イェティカの《成人の儀式》(1)

目を開き、耳を傾け、そうして人々の願いを感じるがいい
どんなに忌まわしい願いでも よこしまな望みでも


 久方ぶりに《成人の儀式》が行われるというので、《星見の里》にも明るいムードがただよっている。《夜魔》の目的はまだ分かっていなかったが、《大陸》から来た冒険者たちが協力して《夜魔》を退けたのは間違いがない。どことなく冒険者たちをうろんな風に見ていた《星見の民》も考えを改めたようだ。

 今年儀式に参加するのは、冒険者たちもすでに見知っている少女イェティカ。ごてごてした羽根飾りだの、ふさふさのサッシュベルトだの、星型の耳飾りだのをつけたその姿は、儀式の礼装だという。初めて泉の脇で会った時の、シンプルなワンピースとはずいぶん印象が変わるものだ。

「とっても似合うよ、イェティカちゃん」
 フィーナ・サイトが彼女の姿をまじまじと見て言った。
 フィーナは年も近いイェティカと仲良くなってからは、いつも彼女といっしょにごはんを食べたり、彼女の仕事のお手伝いなども申し出ていた。今度の礼装の着付けも、フィーナが手伝ったのだ。仕上げにイェティカの髪に、きらきらしいりぼんを結ぶ。
「ちょっと暑いかな?」
「うーん、ちょっとね。でも平気」
 イェティカは照れながら、くるりとその場で回転してみせた。しゃらん、とりぼんについた鈴が鳴った。

「あら、本当ですわ。素敵!」
 グリーン・リーフもその様子をにこにこと眺めていたが、ふと真剣な表情になると、胸に両手をあてながら言った。
「イェティカさん、こんなことをお願いするのも何なのですけれど」
「なあに? パ……じゃないや、グリーン」
「あの、貴方の髪の毛を少しもらえませんか?」
 小首をかしげたイェティカに、最大の護符なのですわ、と説明する。
「変なことお願いしてしまって、ごめんなさいね」
「いいよ。フィーナ、はさみとって」
「それから……」
 なんとなくいやな予感がするから、《成人の儀式》に出ないでほしいのですけれど。
 ずっと思っていたけれど、それは口には出せなかった。髪を手にしたまま口ごもるグリーンに、イェティカはただ
「ありがとう。でも、みんながいるから大丈夫」
と笑った。

 その様子をこっそりのぞいていたグリューンは。
「なあツェット、ちょっとだけ髪の毛くれない?」
「いいけどなんで? まさかあたしの髪の毛銀色だから犯人だなんて言わないでよ?」
「言わない言わない。いいからさー」
 さっそく実行していた。

 イェティカがさらに支度を続けている頃、冒険者たちはさまざまにまだ見ぬ儀式について想像をめぐらせていた。イェティカの家の前で、神殿への出発を待っている。

「おとなになるってどういうことかな?」
 サーチェスが、きょとんとした顔でフィーナに尋ねる。
「えーとねぇ。うーん、どういうことかなぁ?」
「イェティカちゃん、サーチェスと同じくらいの背なのにね、突然おっきくなったりする?」
「うーん」
「もしイェティカちゃんがお姫様になったら、すごいね! サーチェス、お姫様とお友達になっちゃうんだよー。サーチェスはまだまだおとなじゃないけどね」
とぴょんぴょん飛び跳ねながらはしゃいでいる。
「ほしみができたら、はやくおとなになれるのかなぁ?」

 ぱたぱたとクロード・ベイルが走ってきて、イェティカがいないことに一瞬焦る。
「え? もしかして、もう神殿にいっちゃったとか?」
「まだ準備中だって」
「そう、よかった」
 クロードは、イェティカにひとこと、おめでとうと言いたかったのだ。自分も13歳。いろいろ背伸びして強がったりもしていた自分には、大人になるのがうれしい気持ちが分かるような気がする。
「子ども扱いされるのって、ヤだからなー」
 思わず口に出してしまったクロードにグリーンは、
「クロードさん、子どもっぽくなんてありませんわ。ひとりで冒険して、立派ですもの」
「……そうかな? そんなことないだろ。入れないところいっぱいあるし。酒場とか」
 脳裏には、ゴツイおっちゃんにからかわれて、見返してやるつもりで強い酒を一気飲みしたときのことがよみがえる。
「うぇ〜、思い出しちゃったよ」
「サーチェス、お酒好きだよ♪」
「マジかよ!さすが芸人さんは鍛え方が違うなあ」
「うん、あのね、たんぽぽのお酒なの★」
「サーチェスらしいや。そういうグリーンはどうなのさ?」
「え? 私は、お酒の席はあまり得意じゃ……その、絡まれやすい質らしいんですの。どうにも、悪酔いなさった方のお相手というのが大変ですし」
「やっぱり俺くらいの年の時、頑張っちゃったりしたことあった?」

