先日《夜魔》調査隊が発見した《朱の大河》の洞窟のことは、もちろん《星見の里》でもニュースになった。
アーネスト・ガムラントは、実地調査の前に《朱の大河》と洞窟についても情報を集めていた。《里》に戻ってきて未だ《星見の姫》が見つかっていないことを聞き、肩を落としたのもつかの間である。何か自分にできることをやること、やり続けることで、少しでも《星見の姫》に近づきたかった。《星見の姫》に託した自分の姉妹の行方。姫が見つかれば、姉妹のもとへとたどり着けるはずだと信じている。休みたくない。休むわけにはいかない。
その思いは、壮絶なまでの祈りであった。
「何でもいい、《朱の大河》にまつわる話はないだろうか」
テントもどきの酒場で話を聞いてみたところ、《朱の大河》付近はもともと《星見の民》もあまり近寄らない区域だったらしい。砂漠越えのルートとして分かりやすく、かつ近いという理由で通る以外は。その砂漠越えの用事にしたって、そうそうないわけである。あんなとこ行くのは、物好きな武器屋だけだよと、誰かが言った。
アーネストが今ひとつ気になっていたのは、《剣》たちの行動である。
《夜魔》を倒した瞬間、《星見の民》たちの動きが止まっていた。里の者たちにとって、何か因縁が有る場所なのではないだろうか?
「武器屋に言わせるとね、《星見の剣》が使うのは、あそこで取れる隕鉄でつくったものでなければならないということだそうだが」
「なるほど」
「他には、そうだなぁ……」
強くないものを、と注文して出てきた酒は、白い白いカクテルだった。ココナッツの甘さが、奇妙に「今自分が伝説の地にいること」を印象づける。《忘却の砂漠》に来て2週間以上経つのに、今ごろこんな気持ちになるとは。《大陸》のことは遥か懐かしい過去のことのようだ。そもそも《忘却の砂漠》とは、誰がつけた名前なのだろう?
「……少々、酔ってしまったようだ」
アイリの白衣がふと浮かんだ。そういえば彼女、武器屋の親父と親しくなったとか言っていた。もう一口、白い甘いカクテルを口にした。
「イェティカさまもおかわいそうになあ。肉親がいなくなるなんてつらいよな。あんたも、きょうだいを探しているんだって?」
同情を買うつもりは毛頭なかったけれども、アーネストが自分の身の上を話すと、《星見の民》も親身になって聞いてくれた。
「大丈夫さ、姫様がお戻りになったら、見てもらえばいいんだよ。あんたたちは、よくやってくれてる。見つかるといいな」
張り詰めていた気持ちが、ちょっとだけ和らいだような気がした。
日を改めて、パレスが例の洞窟に行くと言う。
「意外だわ!あの時、すぐにでもあの洞窟に入っていきそうだったじゃない」
グレイス=アーリアは、ふふっと微笑んで、堅物の剣士を見た。パレスは相変わらず眉間にしわをよせたまま「報告しなきゃならないし」とだけ言った。グレイスはそれを里長への報告と理解したのだが、本当はそれだけではなかった。
「……感謝している」
「え?」
「あの時、俺は何も考えられなかった。あの銀髪を追いかけずにはいられなかった。冷静になればなるほど、引き止めてもらってよかったと思う」
「そう」
グレイスは小さくうなずいた。ちょっとだけ、あの時パレスを引き止めたことがひっかかっていたのだ。
もしも《星見の姫》が一刻を争う状態だったりしたら、取り返しがつかないことになっていたかもしれないもの。そしたら、それこそどれだけ後悔するか……でも、これでよかったんだわ。
「シウスがこまごましたものを準備してくれてるわ。落ち着いたら出かけましょう。私も、足手まといにならないようにするわ」
彼女はぽん、とパレスの肩をたたいた。
一方シウス・ヴァルスは、市場にでて必要なものを揃えていた。
「……ロープ、水袋、たいまつは今あるもので足りそうだな。あとは念のために保存食と、石灰か」
「石灰?」
横にくっついているのはルーファ=シルバーライニングである。先輩冒険者たちからもっとたくさんのことを学ぼうと、張り切ってシウスの買出しを手伝っているのだ。例の錬金術師の家の掃除を請け負う前に、小さな洞窟探検をしたことならあった。でもその時石灰って持っていったっけ?
