第7章 2.夢見る石
■Scene:夢見る石(1)
パーピュアは陽だまりの中で、うつらうつらと半ば船をこぎかけながら、夢を見ていた。
孤児たちが乾いた土色の広場を駆け抜けていく。
クレド、グロリア。フート。シュシュ。その他の、名前をまだ知らない子どもたち。足音。騒ぐ声。砂煙。広場には燦燦と日の光が振りそそいで、時にまぶしすぎるほど輝いてみえた。
パーピュアはひとり日傘をさして、学舎の庇がわずかに落とす陰の中でちょこんと小さく座り込んでいる。
眠たい、と彼女は思った。
いくら眠ってもすっきりしない夜が続いていた。少々の不調なら、月光を浴びさえすればアメジストが昇華してくれるはずなのに。
眠たい。
パーピュアの前に誰かが立った。
日傘の柄を揺らし、パーピュアは幼い顔でその人物を見上げ、その名を思い出して呼んだ。
「カッサンドラさん」
「はい」
「よかった。ご無事だったのですねえ」
カッサンドラは困ったような顔をして、話を逸らした。
「クリスタルさん」
「はい」
「この街はお好きでしょうか」
「この街、ですか? うーん、実はまだ来たばかりなんです」
パーピュアはきょろきょろと辺りを見渡した。
初めて来たはずの街はどこか郷愁を感じさせた。白く塗られた建物と砂漠の陽光、椰子の木陰が形づくる独特の景観。
「これから街を見て回るつもりだったんですけど、ええ、悪くない街だと思います。ここに来る途中の市で、この服も、帽子も、日傘も、新調できたんですよ。ほら、見てください」
と言って、パーピュアはお気に入りの花飾りのついた編帽子を探した。
「あら……変ですねえ。なくしちゃった? せっかく買ったのに」
「きっと、大事な人にあげたのですね」
「……そうでした。うん、きっとそうですね」
荷物を探る手を止めて、パーピュアはじっとカッサンドラを見つめた。
「何の話でしたでしょうか、カッサンドラさん」
カッサンドラは、広場で遊ぶ子どもたちと、その子どもたちを学舎から見守る大人の姿を見やって答えた。
「私も好きです。この街の静かなところ」
「そうですね。あんまり騒がしいと頭が痛くなっちゃいます。この街は静かでいいですね」
「それと、この街の人間も」
人間。
カッサンドラのその言葉を聞いて、パーピュアの胸が締め付けられるように痛んだ。両手で胸を押さえ一層うずくまる。
どうして?
パーピュアは自問した。
どうしてその言葉を聞くと、ここが――私の胸が、痛むのでしょうか?
折りしも吹いてきた風が、パーピュアの日傘をふわりと運び去った。からからと広場を転がした挙句に《神の教卓》なる丘から広がる下界へと消えた。
びゅうう……。
パーピュアの耳元で風が唸る。カッサンドラの幻影は、子どもたちのそれとともに掻き消えていた。
彼女はひたすら胸を押さえ、ともすれば吹き飛ばされそうなほど吹き付ける風に耐えた。
■Scene:夢見る石(2)
びゅうう……。
びゅうう……。
びゅうう……。
風が強く吹いている。すべてをさらってゆく風が。
パーピュアがこれまで持っていたものは皆、風に運ばれていってしまった。
日傘。にじんだ手紙。アメジスト。
残されたのはからっぽになってしまった胸。その空洞を埋めるように貫く結晶の塊。
結晶は雑多な記憶の堆積でもあった。すでに結晶と一体となっているパーピュアは、望むと望まざるとに関わらず、人々の記憶の欠片をその胸で受け止め続けた。
長年にわたり蓄積されたそれらの記憶を受け止めるうち、パーピュアにとって、ひとつひとつの記憶はすでに個々の意味を失いつつあった。膨大な記憶の欠片を処理するためには、意味を理解する行為はかえって邪魔になる。
半ば眠りながら、半ば自動的に記憶の欠片を魔力に変換処理するための存在として、うつらうつらとしていたパーピュアの前に、誰かが立っていた。
幼い子どもの幻影。
ミストだった。
「ぴゅあ」
「ミストさん」
パーピュアはミストの姿を見て、わずかに微笑んだ。眠気で朦朧とした意識の中で、ミストの輪郭だけは意味として理解できた。
「朝は、まだ来ないんですね」
会話をしている間にも、結晶を通じてあらゆる記憶が通り過ぎてゆくのをパーピュアは感じていた。