 その瞬間、グリーンの目に焼き付いている光景が、フラッシュバックで襲いかかってきた。
「……あ」
 何度も夢に見た、忘れようとしても忘れられない出来事。
「私は……」
 くらっと眩暈をおこしてよろめくグリーンに、さっとグリューンが肩を貸した。
「おい、クロード! なんかお前ヒドイこと言ったみたいだぞ!」
「ご、ごめんねグリーン、大丈夫?」
「ええ、ごめんなさいクロードさん、あなたは悪くありませんわ」
 グリューンにも、ひとりで立てるから、と礼を言う。黙って見ていたツェットが心配そうに声をかけるが、
「大丈夫。ちょっと日陰で休んできますね。出かける時には声をかけてくださいな」
 蒼白な顔で無理に微笑んで、グリーンは泉のほとりへと向かった。
「どうしよう。俺、最近地雷ばっかりだよー!」
 語り部たるもの、発言には気をつけねばならない! 言葉しだいで、人を励ますのも希望をもたらすのも、自在にできるような話し手にならなくちゃ。
 堅く心に誓うクロードだった。

 落ち着いて後、また気になっていたことを仲間に切り出す。
「イェティカより小さい子っていないって聞いただろ?」
 クロードはそのことがひっかかっていた。《星見の里》には9歳というイェティカより後に、子どもが生まれていないらしい。体が悪いわけではないというから、それってとても深刻な話なんじゃないかと思うのだ。
「だってもしこのまま子どもが生まれなかったら、いつか《星見の民》っていなくなっちゃうじゃん」
「そういえばそうだね」
 ツェットもうなずいた。
「それに、《星見の姫》になるのだって、前のお姫様が亡くなったとか、そういうの関係なしなんだろ?」
「そうそう、フィーナも聞いたんですぅ」
 《星見の姫》の情報についてずいぶん詳しくなったフィーナが答えた。星が空をめぐるように、万極星の力も女子から女子へめぐるのだと。空の万極星自体は動かず、常に天の中心を示すものだが、万極星の強力な力は、より受け継ぐのにふさわしい子どもへと移動する。蝶がさなぎを脱ぐように。そうしていつか、金色の姫が目覚めるというのらしい。

「今までお姫様だったのに、ある日突然、別の子が《成人の儀式》で次のお姫様になっちゃうんだよね。前のお姫様ってどうなっちゃうの」
「里長とかになるんだろ」
「お姫様には、その時が分かるのかな? 代替わりしそうだ、とか」
「《星見の姫》は自分自身のことは分からないっていってたから、無理じゃねーの」
「子どもがいなかったらヤバいよね」
「わかった、俺やっぱりちょっと調べてくるよ」
気になったらとまらないたちのクロードは、たたっと出かけていった。

 泉のほとりの草むら、石壁に背をもたれて座り込むグリーンは、ひとりぼーっと空を見上げる。青空に、流れていく雲。心まで、からっぽにできたらいいのに。
 一筋の風が、ふわりとグリーンの三つ編みをゆらした。
(ああ、精霊……)
 《朱の大河》に向かったメンバーは、無事だろうか。自分のかわりに連れて行ってもらった水の精霊が、何か役に立っていればいいのだけれど。話し相手になってくれるアインも、今は洞窟探検中だ。
(ねえ、私に何が出来るのかしら……。
 ―――皆の為に、祈る事、歌う事……
 ただ、それだけ……それだけ―――)
 泉の向こうを見やると、水際に人影が見える。なんとなくそちらのほうを眺めていると、人影が手を振っていた。トリアとジェニー、そして背が高いのはバードだろう。
(そうね、できることをやるしかない)
 グリーンは立ち上がり、彼らに手を振り返した。

 サーチェスは待ちきれずに、ひょこっとイェティカの家を覗いてみた。
 イェティカは礼装のまま腰掛けており、里長がその顔や腕に、赤い絵の具で印を描いている。くすぐったそうなのをがまんしているイェティカを見ると、サーチェスまでむずむずしてくる。
「おや、サーチェス」
 里長が絵の具を溶きながら、ピンク色のポニーテールに気づいて声をかけた。
「もう少し待っておいでね。これで印を描き終わったらおしまいじゃ」
「それっておとなのしるしなの?」
「そうだよ」
 いいなぁ〜、を絵に描いたような少女の視線に苦笑しながら、里長はぺちょ、とサーチェスの顔にも絵の具をつけた。
「イェティカちゃんとおそろい♪」
「取れなくなっても知らないよー?」
「ええっ、取れないのこれ?いいよ、そのときはサーチェスも《星見の民》の仲間に入れてね」
「そしたらサーチェスが、里一番の踊り上手だな」
 里長はうんうんと嬉しそうにうなずきながら、またイェティカに印を施した。

