PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第5章

4.勝利と破壊の御名の下

■Scene:いつもと同じような朝

 滞在者本部ことルーサリウス・パレルモの部屋には、セシア=アイネスが入り浸っている。
 絵画に関する情報をまとめることができたのは、セシアの力もあってこそだった。司書だったセシアは、情報の記録や保管に手慣れていたから、仕事がずいぶん捗るのである。これは本当に有難かった。
 旅人たちも何やかやと本部に報告してくれるようになった。ルーサリウスは自分の力だとは思わない。自然、旅人たちの間に協力して事態にあたろうとする気持ちが生まれたのだろうと思っている。
 さて、その日滞在者本部へやってきたセシアの様子は、どこかいつもと違っていた。
「おはようございます……どうしました?」
 顔をあげ、セシアを見つめるルーサリウス。彼には、なんとなく雰囲気が違う、ということまでしかわからない。何かが違うことは感じられるのだが、余計にもどかしい。
「別に、どうもしませんよ」
 平静を装ってセシアはルーサリウスの脇を通り過ぎ、自分のいつもの仕事場所、脇机へと歩み寄った。
「そうですか。根を詰められているのでは?」
「好きなことをやっているだけです。半地下の書庫に閉じ込められているよりよっぽど面白い。これくらいは根を詰めるうちに入りませんよ」
 それならよいのですが。安堵したルーサリウスはじっとセシアを見つめる。
「何です? ルーシャ」
 ふちのない眼鏡を取り出しながら、セシアはけげんそうな口調で尋ねた。
「手伝ってくださって、本当に感謝していますよ。セシアさん」
「……感謝の言葉は、無事《大陸》に戻ってからにしてください」
 セシアはふいとそっぽを向いた。ひょこ、と飾り耳が揺れた。
 ルーサリウスは気づかない。セシアの頬が桃色に染まっているのを。
 無事、《大陸》に戻ることができたなら……その言葉をルーサリウスは額面どおりに受け取っただろう。会えなくなるのは嫌だった。仕事ができるからだとか優しいからだとか、理屈はセシアにはわからない。
 ルーサリウスと殺しあうことになったらどうしよう。
 ルーサリウスが誰かに殺されたらどうしよう。
 ぐるぐると渦を巻く不吉な予感に、セシアは呑まれている。
「すみません、セシアさん。これを」
 物思いに沈んでいると、ルーサリウスが一枚の紙を差し出していた。
 奪うようにつかんだ後、はっとなってセシアは身を固くした。一瞬ふたりの指が触れ合って、ぞくぞくするような快感が襲い掛かってきたのだ。離れるとそれは波がひくように消えていった。わけもわからずセシアは書かれている文字を追いかけた。
 内容はなかなか頭に入ってこなかった。
「調査……海の、中……珊瑚……」
 書かれていたのは、螺旋階段の調査概要であった。ルーサリウスはもういちど、この《島》について調べてみるつもりなのだった。
「他にも、この階段に行ってみようとしている者たちがいるらしい。それなら皆で行くのがいいと思っているのですけれどね」
「僕も、行きます」
 反射的にセシアは告げた。ろくに内容を理解せぬままだったけれど、ルーサリウスが行くなら自分も行かねばならないと思った。
「手伝ってくれてありがとう。でも仕事だけじゃなく、他に興味のあることがあるなら……」
「手伝いたいんです、ルーシャ」
 セシアはそう言い張って、ルーサリウスを見上げた。
 仕事ばかり追いかけて家庭を失ったルーサリウスは、セシアが同じ轍を踏まぬよう気遣ったつもりだったのだが。彼女のほうが仕事したがるというのはいかがなものか。
 ため息のようなものを吐き出し、ルーサリウスは肩をすくめる。
 自分はもう戻れないかもしれないのに。エルリックにだけは、先に伝えてあった。螺旋階段を下りたら、もう戻ってこられないかもしれない。そうなった場合には、他の方法を探し、選択してほしいということを。
 ルーサリウスは選択することを決めている。

■Scene:勝利と破壊(1)

