第7章 1.朝告げる鳥
■Scene:幕間――その問いに答えるために
自分、犬っす。
じっちゃんからは、スィークリールって名をつけてもらいました。
自分、けっこうこの名前気に入ってます。
ところが。いろいろあって、じっちゃんは何だかたくさんのことを忘れっちまったらしい。じっちゃんだけじゃなくて、じっちゃんの仲間たちも。どっかにまとめて落っことしてしまったんでしょうか。
自分がじっちゃんの側にいるようになってからのことを、じっちゃんが忘れっちまったのは正直寂しいっす。けど、じっちゃんのほうは、そうは思ってないみたいなんで。
元々忘れっぽかったからか。
忘れたからといって、別段不便じゃないからか。
あるいはその両方。
けど、じっちゃんがそんな風でも、じっちゃんの仲間たちはそういうわけにはいかないみたい。そりゃあ、そうっす。
「誰もがじっちゃんみたいにはなれない。じっちゃんが、他の誰かみたいになれないのと同じように」
これは昔じっちゃんが教えてくれたこと。
自分、じっちゃんのこと大好きなんで、じっちゃんが忘れっちまったことは自分が覚えていればいいだけなんで。もちろんじっちゃんの仲間たちのことも大好きなんで、そいつらがまとめて落っことしてきた分も、どうにかして見つけてやりたいと思ってるんすけど。無理かもしれないと思い始めました。
なんせ自分、ただの犬ですから。ちょっとからくりが入ってるだけの、ただの犬に何ができるってんすか。
誰もがじっちゃんみたいにはなれない。
だから、じっちゃんも、他の誰かみたいにはなれない。
ああ、こんな大事なことをどうしてじっちゃんはホイホイ自分なんかに教えたんっすか、もう。
「スィークリールや、どうしたんじゃ! ……おうおう、可哀想にのう」
あれ。
何かがぽたりと落ちたっす。何かは見えない。自分、目が見えないみたいっす。
じっちゃんの涙? ああ、じゃあ、ぶったおれちまったのは自分、てことすか。あの黒い服の男に蹴られたくらいで。
やばい。かっこ悪い。起きなくちゃ。じっちゃんより先に自分がぶっ倒れるだなんて、面目ないっす。早く起きて、立ち上がって、じっちゃんに教えてあげなくちゃ。
「どうしたんだね、可愛いスィークリールや。教えてごらん」
きっとじっちゃんは尋ねてくれる。
伝えたいことがあると、決まってじっちゃんはうなずいてくれる。自分、尻尾を振ってこう報告します。
自分、やっとわかりました。
どうしてじっちゃんと、その仲間たちと旅をしてきたのか。
最初は旅をするためだと、思ってました。でもそうじゃない……じっちゃんのこの旅は……。
■Scene:承前――三聖頌
「あんたの儀式は失敗した」
墓守クオンテは、リュートから奪った鳥の鍵をルドールの眼前へ突きつけた。
鳥の鍵はいっとき持ち主に反応し、光の翼を二条伸ばして腕に絡みついてきたものの、リュートにもクオンテにも満足しなかったと見え、ひっそりと輝きを失っていた。
リュートの身にもクオンテの身にも、何も異変は生じていない。唯一の変化は、リュートの愛剣が黒ずみ、腐食してしまったことだけであった。
「勿体ない……」
リュートは驚いて、今の今、鍵を使うまでは銀色であった剣を見つめる。
心の中では、クオンテに言われた言葉が何度も繰り返されていた。
――面白いことったって、いっぺんで終わっちまうぞ? そんなの勿体ねえ。
せっかく生きてるんだから――。
「……勿体ない」
気が、変わった。
リュートは黒ずんだ剣から顔を上げると、もうひとり、運命を委ねられた者の姿を追った。
だが。
もうひとつの鍵の持ち主であったカインは、身体中の力が抜けたようにその場に膝を折った。
カインの手に委ねられていた鍵は、彼を押し留めようとしたラムリュアの手に偶然渡っていた。カインに絡みつく二条の光はラムリュアを発見するや、神との邂逅を希うカインを捨ててラムリュアを包み込む。
「きゃあ……!」
鳥の鍵が放つ光の色が、赤く染まった。
結晶柱の壁面が大きくたわんだかと思うと、次の瞬間、ラムリュアは玉座のひとつに吸い込まれるように座っていた。
からん。
乾いた音を立て、カインに託された鍵が床に落ちた。
青白く輝いていた鳥の紋章が真っ赤に変わる。そして洞に満ちていた輝きも、紋章と同じ真紅に染まっていた。
「おまえはできそこないだったということだ、ミルドレッド」
実娘にそう告げたルドールは、怒り頂点に達したダージェの一太刀を背中から浴びて、濁った色の何かを吐いた。
「ミルサンはおまえの道具なんかじゃない! ラムサンだって!」
ミスティルテインの力を発動させるのに、特別なものはいらなかった。
ただ、湧いてきた怒りを炎に変え、太刀に載せてぶつけただけだった。
はじめは平気な顔をしていたルドールにダージェは焦ったが、すぐにルドールの表情は強張った。
「馬鹿な。防護陣が、壊されたのか?」
円盾の防護がある限り感じることがないはずの、その痛みに、ルドールは驚いていた。
「ドール……痛いの?」
ティカに抱えられたまま、ミストは小さな声で尋ねた。
「ああ、痛い。だけど、これで、俺もミストも、楽になれるのかもしれない。そう考えれば」
奇妙に笑いながらルドールは答えた。
「そうでしょう。もう、あんたの思惑通りには行かなくなってるんだ。何もかも中途半端で。これがあんたのやりたかったことの結末なんだ。お父さん」
その視線は、ラムリュアと、ラムリュアの向こう側に注がれていた。
■Scene:朝告げる鳥(1)
真っ赤に輝く結晶柱の中、ラムリュアににじり寄る存在を見て人々は理解した。
玉座は、神の座は三つあったのだ。そのひとつにはじめから座っていた大きな肉塊が身を震わせ、まんまと結晶柱の中へとりこまれたラムリュアに迫ろうとしている。
だが、一席を空座としたままで、儀式は光を失わずまだ続いているようであった。
『こいつだ! こいつこそ我が復讐の相手だ!』
ヴィーヴルの肩のあたりをさまよう小鳥が告げる。他のミスティルテインたちも呼応しざわめいた。