 迎えにきた《剣》のデュースも、サーチェスの頬に入れられた朱印に驚いた。
「あー、サーチェスちゃんずるいですぅ」
 黙っちゃいないのがフィーナだ。青味がかった長い黒髪を、ぶんぶん乱してうらやましがる。
「いいなあいいなあ、フィーナも入れたいよう」
「フィーナちゃんも、《星見の民》になる?」
「なりたいなりたい!フィーナ、ずぅっとなりたかったんですぅ」
というわけで、急遽頬に朱印を入れてもらった。
「これ、ほんとにとれないの?」
「さあてね、そしたらどうするね?」
「でも、この印のところにお星様の力が宿るんでしょ?そしたら儀式のときに、お星様間違って来てくれないかな?」
「おそろい♪」

 もちろん冒険者たちもびっくりした。仲間がいつの間にか、朱印入りになっていたのだから。
「痛くありませんの?」
「うん、くすぐったかったけどね〜」
「大丈夫かよ?もし何かあったら」
 クロードは口ごもった。もしイェティカを狙う何かがあったら、幸か不幸か二人が囮になってしまうじゃんか。その時は、俺のアクアとフレアで頑張るけれど。またそっと、腰の剣に手をやった。

「では、今から神殿の方に」
 敬礼するデュースに里長はうなずいた。
「これから向かえば、明るいうちに着きそうだな。道中よろしく頼むぞ」
「は」
 みんながらくだのところに向かう間、グリーンはそうっと里長に近づき、一礼して切り出した。
「あの、ちょっとお尋ねしたいんですけれど……今回の《成人の儀式》はどうしてもやらなくてはいけないものなのでしょうか?」
「《星見の民》であれば、10歳までに行っておきたい儀式なのだよ。この砂漠で生きていく上で、我らには不可欠の力、星の力をまとわねば、長くは生きられない。子どもたちはなるべくはやく、そしてひとりで一夜を過ごせる体力と精神力が身についたら、儀式を受けることが望ましいのでな」
「そうなんですの。私、どうしても気になってしまいまして。でも今は、時期尚早ではありませんか?《夜魔》の出現の原因も理由も、まだ不明のままなのですし……」
 グリーンはいっそう不安げな表情で、はしゃいでいる少女たちを見やる。どうしても、不吉な予感がぬぐえなかった。

「もしできるのでしたら是非、《星見》をしていただけませんか、《成人の儀式》の」  何とかして安心したいとグリーンは思った。
 私は専門家ではありませんもの。たとえどんなに不吉だといっても、私の思い違いかもしれませんわ。その可能性のほうが高いですわね。ほら、いつもそそっかしいって言われてしまう私のことですし……。
 自分に言い聞かせる。
「おまえさんのいうことも、よく分かるよ」
 里長は、じっとグリーンの目を見ていった。そして少女たちに視線を移す。
「《大陸の民》はほんとうによくやってくれておる。だが、我らには我らのルールもあるんじゃ。《成人の儀式》を延期するなら、あと一月待たねばならない」
「一月」
「砂漠の夜を支配する、万極星の光が最も強くなる日、新月。儀式はその晩に行う決まりでのう」
「ああ、そういえば」
 残念そうなグリーンに、里長は一通の巻物を示した。すでに《成人の儀式》に関する《星見》は行われていたのだ。そういえば、こうやってきちんとしたかたちで《星見》の結果を目にするのは初めてだ。グリーンはそっと巻物を広げた。朱墨で描かれたような文字だ。
「これ、里長さまが?」
「まあのう。本来は日取りを決めるのも姫様の仕事だがね、代理というわけだね。……読めぬか」
 こくんとうなずくグリーン。これに似たものを見たことはあるのだが、ぱっと見ただけではよく分からなかった。

「我らの《星見》は、万極星の声を聞き、それを全身全霊で受け止めて代筆する。もちろんその時々の星の位置や時間、光の強さといった要因も絡むがね、基本的には自分という存在をからっぽにして、聞こえる声を写し取るのさ。まあいい、こう書いてある。

『成人せし者 その瞳に宿る星もちて
 すべてのくびきをたちきる刃となる

 鍵 父なる者 解放 涙 深憂 選択の道』 」

「……ええっと」
 目をぱちくりさせるグリーンに、里長はいった。
「《星見》の意味は受け取るものそれぞれ。昔はこの身に宿した万極星の力も、今はラステル様に移り、老いぼれにはなかなか明確な答えはだせぬものよ。だが、信じたい。イェティカが今日宿す星が、《夜魔》めの苦難から我らを解放する力となることを」
「この《星見》のことを、イェティカさんはご存知なのでしょうか」
 小柄な老婆は首を横に振った。
「儀式自体でここまで特定の言葉が連なることは珍しいが、負のイメージではなかろう。特別な構えは取りたくなかったんだよ。戻ってきてからでよいのではないかと思ってな」
 グリーンはそっとうなずいた。

(2)