「大丈夫、朝が来るまで私も一緒に待ちますよ」
ミストは笑った。
「ぴゅあ。ありがとう。わたし、よかった」
たった4語。たどたどしくミストが言ったその言葉の真意を考えようとしたその時、パーピュアの眼前からミストが消えた。
「ミス……」
名を呼ぶことも手を伸ばして触れることも出来なかった。
結晶の中にひっそりと息づいていた黒く重く渦を巻く負の思念――レディルが見た黒い雲が、パーピュアを捕らえたのだった。
■Scene:夢見る石(3)
最後までパーピュアの胸に食い込んでいた結晶部分は、レディルの知らぬ者の記憶であった。その根っこは、今まで見てきたものよりもずっと遠くから繋がっていた上に、負の思念を強烈に放っていた。
レディルは先の“遠見”から、この記憶結晶の持ち主が、ミスティルテインを儀式に利用したという神官グラファなのではないかとあたりをつけた。もしもグラファの記憶であるなら、彼が儀式を行った真意を汲み取ることもできる。
(ふうむ、真意だと。そんなことを知ってどうするのだ)
ミスティルテインにはレディルの行動の理由が分からないらしい。
「浄化する必要があるだろ」
(浄化、なぜ)
「このままでは凝り固まってパーピュアちゃんを助けられない。力づくで壊したりしたら彼女が傷ついてしまうかもしれないし……グラファだとしたら本体はまだ生きてるんだろう」
レディルはぶつぶつと答えて言った。
「骨董品の浄化と同じようにやればいいと思うんだ。生きてる人間の思念ってのはほんと、すごいよ」
レディルは知らぬことであったが、グラファの浄化はラムリュアが試みようとしたことと偶然にも同じであった。後でレディルはそのことを知り喜んだ。癒し手であるラムリュアと自分が似たような発想をしていたことが嬉しかったのだった。
「そういえばミスティルテイン。他の欠片たちは今ごろ復讐を……」
(まったくだ。とっとと我もここから出ておけばよかったかも知れぬ)
ちらりとミスティルテインがレディルを見た気がした。
レディルはうっと息を飲みこみ、密かにその可能性について思いを馳せてみた。ミスティルテインの欠片を宿した自分。
どうもうまく思い描くことができない。
「ラムリュアさんもイーダさんも……あんたと一緒にいるってことなんだよな」
(何をつべこべぶつくさ言ってる)
ミスティルテインは赤い塊として、ついとレディルの目の前を通り過ぎた。
(何かするつもりならさっさとしろ)
「分かってるさ。そう焦んじゃねーって」
パーピュアの胸に残った結晶は、黒々と不吉に翳っていた。
レディルはそっと両手を重ね、自らも目を閉じて結晶の記憶を読み解くべく“遠見”に精神を集中させた。
黒い雲に囲まれて息苦しくなる、不快な感覚。
けれどレディルは目をぎゅっとつぶって耐えた。グラファが何を考え、何を望んだのかを知りたかった。そして事実、結晶はグラファの記憶によるものであった。
――統一王朝。
今ひとたび恩寵を与えたまえ。人々を導く《朝告げる鳥》。
困惑した人々のさざめきが、途切れ途切れにレディルの耳に流れ込む。
「統一王朝が復活する」
「復活してしまう」
「帝国皇帝ごときが何故今ごろになって?」
「お家騒動にあと十年は忙殺されると思っていたが、フン。鉄血皇帝の血族も単なる阿呆ではなかったか」
「鉄血の種とは限りますまい。鳶が鷹など滅多に産みませぬ」
「それにしても早すぎる」
「だが仕方がない。ここで計画を変更するわけにはいかない」
「《大陸》へ……《聖地》へ降臨されるべきは《朝告げる鳥》でなくてはならない」
「自らが新しき神としてご降臨なさるご覚悟、誠に天晴」
「民には幻想が必要なのだ、ほどほどに」
「理解しております。統一王朝こそ幻想」
「そうだ。《聖地アストラ》への三柱の神々の帰還も、な」
「新しき神による炎の粛清と破壊、そして再生。《魔獣》の力は、新たな時代唯一無二の支配力として、存分に力を発揮しますでしょう」
「ゆえに。勝手に統一王朝を復活されては困るのだ……そうだろう、ルドール」
レディルはますます息苦しい感覚の中でもがきながら、十年前に交された会話に耳を澄ませようと努力した。
グラファは何と言ったか?