「ラムリュアさんの前にいる、あれが……か?」
ヴィーヴルは茶色の瞳を細めた。
赤い光の中の肉塊は醜悪な姿をしていた。
『醜く汚らわしい! こいつこそがかつて我を12に切り刻み封じ込めし者……名前は知らぬ。だがこいつであることは間違いない! 臭う。消せぬ我が怒りがこいつに染み付いておる』
そのものがラムリュアに何を求めようとしているのか。
ヴィーヴルは迷っていた。
ミスティルテインの言うとおりだということを、理解はできた。
「おそらくあれは、ルドールの父親」
と、ヴィーヴルは呟いた。
ラムリュアを救うためにはミスティルテインの悲願達成に協力しさえすればよいのだった。ヴィーヴルに従うミスティルテインは他の欠片と違い、唯一ヴィーヴルの身体を借りずに解放されている。ヴィーヴルが止めさえしなければ彼は復讐の矛先に、十二分の一の力を注ぐだろう。
『ただ燃やすのは惜しい。12に刻み返し苦痛に喘がせながら屠るのが似合いではないか?』
ちらりとヴィーヴルは肩越しにミルドレッドの様子を伺った。
まとう炎の輝きを嬉々として強めるミスティルテインの向こうに、ぐちゃぐちゃに顔を歪めてルドールを罵っているミルドレッドがいた。
《精霊の島の学院》から来た女学者、という肩書きとはかけ離れた姿。涙と洟の混じった液体で汚れた顔で、自分を利用した父親を罵り喚くだけの、それはまるで幼い子どもだった。
「糞親父! カイン! ラム! ダル! イヤだ……怖い。はなして……やだ……いたい……いやあ……おかあさん……おとうさん……」
ラムリュアがミルドレッドの代わりに玉座につくことができたのなら、鍵に選ばれるための資格とは、ミスティルテインの力を宿していることに違いない。ヴィーヴルは気づいた。同時に、新たな疑問を抱いた。
ならばなぜ彼はミスティルテインの力と相克する黒曜石の剣を、ミルドレッドに与えたのだろう?
思いついた答えはひとつ。
ルドールも、誰かに、やめさせてほしかったのだ。
借り受けたままの飾り帯と黒曜石の剣。ミルドレッドが唯一、自分の持ち物だと言った、その剣の柄に手を添えてミスティルテインに尋ねる。
「おい」
『やるのか?』
美しく燃え盛る火の鳥が、ヴィーヴルを見つめた。
「力を貸してくれるよな、相棒」
ヴィーヴルは錬金術師であって剣士ではなかった。だからいずれにしても錬金術師の作法でしか協力は出来ないのだ。
『よいとも。愚かな人間の愚策など、ぶち壊してくれるわ!』
「愚かな愚策って表現はいただけないけどな」
『煩いわ。フン、まずはあの柱からあやつを引きずり出せ。こっちから乗り込んでいってもよいぞ』
ヴィーヴルはミスティルテインにうなずいた。
「ミスティルテインを宿していることが条件とすれば、オレも中に入ることが出来るわけだ」
そう言って彼は、まだ使われていない鍵――クオンテの持つ鍵を受け取ろうとした。ミスティルテインを連れて結晶柱の中に乗り込めば、ミスティルテインの力を利用して一気に片付けられると思ったからだ。もっとも、利用という言葉を使えばミスティルテインはまた激昂するので、黙っていたが。
■Scene:朝告げる鳥(2)
「ラムサン! 止めなきゃ。止めなくちゃ!」
ダージェが叫んだ。
「お、おれも手伝う!」
ダージェの声にはっとティカが我に帰った。
次から次へと悪人が摩り替わっていくことに、ティカは混乱していた。いったい、どいつが一番悪いヤツなのか。
最初はアダマスが黒幕と思っていた。次はルドール。だがルドールは今、ラムリュアに迫る相手を父と呼んだ。それにどうやら儀式を進めたくなかったような様子も見受けられる。
ティカはずっと、悪いヤツをやっつければめでたしめでたしになるのだと思っていた。だがいくら追いかけても、否、追いかける度に悪いヤツはどんどん次の人に変わって、どんどん遠くに逃げて行ってしまう。
「うーっ。おれもこんなことよくないと思う。結局、つまり、要は! あの柱を壊せばいーんだなっ」
ミストとつないでいた手を放すティカ。カトラスを二刀流に構える。
「そんでラムリュアさんを助け出せれば! おっし、絶対やめさせてみせるぞ!」
手を放されたミストは、かぼそく彼女の名を呼んだ。
「心配すんなよ、ミスト。皆いっしょにいるんだから大丈夫さ」
ミストと自分に言い聞かせる。
大丈夫、でも、何が? それ以上はわからない。今は。ミストが何者なのかもわからない。
でも……。
もしかしたら悪いヤツは、いろんな人の中に少しずついるのかもしれない。初めてティカはそう思ったのだった。
「皆力を貸して!」
ダージェは再び太刀を握る両手に力を込め、ミスティルテインの炎を呼び出す。
「ミスティルテインもお願い! ラムサンを救うんだ! そのためにあの結晶を壊してしまうんだ。玉座も……人を道具扱いする場所なんかイラナイんだ!」
(大賛成だ)
ダージェの中のミスティルテインは、ヴィーヴルに従うものと同様、自らの復讐達成に向けて一気に力を高めた。戦闘の幅をいつの間にか広げていたダージェに、ティカはまたびっくりする。自分も負けられない、と慌ててカトラスを構え直し、ダージェよりも早く結晶柱に駆け寄ろうとした。
難しいことなんて何も考えていなかった。
炎を操るダージェやシュシュ兄に負けたくないと思った、ただそれだけだった。
「ダル、ティカ!」
その時シュシュの声に呼ばれ、ティカはぴくりと動きを止めた。
ルドールに鍵を突きつけていたクオンテも、シュシュを見る。
シュシュはヴィーヴルのように逡巡してはいなかった。錬金術師よりも剣士のほうが、動きが早かった。
「ミストとミルドレッドさんを頼むぞ!」
兄貴分としてそんな言葉を残し、シュシュはクオンテの手から鍵をもぎ取った。結晶柱に向かい全身で飛び込む。
鳥の鍵はすぐにシュシュを認めた。
ラムリュアを包んだものとそっくりの光がシュシュを包む。
この光に包まれるのは二回目だっけ、とシュシュは思った。一度目はミストに会ったとき。そして今、自分は何に会うのだろう?
