第7章 3.想い育てる樹
■Scene:想い育てる樹(1)
アリキア。かつて結晶物に覆われていた大樹。
《契約の杭》であったもの。
精霊たちの働きを妨げ封じこめていたもの。
今、若芽にすぎないアリキアは、ヨシュアの渾身の術に対してほんの少しだけ応えてみせた。葉を数枚広げるという方法で。
同時に、何箇所かで甲高いラの音が響いた。こだまとなって結晶体の間を反射する旋律。
この音が、記憶の結晶がゆるやかに崩壊するときの音であることをヨシュアは学んでいた。
一息ついてヨシュアは言う。
「魔力の流れを何箇所かいじったんだ。これでパーピュアさんに、もう新たな力が注がれることはなくなったはずだけど」
若芽を中心に、人々が輪を描いていた。
ヨシュアをはじめ、イーダ、ラージ、リュシアン、カッサンドラ。
「でもまだ、結晶体として蓄積されている記憶もあるから。アリキアの木を通じて魔力を記憶に戻して帰す、その循環までやらなくちゃ意味がない」
それにはアリキアの木を育てなければならなかった。
新たな《契約の杭》として、ヨシュアが契約主として、パルナッソスの人々の元へ、失われた記憶を返すのだ。
「手伝ってもらえますか、皆さん。記憶を正しく戻すために、なるべくたくさん、いろんなことを思い出すようにしてほしいんです。いい記憶だけ都合よく戻るわけじゃない。辛い記憶であっても拒否して、記憶の行き場がなくなったりしないようにしてほしいんです」
「パルナッソスが辛気臭い退屈な街、ってアダマスさんが言ってたけど、だったら……」
イーダは商売の種を思いついたときの商人らしい、いかにもな笑みを浮かべて言った。
「その考え方が変わっちまうような、楽しい催しをやったらどうだい? 例えば《ミゼルドの大市》みたいな、とにかく何だかウキウキワクワク、活気づく仕掛けを作るのさ」
(……で、何をしようとしている)
イーダに宿るミスティルテインが、不機嫌そうな様子で絡む。
「なんだい、心配なの?」
イーダはもうミスティルテインを恐れてはいない。畏怖すべき存在なのだと頭では理解しているけれども、意外と気さくなところもあるみたいだ、という思いのほうが強い。自分がしっかりと二本の足で仲間と一緒に立っていることをイーダ自身が納得したからだろうか。
「今は目の前の出来事を解決する手番なんだよ。それから次に行くのさ。ミスティだって元の《大陸》に戻りたいだろ?」
(無論だ)
「大丈夫。あたしたちはちゃんと前に向かってる」
(大丈夫なのだろうな?)
しつこいなあ、とイーダはそっと口をへの字に曲げた。
ミスティルテインがこんなことを言ってくるのも、構ってほしがっている子どものように思えてくる。クレド君やグロリアちゃんのほうがよっぽど大人びているといえる。
「そうだよね、前を向いてるよね? ヨシュアさん」
「はい」
ヨシュアはうなずいた。
そして彼は結晶の中のパーピュアを、見上げた。寄り添うレディルが、見えた。
絶対に。ヨシュアは心の中で呟いた。絶対に、パーピュアさんを救い出して、皆で一緒に《大陸》へ戻るんだ。
時間はそれほど潤沢に残されていないことを、ヨシュアは知っていた。彼の中のミスティルテインは、復讐の標的を見つけたと告げていた。
「わかってるよ。ミステル」
ヨシュアはヨシュアなりの呼び方でミスティルテインを呼んだ。口に出すと少しだけ緊張した。彼にとって、母を意味する言葉と同じ響きを持っていたからだ。
「俺は逃げたりしてないよ。俺はあんたをないがしろにしたんじゃない。あんたも含めて、全員で無事に帰りたいだけだ」
(……都合よく偽りを述べてないか?)
