PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第5章

7.鏡と半分

■Scene:福音

「重要なお話があります。少しお時間をいただけませんか」
 音術師ローラナ・グリューネヴァルトがクラウディウスをそっと招いたのは、誰も使っていない空き部屋のひとつだった。念には念を入れ、外に会話が漏れないような術を施してある。
「副官を同席させたいのだが」
 ローラナはわずかに首を振った。
「お話しした後のご判断はお任せします。ですが今は」
 クラウディウスはうなずき、後ろ手に扉を閉めた。ローラナが手にしている襤褸のようなものが、レオの着ていた服だと気づき、クラウディウスははっとした面持ちで彼女の顔を見つめた。
 ローラナはうっすら頬を染め、口を開く。
「こんな時にこんな場所でお伝えすることではないかもしれませんが、実は……お腹に子どもがおります」
「なんと。この《島》で一番の明るい話題ではないか」
 クラウディウスは手放しで喜んだ。
「甘いといわれそうだが、この世が美しいものに満ちているような、そんな気になる。くれぐれもご自愛めされよ。ご自分の身に変えて、貴女の身を守ろうとしたご夫君のためにも、ご自分を粗末には扱われるな」
 まるで、自分のことのような喜びようである。ローラナはわずかに涙ぐみながら、そっとお腹に手をあてた。
「ええ。まるで……夫がまだ私のことを見守っていてくれるような、そんな気持ちでおります」
 その表情は母の慈愛に満ちている。眩しい、とクラウディウスは思った。ローラナの傍らに、見知らぬ夫の姿が幻影となってゆらめいているかのようだ。慈しみあう夫婦の姿は美しい。
 クラウディウスの両親は、彼にいわせればまともな間柄ではなかった。だからいっそう、グリューネヴァルト夫妻の姿が、手を伸ばしても手に入らない彼岸の光景のように映るのだった。
「クラウディウス様。お願いがございます。私が何者かに襲われることがあれば、必ず助けに来ていただきたいのです」
 ローラナは小さな髪留めを取り出し、両手でそっとクラウディウスに差し出した。
「ご婦人を守るのは騎士の勤め。ましてその御身に無垢なる赤子を宿されているならばなおのこと」
 丁寧な仕草でクラウディウスは髪留めをおしいただき、ついでにローラナの手に口づけようとして、その甲の髑髏に気がついた。ローラナは不吉な刻印から目を逸らしながら手を引っ込める。
「新たなる世代のために道を整えるのが我らの仕事です。万一私が貴女の側を離れなくてはならぬ事態になっても、副官にお命じあれ」
 クラウディウスはローラナの目を見つめた。
「副官……ヴィクトール様のことですね」
 約束の印に、クラウディウスは短剣を差し出した。
「貴女と貴女の新しい生命が帝都に戻るための道は必ず開きましょう。これをお持ちなさい」
 こくりとうなずくローラナ。
「貴女にはお詫びしなければならない。音術によって陛下のご記憶を探るなど、重すぎる秘密を背負わせてしまったことを。本来ならば私がなすべきことだったのだ」
「……いいえ。きっと、必要だったのですわ」
 気丈に微笑むローラナを見て、改めてクラウディウスは母なる強さを目の当たりにする。

■Scene:いませ我が背子 見つつ偲ばむ

 エルリックが、ティアを連れてやってきたのはレオの部屋。スティナとサヴィーリア、ルシカも一緒だ。
 アレクが訪ねると、彼らはすんなりとやってきた。むしろエルリックたちのほうも、ティアをレオに会わせたいと願っていたのだ。
 それにしても似ている、とアレクは初めてティアを見て思った。絵よりもなお、レオとそっくりに見える。アレクがまじまじと見つめていることに気づくと、ティアはエルリックの陰に隠れるようにうつむいた。
「クラウディウスさんがいないって本当かい」
 こそこそとエルリックがささやいた。うなずくアレク。
「他の人はいるけど。ヴィクトールとエル」
 ちらとエルリックはティアを見た。もっと静かなときのほうが良かったのだろうが、仕方がない。
「彼女を傷つけないでほしいんだ」
「もちろん」
 軽く引き受けて、アレクは扉を開け放った。
 エルリックとともに、ティアは離宮に足を踏み入れた。

 レオが物音に気づき、顔をあげた。
 ヴィクトールとエルもレオの動きに目をやった。
 そして、レオは。ティアは。

「ルー!」
 少女はレオを見つけるなり駆け寄った。頬に風があたる。《鳥》の力が発現していた。
 たくさんの鳥の羽根が、少女をくるみこむ外套からふわりと浮き上がり、渦を巻いた。
 少女は駆け寄り、レオを抱きしめた。
 ハリネズミの棘もかまわずに。口付ける。

 少年の顔が、快楽に歪む。

「うわあああああああああっ!」
 レオは叫んだ。その手は乱暴にティアを突き飛ばした。
「なぜおまえが!」

「ルーじゃない」
 ティアは身を離した。苦しげに胸を押さえ、唇を指先でぬぐう。鳥の羽根はさらに舞い上がり、旅人たちの視界を雪のように白く染めた。

「生きていたのか、ティア!」
 レオの目は大きく開かれ、ティアを見据えていた。
「あなたが! あなただったのね!」
 ティアの声は震えていた。鳥の羽根はますます視界を埋め尽くした。

 レオは下卑た仕草で唾を吐き捨てた。
 その手には白い剣。
「これがあいつの《死の剣》か」
 少年の顔に凄惨な笑みが浮かんだ。
「貫かれたかったんだろ、あいつの剣に」

「ルーを返して。わたしのルーを。わたしだけのルーを返してよおお!」

■Scene:《死の剣》の運び手

 レオはクラウディウスに、ティアを捕らえ処刑せよと命じる。
 名目は帝家に対する侮辱罪である。
「新帝アンタルキダスに対し、妄想をいだき、さらにありもせぬ不義密通を申し立てるなど尋常ではない。さらには《12の和約》にあたりアイゼンジンガーの血族はすべて処刑されたにもかかわらず、愚かしくも生き永らえ、帝家の恥を上塗りした痴女。そのうえ魔物に成り果てた浅ましき女である。この者をかくまった一族もすべて同罪とし、《大陸》に戻り次第すみやかに死を与え、統一王朝の礎とせよ」

 ジニアはレオとティアの邂逅の顛末を姫君に報告する。
「ふふ。あの子にまだ伝書鳩の力が残っていたなんて」
 くすくすくす。
(もうじき、喰らい尽くされるというのに、ね)
「どうなさるおつもりです。あの《鳥》。また部屋を羽根で汚して」
 蔑んだ口調のジニアである。
(新しい子を見つけたから、もういいわ)
「だから今は、おまえもティアの物語を眺めましょう?」
 姉姫ウィユはジニアの唇を撫ぜた指先を、口に含んだ味わった。

第6章へ続く

1.運命の縦糸2.レオの朝、ティアの朝3.姫ならぬ者4.勝利と破壊の御名の下5.処刑と断罪6.墜ちた月7.鏡と半分マスターより