シュシュの手から鳥の鍵が落ちた。音はざわめきにかき消されたものの、一呼吸おいてミルドレッドがひくりと反応した。
「いやだ……」
顔を抱えた指の間からミルドレッドは結晶柱の内部を垣間見た。
ラムリュア、シュシュそして……忌まわしいもの。
「シュシュ!」
「シュシュ兄!」
ダージェとティカは、カッコよく――ふたりの目はそう映った――悪いヤツの懐に飛びこんでいった兄貴分を追いかける。結晶柱にへばりついたふたりは、シュシュと自分たちの間を隔てる壁に遮られた。
「もうボクたちじゃ入れない。壊さなくちゃ!」
「何を考えてるんだよ、ったくあの男」
ヴィーヴルも自分のことを棚に挙げ、結晶柱に駆け寄る。シュシュもミスティルテインの力を宿している。ヴィーヴルが想定したとおり、鍵はミスティルテインの力を宿している者を選んでいるのだった。
その中で何かが起きる前に結晶柱を破壊してしまわねばならない。シュシュが落とした鍵を拾う。鳥の鍵は役目を終えたとばかりに沈黙している。
「定員は3人……玉座がふさがっていては招きようもないんだな」
ヴィーヴルは顔をしかめて鍵を放り出そうとし、すぐに思いなおしてポケットにそれを滑り込ませた。何のことはない、学者魂がくすぶったのだった。
「おい」
『なんだ? 乗り込むんだろうが、早くせい』
ヴィーヴルを急かす火の鳥。
「違う。おまえじゃなくてオレが呼んだのは、ルドール。あんただ」
赤い光満ちる洞の中でひとり黒々と影を背負って立つルドールを、黒曜石のナイフで錬金術師は指し示す。
「あの男もミスティルテインを連れているはずだ。儀式が遂行されるに足る条件が満たされたと思ってよいのか?」
ルドールは手の甲で嘔吐した口元をぬぐった。
「《魔獣》を手なづけているのならば、その通りだ」
「糞」
ヴィーヴルは舌打ちする。
「こっちは打つ手なしか。あいつに賭けるしかないのか」
「ないワケじゃない。だから壊せばいいんだってば」
ダージェは信じていた。
「そんくらいできるヨネ、ミスティルテイン!」
答える代わりに、ダージェの内のミスティルテインは再び爆ぜる炎球をつくりはじめていた。
『どうした相棒』
小鳥に言われてヴィーヴルはむっとする。
「そりゃこっちの台詞だ」
『壊して突撃すればよいのだろう』
ヴィーヴルが答えるより早く、火の鳥はダージェに宿る欠片と力をあわせていた。燃え盛る炎の大きさが倍以上に膨らんでいる。
「そういうのは得意なのな、おまえ」
特大の炎が、結晶柱に向かってぶつけられる。
明るい橙色の亀裂が、瞬間、表面を無尽に走る。ミシミシと軋んだ音が鳴った。
「だ、だいじょうぶかよ?」
気ばかり焦ってティカはダージェとヴィーヴルの顔を変わりばんこに睨んだ。
『当たり前だ。もう一発ぶつければ』
「ほんとかよひよこの癖に」
『ひよことはなんだひよことはっ』
(まったくだ愚かな人間めが我をひよこ呼ばわりなどと)
「あーうるさいっ」
ヴィーヴルは片手でティカを制し、ミスティルテインに破壊の続行を命じた。
■Scene:朝告げる鳥(3)
ダージェがラムリュアを注視している間に、カインは亡霊のような形相でミルドレッドの手首を握りしめていた。
そのままぐっと引き寄せる。細身の神官には意外なほど強い力だった。あっけなくミルドレッドはカインの腕の中にいた。カインは背後から覆いかぶさるようにミルドレッドの手首を捻り上げ、空いた腕を彼女の首に絡めていた。
「うあっ」
ミルドレッドは振りほどこうとカインがつかむ手首を見つめた。足腰に力が入らない。手首から先は、凍てついたかのように感覚を失いつつあった。
「おまえ……」
ミルドレッドはカインの顔を見上げた。
体力が奪われてゆくのは彼の魔法によるものだとミルドレッドは察した。
「くっ」
もがく拍子に、カインの肌をぴったりと覆っていた黒い薄衣が捲れる。白い聖衣の下、さらに黒い薄衣によって隠されていたのは、地肌を埋め尽くすように刻まれた装飾文字だ。
「古代神聖語……」
装飾文字を赤と銀の瞳が追いかける。
心中で舌打ちすると同時に、だてに学者じゃないな、とカインは思った。神へ祈りを捧げるための言語を習得している者は、神官の他にはそう多くない。
「ルドール殿はきっと貴女を守ろうとしたんです」
カインはミルドレッドが口を開こうとしたのをを遮って、そっとささやいた。
「しかし貴女の役目は終わりました。ラムリュアさんと……チトラ=シュシュナさんが飛び込んでくれたお陰です。本当はあそこに貴女が座るはずでした」
カインは言いながら、ミルドレッドの腕を捻る。
「ねえ。どんな気分ですか?」
問いただしたかった。
ラムリュアにもミルドレッドにも。
どうしてラムリュアだったのか? 彼女にあったのは、そして自分になかったものは、むざむざと記憶を奪われたという事実。ミスティルテインの12分の1と行動を共にしていたこと。
いずれも、ラムリュアが望んで満たした条件ではなかったはずだとカインは思った。
記憶を奪われた、ミスティルテインを宿した、それらは結果だ。
ラムリュアが記憶を失いたい、ミスティルテインを宿したいと願ったわけではあるまい。
ならば……自分だってその可能性はあったのではないか?