「ない、ない」
かぶりを振るヨシュアだが、唯一心もとないのは、リュート曰くの「超大作」、これまでの日々を書き綴った大記録をスィークリールに預けっぱなしにしていることであった。
「手元にないんじゃ仕方ないよ」
ラージはヨシュアを慰めた。
「皆で少しずつ思い出していけばいいんだろ? 僕も手伝う」
「もちろん、私も出来る限り力になりましょう」
と、リュシアンも荷物を探りながら言った。
「うん。こういうことは自分一人で考えるより、皆で話し合いながらのほうが、結構細かいことまで思い出せたりするんだよな」
ラージの言にカッサンドラはうなずいた。
カッサンドラはラージの一挙手一投足に、何がしかの反応をした。ラージの示した人間の定義そのものを、ラージの行動から理解しようとしているのだった。
そのことに気づいてからも、ラージは普段どおりにしていた。特別身構えたり、口の端に上せた言葉をとりやめたりすることはない。
「見てください」
リュシアンは荷物の中から、使い込んだスケッチ用具を取り出した。
「これまで書き溜めた風景画があるんですよ。ヨシュア君の記録には及びもつきませんけれどね」
「わあっ」
人々の口から自然と歓声が零れる。
「さて。皆さんの記憶に残る景色があれば幸いなのですが、いかがでしょう?」
描かれた風景が、失われていた記憶につながる糸を揺らす。
■Scene:想い育てる樹(2)
「よっし。じゃあ……誰からいこっか!」
イーダはぱしんと景気よく両手を叩いて言った。
「そうだ。これもあたし、仕事はじめのときの癖だったな。手を叩いて気合いれるの。一日が始まるって感じ。するだろ? しないかい?」
にゅっと新しい葉が伸びた。
「育ってる」
ラージはそっと手を翳した。
アリキアは葉の先でつんとラージの掌を刺激した。
「来たね! ほら。ミスティも見ただろ、今の!」
イーダが嬉しがるそぶりとは正反対に、ミスティルテインはつっけんどんであった。
(それが何だっていうんだ、お前は)
「ぶっ壊したり、ぶっとばしたり。そういうのだけじゃないんだ、あたしたちは」
嫌味のない口調できらきらと目を輝かせ、イーダは両手を広げた。
「僕も」
ラージが言った。リュシアンの絵の一葉をうやうやしく宝物を扱うように持っている。
「この絵の場所、知ってる。僕、ここに行ったことがあるよ」
「どこ?」
ヨシュアもイーダもカッサンドラも、ラージが手にした絵を覗き込む。
高い塔から見下ろす街並みが切り取られていた。石造りの塔はパルナッソスで見た色彩とよく似た雰囲気で、街並みの途切れた先は砂漠が広がっているところもよく似ていた。
「フィヌエの街ですね。《旅人たちの街道》の、はるか西の果てにあります」
リュシアンは懐かしそうに記憶を辿る。今集う者で彼は唯一、ミスティルテインを宿していない――すなわち旅の記憶を留めている人間なのだった。
「串焼きの屋台が並んでいるんです。ここでわいわいとしゃべりながら、焼きたての串をほお張るのは格別でしたよ」
「僕のはそんないい思い出じゃないよ」
気のせいではなく、思い出の味にうっとりしているリュシアンに対し、苦笑するラージ。
「この石塔には追われて逃げて上ったんだ」
「何をしたんです」
「宿屋の空き部屋にちょっとだけ潜り込んだんだ。ちょっとだけだよ、物を盗ろうとしたわけでもなくて。日陰を選んで軒下を辿っていたらいつの間にか建物の中庭に出たんだ。それが、ちょっと怖い宿屋だった」
泥棒は肩をすくめた。
「強面の男が箒をぶんぶん振り回しながら追っかけてきてさ」
想像したらしいカッサンドラはくすっと笑った。
「さぞ、困惑顔だったのでしょうね」
「そんなもんじゃないよ。知ってる? 箒だって当たったらけっこう痛いんだぜ?」
「ははあ。さてはラージさん、よろしからぬ浮かれ宿に迷い込みましたね?」
リュシアンはしたり顔でうなずいた。学者よろしくフィヌエの花街は砂漠を旅する隊商相手に需要があるのだ、などと説く。
「知らなかったんだよ。そんなところで遊べるような身分でもないし」
ラージは慌てて言った。それにしてもカッサンドラが、浮かれ宿の定義は何でしょうかなどと言い出さなくて助かった、と内心安堵する。
