目が覚めた時、グリューンの気分は最悪だった。頭が割れるように痛い。結局彼は石段の一番下、らくだたちの間でマントにくるまって夜を明かそうとしたのだった。砂漠の夜は、異世界のように冷え込む。らくだの体温がなかったら、どうなっていたか分からない。しかしこの冷えの中、自分がいつ眠ってしまったのか、グリューンには覚えがなかった。満天の星空を眺めやる。もともと砂漠に暮らす貿易商人の彼だ。《忘却の砂漠》での暮らしで、だいたいの星の位置と時間を割り出せるようになっていた。
「いやな夢見ちゃったな。こんな日に」
銀色の狼のような巨大な怪獣が、仲間たちを襲う夢だった。ぶるぶるぶる、あのツェットが食べられたりなんかしない。
「まだ真夜中前か。そんなに眠っていたわけじゃねーんだな」
大きな伸びをして立ち上がり、さっそく神殿に向かって登りだす。デュースが迎えにくるまでにはあと丸一日待たねばならない。中で過ごしたみんなは、まだ起きているのだろうか。
「あれっ、開いてる」
夕べ目の前で閉じられた扉が、開け放たれていた。青白い光も消えうせている。はやる気持ちを必死に押さえて、グリューンはターバンの上からたんこぶにそっと手をやり、ゆっくりと足を踏み出した。あんなに自分を拒んでいた壁は存在しなかったかのように、少年の小柄な身体はあっさりと神殿の入り口に届いてしまった。グリューンのほうが、拍子抜けするくらいに。
「おい、ツェット、イェティカ!」
声をかけながら、神殿内におそるおそる足を踏み入れる。明かりのない室内は薄暗かった。そっとランプをともす。ほのかに明るさを取り戻した室内に、グリューンは治らない頭痛のせいで、妙な幻覚を見たのだと思った。
そこは、がらんとした部屋だった。きらびやかな装飾や神像といった、彼が想像する《神殿》らしい聖なるシンボルといったものも何もない、殺風景な広間である。そして、そこには誰もいないのだった。
「……?」
誰かが寝ている間に侵入し、みなをさらったのだろうか?扉は開いていたのだから。
「でもそれなら、何か跡が残っているはずなんだ」
危ない目にあっていなければいい。助けを呼んでるなら、全速力で向かうから。
しゃらん。
少年の耳に届いたのは、奇妙に響く鈴の音だった。
「イェティカ!?」
音は下からだ。石の床にぴったり耳をつけ、猫のような姿勢でさらに調べてみる。隙間がないかどうか、ランプで照らしてみると、どういう仕掛けか、床全体がほんのりと光輝き始めた。
「!?」
それだけではない、うっすらと石の床が透けているように見える。淡く輝く床の下には、もう1つの部屋。
「おおおーい!」
下の部屋を見下ろす格好で、グリューンは叫んだ。そこに仲間たちの姿を認めたからである。
全員が、床に倒れているように見えた。下の部屋は、上と違って殺風景どころではない。きちんと祭壇らしきものの上に、捧げ物が並べてある。ただし、果物や肉の類はぐちゃぐちゃに荒らされ、酒つぼはひっくり返って壁にしみをつくっている。イェティカも座ったまま目を閉じて、微動だにしていない。上からではよく分からないのがもどかしい。ただ、どこからか風が吹いているのか、しゃらん、しゃらんとりぼんを揺らす鈴の音だけが、時折聞こえてくる。それがとても不吉に聞こえて、そっと彼は冷や汗をぬぐった。最悪の想像がよぎるが、一生懸命打ち消す。寝てるだけだ。きっと。
「何が起きたんだ?」
砂漠狼が、入ってきたのか? でもどこから?