むしろ、想いの強さで選ばれるならば、調査隊の誰よりも自分が相応しいに違いなかった。それなのに、自分は選ばれなかった。
「想いだけなら誰にも負けるはずがなかった。貴女にも、ルドール殿にも……チトラ=シュシュナ。あの男なぞ論外です」
「あたしだってあんなところに行くために来たんじゃないっ」
ミルドレッドは、カインの腕を振り解こうとしながら吐き捨てた。
「貴女はそうお思いかもしれませんが真実はひとつ。貴女はただの駒だったのです。それも遊戯盤から追い出された」
優しい声でカインは責めた。
父の罪は子の罪だ。ミルドレッドを責めればルドールの罪悪感も増すだろう。
「遊びじゃない! あたしの目的はあたしが選んだものだ。あたしが《神の教卓》を、パルナッソスを目指した……うぐっ」
口ごもるミルドレッド。
カインが腕に込める力を強めたのだ。ミルドレッドの喉元にはナイフの輝きが添えられている。
ミルドレッドを背後から抱きしめたようにも見える姿で、カインはルドールに、そしてシュシュとラムリュアに言った。
「儀式を続けなさい、必要な人柱は揃いました」
と。
「馬鹿か」
ホールデンが老いたとはいえそれなりに鋭い眼光でカインを睨んだ。
「勇士殿、盾父殿。貴方がたこそ」
カインは微笑んで言った。
「これで《大陸》に神がお戻りになるというのに、どうしてわざわざ中断させる必要があるのですか。さあ……続けなさい。手足がもげても、目が見えなくなっても」
ぐう、とホールデンは息を飲み込んだ。
■Scene:朝告げる鳥(4)
パルナッソス出身の精霊使いは、そっと父代わりであった男に手を伸ばし、その肌に触れた。
「ルドール……父さ」
「触るな」
ルドールは口元を袖で抑えたまま、鬱陶しげにフートの手を払った。
フートは行き場を失った手を宙に止めた。臭気がつんと鼻腔を刺した。ダージェが袈裟懸けに炎の太刀を振るった傷口の血のにおいと、吐瀉物のにおい。
ルドールの衣服が黒いせいか、見た目には分からないけれども、背中の傷は相当深いのだろうとフートは察した。
クレドはグロリアの脇をつんと小突く。グロリアは下唇を噛んだままアダマスを見、ルドールを見た。
――だから泣くな、学者のお嬢さん。子どもには、親を越えていく権利があるのだから。
アダマスがミルドレッドにかけた言葉は、親よりも親らしかった。グロリアはぼんやりと、アダマスとルドール、ふたりの父の姿を思い出そうとした。
考えてみれば、ミルドレッドは姉ともいえるのだ。そのことにグロリアは気づいた。
ルドールの娘。アダマスの娘。父アダマス。父ルドール。盾父。教区長。それらがぐるぐるとグロリアの脳裏を駆け巡り、家族、という枠組みのなかに納まった。
「僕らは、もう子どもじゃないんすよ」
そう言ったフートの姿は、孤児たちには総代として映る。
「だから、親にかまってほしくて駄々をこねたりしない」
実のところ、フートの「僕たち」とは、すなわち精霊ならぬ身、《大陸》の人間すべてを指していた。だからルドールに、言う。
「親の手は、子どもが思うより大きく、その懐の広さもしかり。僕らは知ってるっすよ」
それが、神の手は細部に宿るということだとフートは理解していた。
ルドールが――《大陸》の人間たちが、どれほど神と呼ばれる絶対的な存在を懇願したとしても、人間はそれゆえ同時に疑ってしまった。絶対的な神など、本当に、存在するのだろうか? 信じられるのか? すべてを委ねる相手が確かに存在すると?
一度芽生えた疑心は簡単にはぬぐうことができない。
フートはもう一度手を伸ばした。
「神は細部に宿る……僕ならこう言うっすね。精霊はすべてに宿る、と」
ルドールは再びごぼごぼと咳き込んだ。嫌な臭いの黒い何かを吐いて、またルドールはむせた。
赤と銀の瞳だけは変わらずフートを射ている。
「精霊使い」
ルドールは言った。
「おまえは昔から人間が嫌いだった。よかったな。精霊使いとして独り立ちしたか」
ちっともよくない、とフートは思った。なぜだろう、そう言われてもちっとも嬉しくない。むしろ胸中は複雑だ。
人の作り出した庭。作り出された歪み。閉じこもって、得たもの。
「楽になれるかもしれないなんて。そんな言い方は……目を逸らさないでください。あなたには結末を見届ける責任と、後始末をする責任があるはずっすよね?」
複雑な感情を飲み下すフート。火の玉は襲ってこなかった。そのことをフートは友なるサラマンダーと偉大なミスティルテインに感謝した。
もう一歩フートはルドールに近寄った。
その黒衣の襟に手をかけようとする。
不意にこんなことを考える。今ルドールをこの場で亡き者にしさえすれば……《朝告げる鳥》の企みなどなかったかのように、はじめから存在しなかったものとして、歴史に葬りさることができるのではないか。
「何をする」
ルドールは一歩、後ずさった。結晶壁に背をおしつけると、長身のルドールの形に光が遮られた。
「この場で僕にできることといったらひとつしか見つけられなかったっす」
フートは感情を押し殺し、精霊たちへ呼びかける。
「この地に宿る全ての子らよ。大地、水、光、風――……我が友サラマンダー。炎湧く主、偉大なるミスティルテイン。そしてアリキアのドリアード。僕のわがままをまたひとつお願いしたいんすよ」
ルドールを見つめ返してフートは精霊に呼びかけた。
「この人はミスティルテインを傷つけアリキアを汚し、この地の精霊たちの動きを妨げ続けた……それでも」
「何をする気だ?」
フートが紡ぐ精霊への願いを耳にして、ルドールは焦る。
「そえでも……この人は僕の……」
それでも僕は、この場に居合わせてしまった。居合わせた以上見殺しになどできぬとフートは思った。それは果たして良いことなのか。正しいことなのか。決められたことなのか。
それは是。価値はある。命を絶つよりも。アリキアの木が育つに足る土壌さえ確保できるなら、と彼は自答する。
ルドールが吐いた血によって再び大地が汚されるのだとしたら? 精霊使いとしては間違った選択なのではないか?
