との約束を守りたい。ですからひとつだけ、貴女に尋ねることを許してほしいのだが」
乾いた唇をそっと湿して、クラウディウスは残酷な計算式を提示した。
「仮に誰の命も等しい価値があるとする。すると、十の命を救うために一の命を滅ぼすならば、これは単なる流血とは異なる。事態はむしろ、極めて道徳的とはいえまいか。ことによっては合理的ですらあるかもしれぬ。違いますか、マエストロ」
ことによっては。
例えば、放っておいても長くは生きられぬ命を犠牲に選ぶような場合には。
「……可哀想だ、と思うよ」
長い沈黙の後アンナはぽつりといった。
たくさんの言葉が胸の奥で渦巻いている。クラウディウスの計算は、命の価値をはかる尺度をもたないところに成り立っていた。アンナはうつむき、唇を噛む。クラウディウス個人の価値など関係ないのだ。誰の命だろうと等しく一と数えるから。理屈は理解できるし、クラウディウスの立場がそういわせていることもわかるけれど。
イギィエム家の、あるいは若獅子騎士の立場を離れた彼は、何というだろう?
「戯言だ、忘れられよ。決して無意味に命を捨てるような真似はせぬから」
クラウディウスはさらりとそういって、アンナを困らせてしまったことを詫びた。
ふたりの間の静寂に、かすかにレオの寝息が割り込む。
「それが道徳的だとあなたが決めたのだから、それは誰にも変えられやしないよ。悲しいことだけれど」
レオの肩口にそっと毛布をかけてやるアンナ。
「……他の誰でもない、そのひとに、生きていて欲しいと願っているから。道徳とか合理性とか、そういう計算は、そのひとを救ってはくれないからね」
アンナには、クラウディウスの持とうとしない尺度がある。人それぞれに命の重みが違うということ。平行線だ。
血色の戻ってきたレオの顔を眺めると、アンナは彼らの部屋を辞した。
クラウディウスは気づいただろうか。貴婦人のごとく荒れた指に口付けたその際、ちりちりとざわつく快楽の炎がほとばしったのを。アンナの手の甲で、髑髏の刻印がうずいている。
残されたクラウディウスは、ふたたび机に向かい書き物を続ける。紋章入りの報告書だ。
インク壷の傍らには小さなオルゴールが置かれている。数少ない、クラウディウスの私的な持ち物のひとつ。粗末な木箱、小さな取っ手。蓋をあけて取っ手を回せば音が鳴る、それは手作りのオルゴールであった。
受け取ったときのことは忘れられない。少年は大事そうに持っていたそれを、貴方に、といってクラウディウスに差し出したのだ。壊れてしまいそうな小箱を、クラウディウスは迷いながら両の掌でそっと受けた。突っ返したりするなよ、とアルヴィーゼがいったから、クラウディウスはそれを大切にすることに決め、少年にもそう答えたのだった。
「……アルヴィーゼ」
書きかけの報告書の宛名もまた、その名である。
長くは生きられぬ命、尽きるときに備えた遺言のつもりであった。
■Scene:夜の海
《島》をとりまく広大な海。昼は陽光にきらめき、夜はねっとりと液化した闇のように広がっている。
肩にひっかけた乾布で銛の手入れをしながら波打ち際を歩いていたマロウは、ジニアがそこに立っているのに気づいた。
「伝書鳩なら、来てないぞ」
「……ええ」
「風はけっこう強いけどな」
マロウの言葉に答えるように、海風が此方に吹きつける。ジニアの髪と長いスカートの裾が、ばさばさと翻った。
鳥の羽音のようだ。マロウはそんなことを思い、しぶきを浴びた顔を拭いた。
「伝書鳩はもう飛ばないかもしれない」
「そうか」
それは、ふたりの役目が終わるときが来る、その可能性を示した言葉でもあった。
此度のまろうどは、姫君たちにとって特別なものたちになるらしい。けれどそのときが来たら、姫君の使用人である自分とジニアがどうなるのか、マロウには知るすべもない。音術で引き出された自分の記憶が一役買っているのかもしれないが、マロウにとってはどうでもよいことである。
「じゃあ……行くのか」
「わからないわ」
この女は変わった、とマロウは思った。
冷徹で感情のこもらぬ物言いとふるまいこそが、ジニアであった。はずなのに。
「……変わった、といいたいのでしょう」
「別に。俺にはかかわりのないことだ」
「変わったのは姫さまたちのほうよ。だから」
私も、変わってもいいかもしれないと、思い始めた。
「行けばいいさ」
マロウはジニアから逸らした視線を海の彼方へと飛ばす。
行けばいい。止めていた時間を動かしに。
スカートの裾を押さえ、ジニアは背を向ける。砂に沈む厚底靴を引き上げるように、ゆっくりと浜辺を歩いている。
しばらくぼんやりと海を眺めていたマロウも、やがてジニアの足跡を追って館への道をたどり始める。
《パンドラ》の餌を捕る必要も、もはやなくなったのだ。
■Scene:姫君
(あの、音術師)
レヴルがゆっくりと瞬きして、姉姫にもたれかかる。長い睫毛が姉姫ウィユの首筋をくすぐった。
(こどもをみごもったのですって)
ふふ。ウィユは吐息に笑いを混じらせる。
(《パンドラ》の次はあれね)
(……そう思う?)