「迷わないための目印にするのさ」
「なるほどー」
「そうだな、お前には関係ないかもしれないが、武器のこともあるぞ」
シウスは自分の得物を指した。
巨漢のシウスの身の丈以上あるロンパイアである。たしかにあの洞窟の外観を見た限り、ルーファの小剣はともかくロンパイアが有効な広さがあるとは思えない。2mのガガが入れる高さではあったが、ロンパイアは振り回す武器なのである。高さも幅も、ガガ二人分くらいは必要だ。
「外観だけじゃなくて、ちょっとだけ中ものぞいたのだ。確かめてきた」
「なんだ、そんなことしてたの!どうりでなかなかみんな、洞窟の前から離れないと思ったよ」
そう言うとシウスは照れたような顔をした。ルーファはシウスのことを少し怖そうだと思っていたが、意外にやんちゃなところもある人だな、と親近感が沸いた。そういえば、思いついたことをすぐ実行する性格だって言ってたっけ。
「ずるいよ!」
「いやでも大事なことだからな。どうも、こいつが使えるほど広くはなさそうだった。ここ一番て時に丸腰の戦士なんてただの人だ。まったくガガがうらやましいぞ。俺も格闘技の心得がないではないが、ガガほどではないからな。やはり、得物を持って戦うのが一番戦いやすい」
「代わりの武器、どうするのさ?」
「それはな……」
その人物は、塔の裏手の墓地にいた。
《剣》の隊長、ハースニールの墓の前に佇んでいたパレスは、シウスが声をかけると振り返った。
「すまない、頼みがある」
彼はパレスの返答を待って、剣を貸してもらえないかと切り出した。
「《剣》にとって大切な武器だというのは理解しているつもりだ。私が扱える武器、壊れにくく使い込まれた剣があれば、非常に助かる。あの洞窟ではどうしても必要なものなのだ」
パレスは快諾した。《剣》のひとりアンジーが後でシウスに差し出したのは、他でもないハースニールが使っていたという剣だった。《夜魔》との戦いのために新調したほうの剣が折れ、残っていたのはハースニールが昔から使っていたものらしい。皮肉なものだな、とシウスは思う。
なぜ馴染んだ武器を持っていかなかったのだ、もう会うことのない隊長さんよ。
そっと両手で受け取って、刃を確かめてみた。使い込まれた武器特有の、鈍い光があった。刃こぼれもなく、シウスの大きな手にも握りやすい。
「ありがとう。大切に使わせていただく」
「いいなあ。ねぇ、ちょっと持たせてくれよ」
ルーファが手にすると、それはずっしり重みがあった。
「《汝の欲することを成せ》か」
ダグザは、パレスそっくりな眉間のしわをつくりながら、一連の出来事について考えていた。気に入らない。まったくもって気に入らない。なんだって一体あんなところに洞窟なんかあるというんだ? やれやれ、我らが依頼主にはまだまだ秘密がありそうだぞ。
「とりあえず、行くしかないんだがな、最初の依頼『《夜魔》の退治』がまだ片付いていないんだから。原因を突き止めて、二度と被害がでないように根本的に対策を練って……」
対策。銀髪の人影。
う〜ん。参るねぇ、あんな幽霊みたいな奴が相手だと。思いは、いろんな方向に広がっていく。
ガガはすっかり砂漠狼と意思を通じ合っているようだ。遠くから見ても彼らがじゃれている姿は非常に目立つ。狼のほうも、フィヌエの街にいたときよりも生き生きとして見える。ボールを互いにころがしあって遊んでいたときなど、たまたまそれを見たジャンが「なんや、蹴球かいな」と思ったのもつかの間、ボールと見えたものは例の爆弾だったこともあった。彼らの遊び場は里の門外であったし、爆弾も火の力が加わらなければ爆発したりはしないので、ジャンの血の気が引いただけで終わったのだが。
そんな様子であっても、
「気をつけろよー」
で済まされてしまうのがガガたる所以であろう。
ルーファが出発の荷物をまとめていると、グリーンがぱたぱたとやってきて、大事そうに抱えていた水袋を手渡した。
「私の代わりに、連れて行ってくださいませんか?」
あまりにも彼女がにこにことしているので、ルーファまでつられて笑顔になる。ダグザの物真似を思い出して噴き出しそうになるのをこらえながら、水袋を受け取った。
「そういえば、前にもらった香草のお礼も言ってなかったな。あれ、効いたんだよ。今度のは?」
「うふふ、これも何かのお役に立つと思いますわ。バードさんたちにもお渡ししてますの。水の精の力をちょっとだけ、この中に」
覗き込むと、くるくるといろんな青色がゆっくり渦巻いているのが見えた。
「水の魔法の触媒にもなりますしね」
「俺は魔法はからきしだからなー、グレイスかなぁ。分かった。渡しておく」
にこにこかつ深々とお辞儀して立ち去る、黒いみつあみを眺めながら思う。
これってもしかしてダグザに渡すと喜ばれるのかなあ。でもあの人飲んじゃいそうだよなー。火の精のお酒ってのは聞いたことあるけど、水の精入りの水なんて。ま、いっか。俺、頑張っちゃおっと。
密かにガッツを入れるルーファであった。
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