それは……。
「何をするつもりだ。勘違いをしているのではないか、ミスティルテインもアリキアも《契約の杭》も仕組んだのは……」
ヨシュアと同じくフートは選んだ。
「父さんだ」
ルドールとフートの言葉が重なった。
片方だけは揃いの、赤い瞳の奥で、ひとたびは親子であったもの同士は、互いに互いを哀れんだ。
「楽になどさせませんよ」
フートが言う。ルドールは目を剥いた。ある意味で、予想すらしていなかった台詞であった。
それでも、それでも。父さんなんすよね。
だからフートの願いはひとつ。
「どうか、この人の命を救う手助けをお願いします。精霊たちよ。いつも……頼ってばっかで申し訳ないっす」
フートは選択した。
精霊たちがルドールの身にまとわりつく。癒しはフートの得意とするところではない。運に任せた応急処置にすぎない。調査隊の癒し手ふたりは、ともに結晶柱の中だ。あとはルドールが、生きようとするかどうか、その意志次第だとフートは思った。
自分にできるのは、ここまでなのだ。
ルドールの眼光が失われていないことを認め、フートは踵を返した。
クレドとグロリアがじっと自分を見守っていたことに、フートは初めて気がついた。
■Scene:朝告げる鳥(5)
結晶柱の中、三つの玉座に拠ってラムリュアは目の前に迫るものを見つめた。
《涙の盾》の聖印を身に帯びた、かつては神に仕えし存在――あるいは。今もまだ、神に仕えているつもりであるのかもしれなかった。
「……ミ……レッド……」
豚が鼻を鳴らすような声で、肉塊は漏らした。
彼がずっとミルドレッドを待っていたことをラムリュアは察した。
「私を間違えているのね、女性だからかしら」
(そうは言うが誰でもよかったのだろう。でなければお前がここに招かれる意味がわからん)
ラムリュアの中でミスティルテインが言った。
ミスティルテインが烈火を爆ぜさせる音とともに、その言葉はラムリュアの身に沁みた。
「誰でもよかった……?」
(そうだ。そんな奴燃やしてしまえ。消炭にしてしまえ!)
「そうね」
と、ラムリュアはうなずいた。
僅かな手荷物を探る。小さな瓶が手に触れた。蓋を開けるのももどかしく、ラムリュアは瓶の中身を掌にとろりと垂らした。
元は透明な香油も、この光の中では赤く染まって見えた。両手を握って香油を馴染ませると、芳香は自分を落ち着かせた。ラムリュアがパーピュアと交替でミルドレッドの看病を続けた時、ミルドレッドの内面に触れた際にも使っていた香油だった。
あの時は皆がミルドレッドのために、と力を貸してくれた。名前はしっかりと思い出せぬ仲間の顔が、ゆらゆらと浮かび上がって見えた。
博物学者の青年の顔。骨董品を愛する青年の顔。孤児の少女の顔。
思えば、パルナッソスでミルドレッドを占ったそのときに、今ここに私がいることは定められていたのかもしれない。
「そう……燃やしてしまえばいいのよ。いざと言う時にはね、貴方の言うとおりだわ。ミスティ」
口にした言葉とは反対に、彼女は人の形を留めぬ肉に自ら歩み寄った。
そして言った。
「ずっと、待っていたのですね」
「……ミル……ッド……」
答えを探しあぐねたラムリュアは、この際ミルドレッドとして答えることにした。自分はミルドレッドではないと説明したところで、相手には伝わりそうになかった。相手がミルドレッドを欲するならば、ミルドレッドとして彼の野望を潰えさせる。野望。そうだ、彼は、ミルドレッドの祖父、ルドールの父――グラファなのだ。
「けれどやめませんか。もう、何かにすがるのは」
香油の香る指先で、乾ききって皺だらけの頭部を撫でた。指先が触れると、彼はぴくりと反応した。同時にラムリュアの身に宿るミスティルテインもまた、戦いていた。
まだよ、ミスティ。ラムリュアはそっと制する。
まだだめ。貴方の出番はもう少し待ってちょうだい。
頬から胸元へ。ラムリュアは触れた手を下ろし、たるんだ首肉の合間から覗く《涙の盾》の聖印に触れる。しゃら。聖印をかけていた細い鎖は、僅かに擦れただけで、繋ぎ止める力を失いばらばらに千切れた。
「そんな不健全なことを、どうして思うの?」
自分の声がカインに届くことを祈ってラムリュアは言った。
多重の肉の上を鎖の欠片が転がり落ちていく。ラムリュアの手の中に、香油に濡れた聖印が残った。
落ち窪み濁った瞳が、ようやくラムリュアに焦点をあわせた。
「……ルドー……は……まだか……」
それだけの言葉を発するのに、彼は口らしき場所から液をずいぶんと滴らせた。
「まだ他の人を待つの? こんなに待ったのに」
彼は、とラムリュアは思った。
自分ひとりでは完成せぬ儀式を仕組んだことが、誤りであったのだ。
《朝告げる鳥》の計画を、彼女は概ねこう想像していた。強力なミスティルテインの力を持つ拠り代を用意して、その拠り代に、神の力を3つに分けて手に入れさせるという計画。拠り代は自分の子孫がふさわしいはずだった。そうすれば、自分の一族だけが――もしかしたら世襲という形で――神の代理人として振舞うことができるから。
彼だけここまで身体が変化してしまったのも、3人で分担して神の力を下ろすのに、一人取り残されてしまったためだと理解していた。
「……ルドールは……まだか……逃が……ぬ……」
彼は繰り返した。
待ちわびたミルドレッドがやってきた今、もはやミルドレッドがそこにいるのは当然と見なし、残る空席が満たされることのみを求める傲慢さが吐き出す台詞であった。
「どうして」
ラムリュアは理解しがたい感情に突き動かされ叫ぶ。
「人を求めるだけなの。自分からは変わろうとせずに、ただ人を――神を求めるだけなの? 私はそうは思わない。神なんていない。神に救いを求めたりしない。神にすがるだけなんて、自分で何もしようとしないで、そんなの不健全だわ」
ミルドレッドも、そう言うだろうとラムリュアは思った。自分の人生を利用されるなんて。利用されるためだけに生かされてきたなんて。