 そんな、かすかな緊張を孕んだ滞在者本部に、珍しい客が訪れた。
 ヴィクトールとリモーネである。ふたりは互いに予想もしない出会いに等しく驚いた。もちろん、その後の反応は違う。リモーネは慌てて薄紗を引き寄せ顔を背けた。ヴィクトールはにやりと笑い、彼女に声をかけるかわりに、乱暴に棘のついた手甲で扉を叩いた。
 ふたりの用件は、ともに本部への報告である。
 ヴィクトールに半ば強引に座らされたリモーネは、ルーサリウスが促すままに夜伽の数え歌について語った。
「姉姫ウィユさんが歌の続きを?」
 こくりとうなずくリモーネ。ああ、それにしてもなぜ? こんな明るい時間にめぐりあってしまったのでしょう。かの方に本部は似合わないなどと、私が思ってよいことではないけれど……。
「夢で聞いた節回しで歌ったとおっしゃいましたね?」
「ええ。
 ♪鳥と刃は剣を手に。狐と犬も剣を手に
 ♪鳥なら落とし、刃なら折り、狐なら撃ち、犬なれば手なづける
 ♪すべては《死の剣》の選ぶがままに ……そして、この後に続く歌詞があったのです」
 リモーネは瞳を閉じて歌を放った。旋律が身に刻まれているようだった。姫君の前で歌ったときのおののきを忘れたかのように、歌姫の歌はあたりに満ちた。
「♪快楽の輪舞 死の輪舞
 ♪硝子細工は壊しましょう 氷菓子なら溶かしましょう
 ♪舞い踊る獣たちが足をとめるとき
 ♪《死の剣》は選び取る 互いの鍵を
 ♪捧げた死の数 開いた鍵の数 きざはしの数
 ♪見出されよ もう一振りの剣」
 歌い終えたリモーネがそっと息をつく。ルーサリウスとセシアがペンを走らせる音が、ずいぶん大きく聞こえた。
 歌を書き留めているのね。歌姫はルーサリウスのペンの動きと、その指に輝く大きな指輪をじっと見つめた。動くものを見つめていなければ、おかしくなってしまいそうだった。
 ……これで私がいなくなっても、歌は残るのかしら。それとも戯れの数え歌など、誰からも忘れ去られてしまうのかしら?
「すごい。これで意味が通じるじゃないか」
 セシアは興奮気味に目を輝かせた。
「きざはし。螺旋階段。なるほど、そうですね」
 あごに手を添え、ルーサリウスは考えた。ジニアの話とも辻褄は合うようだ。
「それにしても……歌の端々に残る不吉な、あるいは破壊的な表現。不安にさせる歌ですね」
 氷菓子に硝子細工。手帳を開けば、それはスティーレとリモーネの絵に附された題名であることがわかる。壊す? 溶かす? 彼女たちの物語は、どうなるのだろう。
「《死の剣》。白い剣のことだ。間違いないな」
「剣は、私の手の中にもあらわれました」
 いいながらリモーネは身を震わせた。
「まさか貴女も戦いを?」
 ルーサリウスはちらとヴィクトールを見やる。彼ら――クラウディウスやヴィクトールの場合は、争いごとの最中に剣が現れたのだ。小さな木の椅子にどかりと腰を据えた無法者は、ルーサリウスのとがめるような視線も気にせず、ただリモーネの話の続きを待っている。
「とんでもございません。実は……私にも、理由はわからないのです。ただ」
「ただ?」
「ウィユ様はおっしゃいました。硝子細工が壊れぬ方法を教えましょう、と。そうしたら、いつの間にか光が」
 セシアがしたり顔でうなずいた。彼女の絵にも、白剣は描かれていた。
「貴女はその白い剣を操れるのですか?」
「いいえ。そんな恐ろしいこと」
 セシアの問いにリモーネは目を伏せた。
「恐ろしい? 試してみる価値はあると、僕は思いますけれどね」
「やめておけ」
 ヴィクトールがつぶやいた。セシアは突然割って入った男をしかめ面で見返した。
「……いや。何でもない」
 すぐにヴィクトールはセシアの相手をやめた。面倒になったのだ。
「リモーネさん」
 手帳をしばしにらんでいたルーサリウスが、穏やかに語りかけた。
「私たちは人数を集めて、螺旋階段を下ろうと思っています。ヴァッツが見つけてくれたのです。新しい道は海中にありますが、もしかしたらそこから《大陸》に戻ることができるのではないかと思っています」
 彼女たちが壊される前に。溶かされる前に。ルーサリウスは、見えない歌に急かされるような気持ちである。
 すい、とリモーネは立ち上がった。
 小柄な歌姫は、流水の鱗のような胴衣をひらめかせてルーサリウスの耳元にささやいた。
「私は《大陸》に戻りたいとも、《塔》で願いを叶えたいとも思えません。いっそ……誰かの剣に選ばれれば。壊れもせずに忘れられるより、壊して覚えていただくほうがましですわ。ずっと」
「まさか、貴女は」
 舞台に立つときの微笑を浮かべたリモーネは、ふわりとルーサリウスから身を離す。
 ヴィクトールとはけして目を合わせずに。泳ぎ去る魚のように。
「必要ならばこの手の髑髏を差し出しますわ」
 金色の鱗、エメラルドの雫。リモーネの様はヴィクトールの視界でちらちらと、残像になって焼きついた。彼の愛想のない顔はいっそう仏頂面になっている。ロザリア、リモーネ。それに、あの女。血を分けた、あの金髪に翠玉の……。
 けれど彼は、待てとはいえない。
 なぜ思いをとどめる必要がある? 自分が声をかける必要がどこにある?
 金髪だから。翠玉の瞳だから。冗談じゃない。
 だが……髑髏に剣を刺す? その行為が意味するところを、獣以外に知る者はいるのだろうか。