「箒で追っかけられたことじゃなくて、思い出したのは……石塔から見た景色だよ。すごかった。この絵もきれいだけど、僕がこの絵以上にはっきりと覚えているのは空と、砂の海が広がっている様子。人間の街なんてすぐに尽きて、あとはただ空と砂がどこまでも見渡す限り続いてる。で、すっごく疲れたこともよーく覚えてるよ」
次の日足がぱんぱんだったとラージは今思い出しても辛そうに言った。
「フィヌエか。あたしも聞いたことあるよ。《精秘薬商会》の支店があったはず。いつか、行くかな?」
イーダが言った。
「広いねえ、《大陸》って」
「ええ。まったく」
リュシアンは嬉しそうにうなずく。
「リュシさんは何をしていたの?」
「フィヌエの石塔の建築には、一族が関わっておりましてね。水を汲み上げて、塔の内部を冷却する仕組みを一度見てみたいと思って出かけたのです。あの地域の地下水脈が古代の遺跡に利用されていたと言われております」
「……僕より数段高尚だなあ」
「とんでもありません、ラージさん。ただの物見遊山ですから、けして聞こえのいいものじゃありませんよ。ミルドレッド女史のように学術的研究のためというわけでもありませんし」
リュシアンはわずかに言葉を切って、続けた。
「でも……不思議で、素晴らしいと思います。この広い《大陸》で、いずれ調査隊でともに過ごすことになるラージさんとすれ違っていたわけですよ。例えばフィヌエの街で。そして」
「あはは、あたしもいつか行くかもしれないんだもんね」
「宿は、ちゃんと選んだほうがいいよ」
真面目な顔でラージが助言するので、またイーダはおかしげに笑った。
「当たり前! わざわざ花街なんかに寄らないよ。あ、仕事があったら別かもね」
アリキアの木も会話に加わるかのように、もう一回り大きく背伸びをしていた。
■Scene:想い育てる樹(3)
「さあヨシュア君。貴方の番ですよ」
リュシアンに水を向けられてヨシュアは戸惑った。
「俺?」
「まさか、私たちにお願いをしておきながら、自分は思い出さないままでいいとおっしゃるおつもりじゃないでしょうね?」
うっとヨシュアは言葉に詰まった。さすがにそれは虫がよすぎる話であったし、元々だんまりを決め込むつもりでもなかった。だが術式の集中を解くのも気にかかる。
「イーダさん」
「ん、何だい」
イーダは水色の瞳をくるりと瞬かせた。
「あれを持ってませんか、以前使ったラベンダー」
「ラムさんとピュアちゃんがミルさんの面倒を見ていた時の残りなら、少しとってあるけど」
と、イーダはほのかな芳香を漂わせる小袋を取り出してみせる。
「よかった。少し撒いてもらえますか……そう」
ヨシュアを中心に風が生まれる。イーダの掌の上、ひとつまみの香草が馥郁たる香りとともに風に乗ってあたりを舞った。
「これでいいのかい?」
ヨシュアはうなずき、何かアリキアに注ぐ記憶をと探す。一枚の絵が目に留まった。
「……これは」
白く連なる峰が夜空に浮かんでいる。ひときわ高い峰の頭上に、冴え冴えと輝く月。月の光を浴びて飛ぶ鳥の姿と山肌に落ちる影が幻想的な筆致で描かれていた。
「おっとすみません。これは実は、出会った旅人から聞いた話を元に想像で描いたものなのですよ」
白い峰という題名がつけられているその絵に、ヨシュアはまじまじと見入った。
「旅人? いったい誰が……」
「名前も教えてもらえませんでした。旧帝国の小さな街を巡っている時に、酒場で吟遊詩人と出会いましてね。その方の歌を聞いて描いたものです。北方の出身だとか聞いた覚えがありますよ」
「俺の故郷です、ここは」
故郷と言う時、ぐっとヨシュアの胸のあたりが痛んだ。
ラベンダーの芳香を胸いっぱいに満たして、ヨシュアは痛みを紛らわせようとした。
「《最も白い峰》。そう呼ばれている場所なんだ。冬が長くて春になると旅に出るんだ。春が来ると、その年旅立つ者のためにお守りを作る。白い峰の磨いた石は、白い峰の子たちをどこにいても守ってくれるんだ」
「ヨシュア君の使命は記録することだとおっしゃっていましたね」
「うん。白い峰から旅立つ者は皆、同じ。《大陸》のあらゆることを記録に残すために、白い峰を出るんだ」
「じゃ、リュシアンさんが会った吟遊詩人も、ヨシュア君の仲間なんだね」
ラージが感慨深げに言った。
「白い峰の一族かあ」
「名前をお聞きしておくんでしたね、こんなことならば」