グラファの、まばらな頭髪や、乾いてしなびた指の爪や、てらてら光った薄い唇を眺め、ラムリュアはそっと瞳を細めた。
ああ、違う。
ミルドレッドならそう言うだろう、ではないのね。
私は。
私と、私の友人たちとが全力で救おうとして、事実命を取り留めることが出来たミルドレッドという存在に対して。
彼女の存在そのものを否定されることがイヤなのね。
カインのことも。
彼を変わらせられなかったことが、イヤなのかもしれない。
自分の働きが否定されてしまうから。
「悲しい人。でも、どれほど待ってもルドールは来ないわ。貴方の望みは潰えたの。だから」
ラムリュアは香油に光る聖印を手から滑り落とす。
その手で彼女はグラファを抱いた。かの肉はラムリュアの腕には余るほど肥大していたために、傍からはラムリュアがグラファにすがっているように見えた。
「だからもう、貴方に出来ることはない。無理なのね。貴方はもはや自ら前に進むことができないのね」
ラムリュアはミルドレッドの時と同じように、精霊に語りかけようとした。
『過ぎた時間を取り戻すことも、彼を元の《大陸》に戻すことも、要らない。この人にただ与えることができるのは……』
グラファのため、最期の癒しをラムリュアは願った。
カインも同じだったのだ。彼を解放することは、神への執着を断ち切ること。カインは自らその道を選ぶことはできない。だから他の誰かが彼を解放するしかないのだった。
最期の癒し。天上の花輪。彼に与えたならば、きっと恍惚とした表情を浮かべるに違いない。
肉に抱かれラムリュアは、カインに聞きそびれていた問いの答えがあったことを思い出した。
■Scene:朝告げる鳥(6)
(許さぬぞ、勝手に! 何を……お前はこれをかばうつもりだろう!)
ラムリュアがグラファに安楽を与えようとしていることを悟ったミスティルテインは、彼女の中で激しく憤っていた。
「かばう? 私が?」
(違うか)
違うと思った。ただ、これ以上この人にできることはないというだけだ。
「私は前へゆくわ。私はもう朝を迎えたの。でも彼はそこへ来ることができない。この人に与えることができるのは哀しみからの解放、昇華しかない。私はね、ミスティルテイン」
ラムリュアはわずかに言葉を切った。
グラファの手をじっと見る。乾いた爪や、爪の周りの浮き上がった皮膚を見つめて、そして自分の手元を見た。香油で濡れた指先。
その指先に赤い炎の舌が巻きついていた。瞬きする間に炎は消えた。ミスティルテインの力が漏れているのだと悟る。
「私ね、ミストと出会って今までの自分は死んで、今は解放されて自由になった気がするの。前に言わなかったかしら? これが朝を迎えるということなのよ。望めば人はいくらでも朝を迎えられるんだわ」
(我が復讐の対象としてのみ、そやつは生かされていたのだ)
ラムリュアはミスティルテインには答えずに、グラファの首筋に手を這わせた。
自分の手が、霊の手と重なって見えた。
胸と顎の間にめりこんだ首を探り当てると、霊はゆっくりと、両手に力を込める。
グラファはつぶれた音の息を長く長く吐き出した。
ラムリュアの手元が赤々と発火していた。今度の炎は、瞬きしても消えなかった。香油の芳香は熱で温められ拡散してしまう。
「駄目よミスティルテイン。まだ……」
ラムリュアは止めようとした。霊はまだ、グラファに安息を与えてはいない。すべてが終わってから肉体を燃やしてしまえばいい。ラムリュアはそう思っていた。生きながら焼かれ果てることは野蛮だと思っていた。
私の霊よ。早くこのものを解放してください。
ラムリュアは再び、気道を押さえる指に力を込めた。
一瞬だけ――。
グラファに、幼子ミストの姿が二重写しになって見えた。
「ミスト」
幼子の口が、らむ、と動いた。その顔は笑っていた。
「ミスト」
幼子の姿は消えた。ラムリュアの指から力が抜けていく。グラファはだらだらと涎を滴らせた。
その時だった。
二つ目の鍵によって、シュシュが結晶柱の中へやってきたのは。
柱の中に収められた瞬間、彼はその柔軟な身体で跳ね起き、玉座から逃れようとした。シュシュが統一王の玉座を模した場所についていたのはほんの僅かな間であった。
しかし3つの玉座には充分であったらしい。
「くっそ! 儀式やりに来たんじゃないんだけど」
シュシュはそう言って舌打ちした。
「何か始まっちまったみたいだ」
玉座のそれぞれは、洞の天地をつなぐ結晶柱内部いっぱいに満ちていた赤い輝きを収斂させていく。
眩しいくらいだった洞の内部も、結晶柱が光を失ったゆえに、鍵を使う前の姿に戻っていた。すなわち、ぽつりぽつりと星を閉じ込めたように青白く仄かに透ける光に淡く輝く場所へと戻っていた。青から赤へと色を変えていた鳥の紋章も、ふっと輝きを失った。
■Scene:朝告げる鳥(7)
「ラムリュアさん、そいつに何かするのはミスティルテインが先だよ」
開口一番、シュシュはそう言ってグラファに歩み寄った。
ラムリュアが驚いた顔でシュシュを見つめている。
相変わらずシャツがはだけていたせいで、しなやかな肉体が見ようとしなくても目についた。グラファの枯れた肉塊と正反対の、生きている人間そのものの姿が、そこにあった。
シュシュが伸ばす手を、どうしていいか分からぬ顔でラムリュアは見つめた。
青年はラムリュアの身を起こさせ、グラファの肉から引き離す。
ミルドレッドを求める短い手が、思わぬ力でラムリュアの長い髪を掴んだ。指先に絡む髪に引かれ、ラムリュアの髪が引き寄せられる。
シュシュはラムリュアには聞かず、手持ちの短剣で髪束を断ち切って言った。
「……ってつもりだったけど。なあミスティルテイン」
(何だ。ここに来て怖気づいたか)
「やっぱこいつ殴るのやめにしないか?」
(何だと! 約束をたがえる気か、愚かな人間め! 所詮我を利用するだけの浅知恵であったか!)