■Scene:勝利と破壊(2)

「俺は、伝書鳩を飛ばした奴の望みを叶えてやろうとしていた」
 誰に問われるともなく、ヴィクトールは低い声で呟いた。
「あれは招く鳥だって御伽噺にゃあったからな。誰かが何かを託してるんなら、そいつに付き合ってやろうと思った」
「ええ」
 ぎらりと眼光鋭いヴィクトールに、ルーサリウスは穏やかに答えた。
「結局、あれは何なんだ? 学者は何だって言っている?」
「元学者なら、姫君のところにいますよ」
 語気に棘をはらませるセシア。
「謎々は彼女がいちばん得意ですからね。僕たちは《月光》じゃあるまいし、そもそもの《島》の作り手の意図など見当もつきませんよ」
「俺がいいたいのは、だ」
 ヴィクトールはうめいた。自分の答えを出すために考えていたのだが、これ以上は迷路であった。
「姫君たちの願いを叶える、あるいは彼女たちの探し物を見つける。それが《月光》の望み……だろう? けれど、まろうどが伝書鳩に姿を変えた。あの鳥は……俺のところにやってきた伝書鳩は、俺の前にこの《島》に迷い込んだ旅人なのか?」
 金髪の、翠玉の瞳の……俺の腕の中で息絶えた、妹。
 彼女を抱いて見上げた空に、白い鳥。
「伝書鳩は本当にまろうどを招くのか? 招いているのは姫君なのだろう?」
「伝書鳩は、姫君の力を持った鳥。招くのは鳥。僕はそう聞いています」
 セシアの答えは、妙にヴィクトールをいらだたせる。
「鳥に姿を変えた男がいた。そいつは何を望むのだろう」
 断定的で乱暴な口を利くことが多いヴィクトールだが、今日は疑問詞ばかりである。
「ヴァッツのことならば、そう心配することはないと思っています。彼は死んだわけではない。元に戻る方法があるはずでしょうから」
「……あんたは役人だったな。ランドニクスの内情は詳しいのか?」
 唐突に話の内容が変わったことに、ルーサリウスはどきりとする。
「……いや。別に、内情うんぬんじゃねえな」
 ヴィクトールの口調も相変わらず歯切れが悪い。この男は何を言いあぐねているのだろう、とルーサリウスは待った。
「学者の見せられた《月光》の話を聞いて、俺はこう思った。姫君たちは、実験によって人工的に作り出された……祈りを実体化させる装置、ではないのか、と」
 いのり、という言葉を口にする際、ヴィクトールは我知らず顔をゆがめた。セシアはそんなヴィクトールをじっと見つめ、この《島》にはもはや苦痛は存在しないはずなのに、彼がまるで痛いところを掴まれているような顔をしているのが不思議だと思った。
「祈りを実体化……」
 セシアもルーサリウスも、それきり口を挟まない。
 ヴィクトールは、ここしばらくずっと抱いていた考えを吐き出した。迷路から出るためには、他人の力があったほうが都合がいい――必要、なのではない。そのほうが、便利なのだから。
「祈りを集めて剣を作り出す実験は、失敗していた。剣の作成に必要な部分とそうでない部分を、切り離すことができなかったから」
 人間の祈りの中にあるその部分を、ヴィクトールは希望だと考えていた。
「希望を用いて剣を作る? 何だか壮大だな。神話のようですね」
「そのとおりだよ」
 ぎらついた目の獣は、組んだ膝の上で手甲をきしませた。

■Scene:勝利と破壊(3)