その時、たしかに砂漠狼の低い唸り声を聞いたと思った。ただし、上から。
ぐるるるるるる。
生臭い吐息が、低い唸りとともにグリューンに吹き付けられる。ぎくりとして顔を上げると、目の前に大きな鼻面があった。
砂漠狼よりも二まわりは大きい、銀色の体毛をなびかせた獣。グリューンも見たことのない色と大きさである。狼にも似た四足には、鋭利な刃物のような爪が生えていた。そしてその頭部、ぴんと立った耳の横から、ぐねぐねと異様なもの。曲がりくねった角が両側についている。
「うわああああっ」
がば、とあごを動かしさえすれば、あっという間に食べられてしまいそうな距離である。どきどきする少年を、しばらく血の色の透けたような丸い瞳でねぶるように見ていたその獣は、すっと鼻面を引いて離れた。
四足できちんと座るし、しっぽの様子なんかは砂漠狼に似てるんだけど、何だこいつ??
「(ふん、男か……)」
獣の第一声がそれだった。
「(ならば興味はない。立ち去れ)」
グリューンがしゃべりかけるより早く、獣がまたふぅっと息を吹きかけた。
「わー!!」
突風並みの勢いに負けて、グリューンはごろんごろんと神殿の外まで転がり出てしまう。階段まで落ちなかったのは、彼の反射神経のたまものだった。
「(ふん!)」
獣は鼻をならすと、開かれたままの神殿の扉から、大きく四肢をかって星空へと銀の体を躍らせた。グリューンが目を見開いて見守る中、獣ははるか遠くの砂に着地し、彼方へと走り去っていった。
呆然としていたグリューンがもう一度神殿の中をのぞくとそこには。
さっき足元に見えていたはずの部屋がそこにあった。すなわち、仲間たちがすやすやと眠っていたのである。
そうして、全員がようやく目覚めたのは、ちょうどデュースが彼らを迎えに来た頃であった。ゆっくりと開かれたイェティカの瞳は、不思議に輝く金と銀に変わっていた。
「あたし……」
あたしが、333代目の《星見の姫》になるの?
姉様が、まだ泣いているのに。助けてって声が聞こえるのに。砂漠のなかの、どこか遠いところにいるわ。きれいな鳥かごにとじこめられているのね。ああ、姉様をいじめているの? その《獣の姫》っていう人が……。
そうつぶやいたイェティカは、色を変えた双眸からぽろぽろと涙を流していた。
第4章へ続く
はい、お疲れさまでした。結局《成人の儀式》は成功したのか? その答えは、儀式に同席したみなさんが判断してください。イェティカはその身に万極星の印を受け、《星見の姫》に選ばれました。なお、今回は儀式に参加した5人に個別物語がでます(物語というよりは、メッセージに近い分量かもしれませんが)。
ちなみにそろそろ《地雷》が発動しております。指針選択即地雷ではもちろんありませんが、誰かにクリティカルな問いかけをしたり、行動をしたりすると、キャラクターが素敵な状況に陥る可能性もございます。地雷カモン!って方は歓迎します。
ということで次章の指針について。洞窟探検組は都合により洞窟の中にとどまっています。パレスとアインも洞窟組です。彼らに対して何かしようと思ったら、出かけていくしかありません。注意点はそれくらいですね。
アクションをどれくらいの文章量で書けばいいのか分からない、という問い合わせが数件ありました。短いとキャラクターがやりたいことは分かっても、それを行動に移す理由や想いまで見えません。また長すぎると、物語で描写できない部分が多くなってしまいますし、指針をまたぐ行動(たとえば離れた場所で行動する)はリスクが大きくなり、成功しにくいものです。ポイントとなるのは、キャラクターの動機「なぜ、その行動をとるのか?」。それが押さえてあれば、こちらも非常に書きやすいというのが本音です。
それでは、また《忘却の砂漠》で。
そうそう、もうすでにご存じかもしれませんが、新掲示板《精秘薬商会》がOPENしております。基本的にキャラクター発言のみ可のパラレルワールドです。が、ここでできた設定など、物語本編に影響することもある、かもしれません。ご了承くださいませ。