(だって……《パンドラ》はもう名前を取り戻してしまったのですもの)
妹姫がくすくすと笑いながら、閉ざされた唇を姉姫の柔肌にはわせた。
(ティア、ですって。ね)
姉姫の唇がふわりと持ち上がる。
(でもやっぱり、哀れで可愛いことには違いはないわ)
妹姫の白い喉が、ついとのけぞり天にさらされる。
(鳥たちもまだ、《パンドラ》を貪りたがっているもの。ね?)
互いの指を絡め、ふたりの姫君は睦みあい続けている。
■Scene:同じ舞台
エルリック・スナイプはティアを伴って姫君のもとを訪れた。
「おや……」
くすくすと笑いながら姉姫は睦む手をとめ、エルリックとティアを招いた。
「えっと。《パンドラ》がティアに変わった……いや、戻ったわけですから。しきたりに従う必要があるのかなあと思ったんですが」
エルリックは、そっとティアを姫君の前に立たせる。もじもじとティアはうつむいた。
「ティアもまろうどってことは、飾りを選ぶんですよね」
姫君たちはええ、と答えた。彼女たちは、《パンドラ》の物語がティアの物語に変わったことに対して、特に不満はなさそうに見えた。
つまり、ティアはティアのままでいてもかまわない、ということだ。エルリックは安堵した。姫君のペットがいきなりペットでなくなったわけである。勝手なことをした、と怒られたら困るなあなどと考えていたのであった。
「じゃあティアにも選ばせてあげてください。僕も見ていていいかな?」
「あ、あの。私……飾り?」
「うん。僕のこの尻尾みたいに、飾りをどれかひとつ選ぶしきたりなんだよ」
エルリックは白い飾り尾を振って見せた。
「僕たちみんな、この《島》に来た時に選んで、好きなものをつけたんだ。ティアを案内したいんですけど。あの装飾品の部屋へ。ジニアさんは……?」
お待ちなさい、と微笑む姉姫。
ティアの手をとっていたエルリックが振り返る。
「《パンドラ》は……すでに飾りを選んだではありませんか」
「え? でも。《パンドラ》は、漂流してこの《島》に流れ着いたときから獣の姿のままで……」
途中でエルリックは言葉をとめた。
マロウは何と言っていたっけ。
――姫さまにはそう見えたんだろ。俺が拾ったのは、獣じゃなかった。
――姫さまの力は、何かを利用してしかあらわれない。
――俺が見つけたのは……襤褸切れと海草に塗れて、大きな怪我を負って……日焼けと魚に食われた跡で傷だらけになった……人間だ。
「あれ? あれ?」
繋いだ手の先、視線をたどるとティアがじっとエルリックを見つめていた。
「飾り、選んでいたの?」
「わ、私。わからないわ」
姉姫はジニアを呼んだ。女使用人は影から抜け出るように、冷ややかな仮面そのままの表情で現れた。その手には、《パンドラ》だったときにまとっていた毛皮があった。背に髑髏の刻印を穿たれていた獣。鳥の子が生まれたときには、皮を脱ぐようにくたりと萎れていた。
「展示室にこれが落ちていた」
ジニアは毛皮を差し出した。
「獣の皮かと思ったけれど、これ、外套ね」
「それが飾りだったんですか?」
まるで、あの時のティアは。獣、そのものだった。
くすくすくす。姫君たちがまた笑った。
「絵を見ましたか、役人」
「ティアの? 見ました。《半分》と題された絵を。毛皮の外套を着ている絵を」
エルリックはもういちどティアの姿を見た。
レオとよく似た面差し。金髪。すらりとした四肢を包む、ふわふわの鳥の羽根で仕立てられた外套。腰には、スティナが贈った皮帯を巻いている。
「まさか」
エルリックはティアの手を引き、もう一度展示室へ出かけた。
姫君の笑い声が追いかけてくる。
「……!」
見上げたティアの絵は、わずかに変わっていた。
絵の中のティアも、毛皮の外套から、鳥の羽根の外套に変わっている。白い剣はまだ、描かれていない。
「どういうことだろ」
アレクは言っていた。展示室の絵は2種類に分けられる――飾りをつけているか、飾りを外し剣をもっているか。そして《パンドラ》の、今のティアの絵はどちらでもなかったと。
「剣を持ってないから、まだ飾りをつけてるってことだよね?」
ティアは覚束ない表情で、エルリックを見つめている。
「だったらいいのか。よかった」
とりあえず、良しとするエルリックであった。
2.レオの朝、ティアの朝 へ続く
1.運命の縦糸|2.レオの朝、ティアの朝|3.姫ならぬ者|4.勝利と破壊の御名の下|5.処刑と断罪|6.墜ちた月|7.鏡と半分|マスターより