自らがあたらしきかみとして……新しき神として! それでは、《涙の盾》を降臨させる儀式などというのははじめから作り話であったのだ。
自分が神となって《聖地》に降臨したならば、神官たちは諸手をあげて神の帰還を喜ぶだろう。《聖地》は新しき神《朝告げる鳥》という強力な後ろ盾を得て、あっという間に《大陸》じゅうの精神の拠り所として今以上の権力を得るのだろう。かつて、聖騎士団がそうであったように。
つまりは《聖地》主導で統一王朝を復活させるという計画なのか。
レディルはその途方もない傲慢さに眩暈を覚えた。
骨董品に宿る思念の“遠見”ではここまで鮮明な光景を見ることは稀である。生きている人間の来し方をまざまざと見つめる生々しさといったらなかった。
叶うならば――お互いに認めあって、わだかまりをなくさないと本当の朝は来ないと思うんだよ、というレディルの今の率直な気持ちを伝えたかった。
しかしこれほど鮮明ではあるが、“遠見”が見せるのは過去すでに起きてしまった事実でしかなかった。
「どうもルドール様はご不満のように見受けられるのです」
「何が言いたい? 二柱目、三柱目を空席のまま進めたほうがよいと?」
「は。ありていに申しまして」
「出来ぬな、それは」
嘲りを奥深くに秘めた声――グラファだろうとレディルは思った――が断じた。
「神は三柱必要だ。神の代替わりを民に納得させるため、そして新しき神代の繁栄を永続させるために」
「しかし二柱目、三柱目の器たるお二方がこのまま納得せず儀式を進めることによって、《魔獣》との融合が失敗するようなことでもありましたら大事となってしまいます。ミルドレッド様はともかく、ルドール様は一度器の儀式を終えられたお方。《魔獣》との親和性も証明されております」
「ルドールが《魔獣》を手なづけ我々《朝告げる鳥》に歯向かうなど、兄弟神の再臨以上に考えられぬ。何故なら」
絶対的自信を持ってグラファは告げた。
「あれも十年前《魔獣》の封印に立ち会っている。十二名の同胞が《魔獣》を抱き生きながら贄柱と成り果てた、その瞬間を目にしている。今さら自分ひとりの離反で逃れられるなど考えもすまいよ……ククク。出来がよい息子なのでな」
レディルの手の中で、黒々と煙る結晶が耳障りな不協和音を奏で崩れた。
“遠見”の限界だ。
そしてレディルの背筋が粟立ったことに、結晶から放たれ現れた黒い雲が小柄なパーピュアにとりついていた。彼女の形をした影が目の前に浮かんでいるようだった。
■Scene:夢見る石(4)
「おい! パーピュアちゃんっ」
レディルの目に、パーピュアの消失はまったく唐突に映った。
パーピュアがいた場所をかき抱く。
だがレディルの腕が雲をぶんぶん払っても、パーピュアだった少女の姿は、そこに残っていなかった。
ミスティルテインは相変わらずふよふよと辺りに漂い、焦るレディルを奇妙なものでも見るような目つきで見ていた。
(何をしている)
「パーピュアちゃんが! 消えた! 消えちまった……まるで黒い雲に食われちまったみたいに」
(何? 何だ?)
「黒い雲……グラファだ。グラファがパーピュアちゃんを引きずりこんだ」
(おい人間っ)
ミスティルテインが語気を強めた。
(こいつか? この雲か?)
レディルが払った暗雲は再び意志あるもののごとくゆらゆらと集合し、レディルめがけて襲い掛かる。レディルは及び腰でお守り石の首飾りを握りしめた。その時、燃える赤い塊ミスティルテイン12分の1が青年の前で翼を広げた。
(臭う! 臭うぞ。我が復讐、我が怒り。穢れし愚かな人間よ、おまえであったか!)
逆巻く炎をみなぎらせ、ミスティルテインは叫ぶ。
レディルの目の前で、黒い雲と爆ぜる炎が暴れていた。炎は暗雲を吹き飛ばそうとする。
(許さぬ、許さぬ。我が怒りとくと味わえ!)
「ミスティルテイン、ミスティルテインッ」
人ならぬもの同士の戦いに、レディルはなすすべもなくその名を呼ぶのみだ。
こんなとき自分は何もできない。
ラムリュアさんやイーダさんが戦っているだろう時に。パーピュアちゃんが消えてしまったという時なのに。
ミスティルテインは劣勢だった。かれがレディルの前から退こうとしないことに青年は気づいた。
「駄目だ。あんたは欠片なんだ。12分の1じゃたかが知れてる……」
(馬鹿者! 我《炎湧く主》を愚弄するか! ちっぽけな人間めの手妻など我の相手ではないことを思い知るがいい!)
ミスティルテインはますます怒り狂って暗雲に立ち向かう。
爆ぜる炎が雲を包みこもうとする度に、黒い雲は拡散と収縮を繰り返し、少しずつ炎の勢いを削いでいる。レディルの素人目にも、この戦いは互角ではないとわかった。
「馬鹿はそっちだっ。あんた二十年前も同じ展開でグラファに封印されちまったんだろーがっ」
(何だとー!)
「ひとりじゃ無理なんだ、勝てっこない!」
(一度はしてやられたが二度目はない。愚かな人間どもにおめおめと利用される我ではない!)
「グラファがあんたを切り刻んで封印したのは、12分の1ずつならば勝てるからだろ。だから」
だから。
逃げてくれ? 逃げ場はなかった。
仲間をよんでくれ? この場にはレディル自身しかいなかった。
無理だ。無理なんだ。
地下室で骨董品を磨くことしかできないのに。誰でもいい誰か他の強い人じゃないと……。
(くっ)
黒い雲がミスティルテインの炎を突き破る。
レディルの胸元で何かがぴかりと光った。
お守り石は、見たことのない紫色に輝いていた。
1.朝告げる鳥 | 2.夢見る石 | 3.想い育てる樹 | 4.続く道 | 5.幕間〜からくり犬は見た�供� | マスターより