予想通りにミスティルテインは激怒した。
シュシュは困り顔で呟く。
「だってこいつさあ、もう正気じゃないよね。儀式をやめることも続けることもできずにここにずっと閉じ込められてて」
ルドールが言った中途半端という語句を、シュシュは思い出して言った。
「でもそれは、彼が望んだことだったはずよ」
ラムリュアが諌める。
「彼が望んで自らここに閉じこもったの。儀式の成就のために」
「うん。最初はそうかもしれないけど、結果は出てないし……同情じゃないんだ。ただ、かわいそう………でもないな」
シュシュはこの思いにふさわしい言葉を探しあぐねる。彼の語彙にないその感情は、蔑み混じりの哀れみであった。
「今ここでなます切りにすることも簡単にできるけど、何でそうされるのかわかんないと思う。下手したら苦痛すら感じられないかもしれない。そしたら、復讐どころか、楽にしてやるだけだと思わない?」
つまりシュシュは、今のグラファを、ミスティルテインの積年の復讐を果たす相手として相応しくないと思ったのだった。
「楽にするしかないわ。他に彼に出来ることなんて……」
「あるさ。こいつにしか出来ないことがね。こいつがやったことがどんな報いを受けることだったのか、こいつにも他の人間にも理解してもらわなきゃ」
シュシュは淡々と言った。
「でないと、また同じようなことをやる奴や逆恨みする奴が出てくる。だから、こいつはこのまま生かして《大陸》に戻そうよ。《学院》でも《聖地》でも、そういうところに連れてって、いけないことをしたらどういう目に合うのか、みんなに見せてやろうよ」
ラムリュアはシュシュを見上げた。
ミスティルテインのことを思うなら、彼の提案はもっともだと思う。しかし。
「生きていれば、もしかしたら正気に戻ることもあるかもしれない。そしたら、その時にこそ、あんたが感じた苦痛や恐れや屈辱を、こいつにも味あわせてやればいいよ」
「見せしめにする気なのね、彼を」
シュシュは肩をすくめた。
どう答えればラムリュアに伝わるのだろう?
ラムリュアはグラファを人として――そしてシュシュの知らぬことだがカインと重ねて――扱っていた。シュシュはそうではない。ミスティルテインとの約束がまず第一であった。それだけのことなのに。
「争いからは何も生まれない事が分からないの?」
「そんなこと知ってるよ!」
「嘘」
「嘘なもんか。争いからは何も生まれない。だから、それを他の人間たちに知らしめないといけないって言ってるんだ。ラムリュアさんもそう思うでしょう? はじめから皆がそれを知ってれば済むんだ。でも、こいつは」
シュシュは顎をしゃくってグラファを示した。
「こいつはそんな大事な決まりを無視して、自分の都合でミスティルテインを利用したんだ」
(その通りだ!)
ラムリュアはかぶりを振って、自分の片手をシュシュの目の前に翳して見せた。
炎がまとわりついている指先。ミスティルテインの力の顕現。
「ミスティルテインがもう我慢できないっていってる。できればその前に彼に最期の癒しを捧げたかったけれど……」
((無駄話は終わりだ、復讐を遂げるのだ!))