 スティーレが姫君の元から滞在者本部へ立ち寄ると、いらだった表情のヴィクトールが、椅子の上で部屋のあるじのようにふんぞりかえっているところだった。
「あんたを待ってた」
「私? 私はルーサリウスさんに会いに来たのよ」」
「弟子もろとも出かけたぞ。俺ももう戻る。あんたを、待ってたんだ」
 ヴィクトールは繰り返した。
 ルーサリウスとセシアは、海中の螺旋階段を調べに行ったのだった。
 姫君の力の源が祈りであるのなら、『《パンドラ》について調査せよ』という命令も理解できる、とルーサリウスは呟いた。彼がエルリックとともに受けた命令について、ルーサリウスはずっと考えていたのだ。すなわち《パンドラ》とは、人ではなく物や場所のことではないか、と。帝国にとっての脅威、あるいは同等に価値のある、何か。
 危険なものが眠っている可能性があることを知って、ルーサリウスはあえて自ら確かめようとしているのだった。
「……それで、私はどうすればいいのかしら。ルーサリウスさんの代わりに、貴方に報告をすればいいのかしら」
 ゆっくりといいながら、スティーレは腰を下ろす。ややヴィクトールから離れて、寝台の隅を借りている。
 ヴィクトールの語気からは、荒々しさしか感じられない。どんな相手の言葉にも、たいていは裏に隠れた何がしかの弱さが垣間見えるものなのだが、彼の場合はそれがなかった。まるで獣なのだ、とスティーレは思った。彼の意のままになるという白い剣も、畏怖の対象だった。
 同時に、学者として彼にほんのわずかの興味を抱いた。
 獣の語法を使う彼は、何者なのか?
「姫君と話してきたろう」
「ええ。埒が明かないわね。それとも、少しずつ前進しているといえるのかしら……」
 微笑みながらスティーレは答えた。
「けれど疑問に思っていることもあるの。彼女たちは何も知らない……本質的な意味で、何も認識していない。ただ、剣の作成のために用意された場所、つまりこの《贖罪の島》に閉じ込められているだけ。外の世界を知らない。自分たちが何者なのかもわからない。ただ、あてがわれたところに居続けるだけの子どもたち」
 ヴィクトールは顎をしゃくって先を促した。
 スティーレは羽織った上着の袖口を指代わりの羽根で弄びながら、考えをまとめつつ、続けた。
「私は、あの子たちに世界を見せてあげたい。そのために《満月の塔》に住む神の元に、願いに行こうかとも思っているわ」
「代償を要求する毀れた神であってもか」
 そうね、とスティーレはうなずいた。
 そうね。だって、怖くはないもの。
「あの子たちは失敗作……だったけれど、不完全ながら力は持っていたのよ。鳥を呼び出し、髑髏を刻んだ相手に白い剣を与える力。あの鳥は……《月光》を喰らって……」
 スティーレはかぶりを振った。まざまざとあの体験がよみがえった。
 姫君の見せた《月光》の記憶の中では、スティーレが失った左手は、もうひとりのスティーレとしっかり握り合っていた。
「《大陸》で、祈りを織り上げた剣を携える存在といえば、俺が思いつくのはひとつしかない」
 ヴィクトールは煙草を取り出し、ひん曲げた唇の端で咥えた。
「千年前に《大陸》を去った兄弟神の一柱――《痛みの剣》」
「神々に楯突く《魔女》と戦った長兄。両刃の剣を手にして、自分も傷つきながら人々を守った戦神ね」
 《大陸》ではおなじみの神話である。多くの神々が《天宮》へ戻った後、最後に残った三柱の兄弟神。彼らは《悪しき魔女》と永い戦いを繰り広げ、《忘却の砂漠》に封印され……。
 そうしてスティーレはふと思い出した。以前、《聖地アストラ》に神々が戻ってきたらしいと噂になっていたことを。
「関係があると貴方は思うの?」
 うなずく代わりに、ヴィクトールは煙を吐き出した。白く濁った煙だった。
 支配者の思惑に楯突く《月光》は、彼の中で神話の《魔女》と重なっている。《痛みの剣》対《悪しき魔女》の戦い。そっくり真似た、人工の
「白い剣。祈りでつくった剣。神々の武器を模して、人々が手に入れようとしたのかしら」
 実験はけれど失敗したのだ。祈りを紡ぐ装置は不要になり廃棄された。
「あの子たち」
 スティーレはぽつりと呟いた。
「ねえ。どうしたらあの子たちを解放できると思う? 《月光》は何を期待したんだと思う?」
「存在の意味を見出すことを」
「はじまりの頁にたどり着くためには、もっと、相応の死を集めないといけない」
「……そんなことはない。多分」
 白煙にむせながらスティーレは顔をしかめた。
「剣をこれ以上生ませたくないのよ」
「教えればいい……と、俺は思うが。どうだろうな」
 専門じゃないと付け加えてヴィクトールは立ち上がった。
「もっといい答えが見つかったら、教えてくれ」
「……見つからなかったら?」
「あんたが試せばいい」
 落ちた灰を無言で寄せるスティーレが顔を上げると、もうヴィクトールはいなかった。
 獣は元の落ち着きを取り戻したようである。
 スティーレにとっては、さらに宿題を出された格好だ。
 姫君たちに教えればいい……それは自分でも一旦辿りついた答え。けれど、どうやって?

5.処刑と断罪 へ続く

1.運命の縦糸2.レオの朝、ティアの朝3.姫ならぬ者4.勝利と破壊の御名の下5.処刑と断罪6.墜ちた月7.鏡と半分マスターより