「んー。まあ大体予想はつくけど。ヘンなヤツだったでしょ?」
いやあ、とリュシアンはかぶりを振った。
「てことは、白い峰の一族は変人ぞろいなわけ?」
「まーね」
墓穴を掘っていることに気づかず、ヨシュアはしたり顔でイーダに答えた。
「自然と変わり者が集まってきちゃうんだ」
「一族って、家族じゃないのか」
ラージが少し驚いた様子で言った。
「違う。何ていうかな……俺がいつも手紙書く人で、魔法や博物学の師匠みたいな人がいるんだけど。その人の弟子なんだ、皆」
「白い峰の魔女」
カッサンドラはぽつりと言った。
「聞いたことがあります。めったにたどり着けぬ山に隠れ住んでいるのだと」
「そう。生活の知恵とかおまじないとかそういうのをたくさん知ってて、それを人々に教えていた人」
「なるほど。その方の居場所がこの白い峰というわけですか」
「ここには行く機会はなさそうだねえ」
イーダは口元で指を立て残念そうに言った。
「人間同士の縁や運命というものが、どれほど複雑に絡み合っているのかを考えると、気が遠くなりそうですねえ」
特に、とリュシアンは心中で呟いた。
人嫌いの魔女とその弟子たちが集う里。事情あってはみ出した者や行くあてのない者たちを守り、目的を与えて旅に出す。それこそ、もつれて絡み合った縁の糸を解す場所なのですね。
「いつかヨシュア君も弟子をとるの?」
ふいにラージが問う。
「えーっ? ど、どうかな」
「話を聞いていて思ったんだよ。僕は孤児だったから、一族とか家族とか、自分には関係ないと思っていた。孤児院で共に育った連中ともとっくに別れてしまっているし。でも白い峰の一族の話を聞いたら……一族って増やせるんだな、って突然思ったんだ」
変なことを言ってごめん、とラージは付け加える。
「まだ考えたことないけど」
ヨシュアはふと肩の力を抜いて、アリキアを見た。
「パルナッソスの孤児院の先生は、ちょっと、楽しいかもなって思ってる」
それはヨシュアの正直な気持ちだった。
クレドやグロリアはいずれ旅立つだろう。孤児院の子たちも続くに違いない。そのときのために、ヨシュアの知識をパルナッソスで残してゆくことには、意味があることのように思えたのだ。
アリキアがまた一回り生長した。
「すごい。もっともっと、お城くらいにまで大きくなあれ。大きく大きく、何も気にせずのびのび育っておくれ……」
芽は枝分かれをはじめようとしていた。
芽から幹へ、そして枝へ。ゆっくりと、けれど通常の生長速度の何十倍もの速さで、アリキアの芽は木になりかけている。
「あたしたちが思い出すことが、この木を育てていくんだよ。ミスティ、見てて。あたしたちの思い出は未来への希望になる」
ヨシュアははっとしてイーダの顔を見た。
思い出が未来への希望になる。未来。《大陸》の未来。
耳元でばさばさと羽音がしたような気がした。
ミスティルテインの翼はためく音? 違う。鳥の魔法? そんなはずはない。鳥の魔法は一方通行。返事は来ない……。
アリキアの木はついに彼らの背を上回った。ラージもイーダもカッサンドラも、そしてヨシュアとリュシアンも、頭上に枝葉を広げるアリキアを見守った。
■Scene:想い育てる樹(4)
「白い峰にあたしが行くことはなくてもさ」
何事かを思いついたときの、にこにこ顔でイーダが言った。
「魔女さまも見たがるようなお祭りをやろうよ、パルナッソスでさ。魔女さまが来れないなら、ヨシュアさんのお仲間が思わず記録したくなっちゃうような楽しいやつを」
「町興し。是非やりましょう」
リュシアンが請合う。
彼の手元には真新しい紙がすでに広げられていた。忘れぬうちに書き留めておかねば、というわけである。
「どんな催しにしますか?」
「ミスティルテインにちなもうよ」
ラージは思いつくまま口にする。
「ミスティルテイン祭り。火山なんだからね、花火を打ち上げたら綺麗だろうな」
「いいね。《神の教卓》の丘の上から花火を上げたら、ラハからも街道からも見えるよ」
「パルナッソス精霊祭がいいな。盛大な感じで」
リュシアンはうなずきながら、その構想をさらさらと絵にしていく。
「あとは火を使った装飾なんかいいと思うな。夕暮れになったら門の前に灯すんだ、小さい蝋燭なんかね」
「星の形に並べてもいいんじゃないかな。星座を模して」