ふたりの身の内で、ミスティルテインの欠片たちが同時に叫んだ。
シュシュにも、もう時間が残されていないことは理解できていた。柱の中にやってきた途端、玉座に光が吸い込まれてしまったことも気になっていた。
「……分かったよ」
ちらりとグラファを一瞥するシュシュ。
「ミスティルテインとの約束だもんね。……ラムリュアさん。ちょっと、後ろを見ていてくれる? できれば耳も塞いでおいたほうがいいかも」
大股に、シュシュはグラファに歩み寄った。その手には、絡んだラムリュアの髪を切った短剣と、長剣が二刀流に構えられていた。
■Scene:朝告げる鳥(8)
シュシュとラムリュア、それぞれに宿るミスティルテインは忌むべき相手を目の前にして、勝ち誇った。爆ぜる火の粉を大量に現出させ、身の内から外へ、ミスティルテインの欠片ふたつぶんの炎が渦を巻く。
シュシュの剣が閃き、グラファの喉と両目を切り裂いた。
「ごめん、ヨシュア」
グラファは抵抗しなかった。そもそも抵抗しようとしたか、どうか。
喉笛からしぶく血が辺りを汚すより早く、ミスティルテインはグラファだった肉を燃やし尽くし、文字通りの消し炭へと変えていった。
「……ありがとうミスティルテイン」
シュシュは両の剣をぽいと捨てて呟く。グラファを切った刃にはどろどろした黒いものが付着していた。イーダの商い品で手入れをすれば綺麗にできたかもしれない。だがずっしりと徒労に襲われた今のシュシュは、しばらく剣を持つ気になどならないだろうと思っていた。
脳裏によぎる、あの瞬間。
「ごめんな」
グラファにミストが重なった。それでもシュシュは手を止めなかった。
こうなる可能性を考えないわけではなかった。それでも。
「ラムサン!」
「……無事か」
「シュシュ兄ッ!」
ダージェ、ヴィーヴル、ティカが口々に彼らを気遣って叫ぶ。
しばし手間取ったものの、結晶柱を隔てる壁を壊すことにようやく成功したのだ。
「こんなモノ!」
ダージェは空の玉座に向かい太刀を大きくなぎ払う。
「こんなモノがあるから、ラムサンもミルサンも利用されちゃったんだ! もう要らないよ、何かを利用するための仕掛けなんて!」
炎球がひとつまたひとつと浮かび、玉座を次々に燃やしていった。あっという間に、偽の玉座は燃え殻に成り果てる。
「もう誰かが駒になるのはゴメンだ。例えそれが神サマのためだったとしても」
頬にかかるストロベリーブロンドの髪を跳ね除けてダージェは言った。
「そんな神サマならボクは救ってもらわなくても構わない」
騎士のように恭しく、ダージェはラムリュアに手を差し伸べる。
ラムリュアは一旦は手を引っ込めた。香油に濡れた手で少年の手を掴むことが躊躇われた。
「シュシュ兄」
ティカは消し炭と化したグラファを見、憔悴しきった表情のシュシュを見て言った。
「おれ……」
「ごめんな、ティカ」
ティカは訳も分からず答えた。
「シュシュ兄は戦ってくれたんだろ、真っ先に飛び込んで。シュシュ兄は悪くないよ、グラファがどんなヤツかってこと皆もう分かってた」
しゃべり続けていないと、もうティカの頭の中はおかしくなりそうだった。
「おれも、物事をいろんな方向から見るってこと少し分かってきた。シュシュ兄みたいに、次は真っ先に動けるようにおれもなるから……!」
「そう。そうよねティカ」
ラムリュアがシュシュの代わりにティカに答えた。
■Scene:朝告げる鳥(9)
グラファがシュシュに断罪されミスティルテインの炎に包まれた瞬間。
ミストは雷に打たれたようにびくりと痙攣した。幼子は柔らかな金色の光に淡く包まれていた。ミスト自身の内側が光り輝いているかのように。赤い両目はどこか遠くの像を結んでいるようだった。
『感謝する』
ミストの口から零れたのは他の者の声色だった。調査隊の誰にも似ていない、ましてやルドールのように低くもない。青年のような、老人のようなふしぎな声。
「あなたは……だあれ」
初めて、グロリアは口を開いた。
「あなたは……ミストじゃない」
幼子ミストを借りた者は言う。
『僕は/わたしは/私は名を奪われた兄弟のひとり』
ふしぎな声は答えた。奇妙に声は幾重にも重なって響いた。神聖語に似ていたけれども、居合わせた者たちは皆、その言葉の意味を心で理解することができた。
「まさか」
ミルドレッドの首を抱えたままカインは戦慄く。
「まさか……貴方は……いや、貴方がたは……」
『感謝する、すべての願いが過たずその生のために願われていたことを』
『願い続けさえすれば生きてゆくことができる』
『生きるために生きよ。その先に我らの出番がある』
グラファが断末魔の叫びを上げた。
ミストはすうと瞳を閉じた。幼子の身体が不安定によろめく。ミストを包んでいた淡い金色の光も薄れていった。
「おい」
思わずリュートがかがんで、ミストを支えた。
「あんた、神さまだったのか……?」
だったらもっと早く来てくれたら、もっと面白かったのに。
リュートは、心に浮かんだそんな言葉を飲み込んだ。
声をかける間もなく、ミストは喉と両目から金色の光を二筋零した後、複雑な和音を奏でながら粉々に砕けて消えてしまったのだから。
「神……神の声が……三柱の兄弟神……御声が……」
熱にうかされたように呟くカインの手から力が失われていく。
生気を奪う魔法が解けたと知るや、ミルドレッドは自身の首に添えられていたナイフをカインからもぎとった。勢いよく突き飛ばすと、カインはふらふらと倒れこんだ。
「か、神よ」
ナイフを奪われたカインはぼんやりとふたつの聖印をまさぐり、握りしめる。
「神よ……この耳で……」
一方的に神々は伝え消えてしまった。カインが知りたかったこと、尋ねたかったことには一言も答えずに。ただ、生きよと言い残して。それが答えなのかとカインは泣いた。
「あたしの目的はあたしの選んだものだ! あたしはあんたの駒じゃない!」
ミルドレッドが叫ぶ。フートの脇を駆け抜け、両手でナイフを振りかざした。その刃は赤く炎色に輝いていた。
「誰も誰かの駒じゃない! 《魔獣》も神も人間も!」
素人の手つきで、ただ一念を持ってルドールの脳天めがけて振り下ろす。
フートはぎゅっと目を閉じた。
「精霊……っ」
ミルドレッドの構えた刃はルドールの身体に届く寸前で、柔らかな精霊の守りに弾かれていた。ミスティルテインの炎も、フートの願いに応じて力を貸していたウンディーネたち、シルフたちが弱めてくれていた。
「どうして。どうして救われるんだ。あんたなんか……どうして?」
ミルドレッドはぺたんとお尻をついてうなだれた。
「酷いことばかりしたくせにどうして最後に残ったのはあんたなんだ!」
「逝ったか、ミスト……お父さん」
ルドールは口元を覆っていた手を下ろし、ミルドレッドの頭に載せた。
びくんとミルドレッドは身体を強張らせる。
祖父グラファに翻弄された親子関係も、ほんの少しではあるが変わりつつあるのかもしれなかった。
1.朝告げる鳥 | 2.夢見る石 | 3.想い育てる樹 | 4.続く道 | 5.幕間〜からくり犬は見た�供� | マスターより