これはヨシュアの案だった。
「なんか、勉強っぽいよ」
「えー、いいじゃん。一石二鳥って言ってくださいよ」
さぞ美しいだろう。ついでに、ミスティルテインを褒め称えているのだと分かれば、彼の機嫌も直りそうである。
「皆で作れる? 施療院の人たちや孤児院の子たちにも手伝ってもらえるものがいいよ」
「そりゃ、もちろん」
「お祭りだけに限らず、パルナッソスの街をもう少し楽しげにできないものでしょうかね」
「花壇だ。砂百合の花壇」
ヨシュアが真っ先に言った。
「いいですね。噴水も要りますね」
《砂百合の谷》の雰囲気をパルナッソスで再現することができれば、アダマスの目も和みそうである。そんなことを思いリュシアンは人知れず苦笑した。
きっと先祖代々、こうやって自分の持分を見つけ出してきたに違いないのだ。
時の為政者、あるいは訪れた先、いつの間にか人々の心を和ませるほうへと一族の力は発揮されてきたのだ。リュシアンはもはや迷ってはいなかった。逍遥の日々が遠く感じられるほどに、何をしなければならないのかはっきりと悟ることができたのであった。
「あたしは、施療院の人たちから話を聞いて――ホラ、いろんなところから人が集まってただろ? だったらきっとその人たちは、故郷の料理だとか喉が痛いのには何のお茶がいいとか色々知って
いるよ。それを仕入れる」
「うーん。さすが商人だなあ」
ラージが感心する。
「名案でしょ? 《大陸》中の知恵がはじめからパルナッソスには集まってるじゃないか。ほしがる人は来てくれるはずだよ。商いの基本は、物の流通。ほしがってるひとにほしがってる物や情報を与え合う、そうすればお互い幸せになるんだ」
一度弾みがつくと、イーダの発想は留まるところを知らず溢れ出てくる。根っから商人なのだ。
「パルナッソスだけじゃなくてさ、アリキアの樹の周りも綺麗にしたいな。ラハからちょっと遠いけど、見に来る価値は絶対あると思う。どう?」
「血が流れたらマズイよ、イーダさん。皆にアリキアを見てもらいたいのは山々だけど」
ヨシュアが眉をひそめる。
「もちろんお祭り中……ううん、アリキアの樹参拝中は、喧嘩はご法度。羽目を外していいのは、ラハの《精秘薬商会》カウンターか、《砂百合の谷》でだけ」
「そうだね。エディアールさんも以前言っていたけど、《炎湧く泉》周辺は立ち入り禁止にしておいたほうがいいよ。ミスティルテインに敬意を示すためにも」
とラージ。
「それではこうしましょう。特別に希望があってミスティルテインに会いたいという方だけは案内することにして……私はここ《炎湧く泉》に、神殿を建てましょう」
言いながらもリュシアンの手は止まらない。
新しい《炎湧く泉》やパルナッソスの光景が次々描き出されていった。
「神殿?」
「ここには契約の柱があります。新しいアリキアの樹です。でも柱だけでは格好がつきません。人々の……神の宿る場所として、つまり聖地のひとつとして、人々に示し敬意を表していただけるような外観も必要ではないでしょうか」
柱と壁と屋根。箱をなすにはせめてそれらは必要だ。
だがこれから作るのは人の家ではない。ミスティルテインのための場所、そして見た者に自然と畏敬の念を湧き上がらせるような場所。間違って流血騒ぎなど起こす気にもならないような。
ミスティルテインはごてごてした装飾などより、あるがままを好むだろうとリュシアンは考えた挙句、リュシアンは一心に筆記具を動かした。
その手が休むと紙面には、すでに大まかな設計図ができていた。アリキアの樹が最も美しく見える場所に小さな祠を。汚れた手を清める桶。ミスティルテインの炎を享ける枝を持ち、旅人は《炎湧く泉》を訪れる。
リュシアンの心は躍った。なんと楽しいのだろう、建築という仕事は。
単なる人足にあらず、目的を理解しそのために全力を尽くすという行為は。
(ふん……悪くない)
ミスティルテインはまんざらでもなさそうに言うので、イーダもヨシュアもラージも互いに顔を見合わせ、思わず苦笑した。
「やり遂げましょう、必ずや皆喜んでくださるに違い有りません」
そうですよね、盾父殿。
この場にいないアダマスがにやりと笑った気がした。
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