イェティカの《成人の儀式》(2)

 儀式が行われる《万極星の神殿》は、《星見の里》から北東にいったところに位置するという。そこまでの案内兼護衛は、《剣》のデュースが務めた。
「それにしても、いいんですかね、イェティカさま?」
 幌つきの馬車をらくだに牽かせて一行は移動していた。手綱を操るデュースの声はいささか弱弱しい。
「いえ、僕はこの目で、《大陸》の冒険者の方々が、《夜魔》をこっぱみじんにしたのを見たのですけど」
「何が言いたいの?」
 幌から、イェティカが顔を出す。
「ですから、成人の儀式は伝統ある《星見の民》の秘儀なわけで」
「大陸の民には見せられないっていうの?」
「いえ、そんな」
 デュースの受け答えは要領を得ない。イェティカは「里長さまが、いいっていった」の一点張りで、冒険者たちの同行を認めさせたのだ。万一《夜魔》が現れた時の対策も、打ち合わせてある。幌の中にはイェティカとフィーナ、サーチェス。他にも儀式に使うという供物だの、鳥かごだのが積まれていた。その車の周りを囲むように、ツェット、グリューン、グリーン、クロードがそれぞれらくだで固めている。

 実はツェットとグリューンが、イェティカにちゃんと会うのは初めてである。
 ツェットのことは「知ってる。猫つれてるお姉さんでしょ」とうなずくイェティカだったが、グリューンを見ると明らかに口をとんがらせた。
「何だよっ、俺だけ仲間外れかよ!」
 声変わり前の高めの声を、低くなるように意識して話すグリューンだが、この時ばかりは地声に戻ってしまった。
「悪いことなんてしねーよ、ホラホラ、俺も砂漠の生まれだし」
 ターバンをほどいてひらひらさせてみるが、イェティカの表情は変わらない。
「砂漠の生まれ〜?」
「ああ、そうだよっ。《忘却の砂漠》だけじゃない、《大陸》にだって砂漠はあるんだ。そこの貿易商人サマなんだよ俺。これからの商売のためにも、文化とかしっておきたいんだ。辺境の小さな部族だけど、俺の目の色も全部ユイショ正しい……」
「あーもーわかったよ。どうなるかわかんないけど、来るだけならついてこれば」
 くーナマイキ! とグリューンは思ったが、おとなしく従うことにした。なんといっても、この子の機嫌を損ねてしまってはどうにもならないのだ。

 ついてくるなら神殿まで、という条件でグリューンも同行できることになった。
(里長のばーちゃんに教えてもらった《星見》。もしも俺の予想が正しければ、光る夜=満月の晩に、《星見の姫》ラステルは《父なる者》ってヒトだか神様だかに、自らを捧げて祈った……)
 《父なる者》に会うには、《万極星の神殿》が一番いいのだろう。それなら、行かない手はない。ツェットもあの性格なら、絶対神殿の中に入るつもりだろうし、何か異変があったら踏み込んでやらなくちゃ。という訳で、今はおとなしくらくだを操っているグリューンである。

 道中は特に何もなく、ものの1時間ほどで《万極星の神殿》が見えた。無限に続く砂丘の彼方にシルエットが浮かび上がる。大きな積み木のような三角錐、いわゆるピラミッドである。3つの角をそれぞれ北・東・西に向けた正三角形。
「わ、でっかいな!」
 クロードが声をあげた。
「ガガみたいなひとたちがつくったのかな?」とサーチェス。
「ガガが100人いても、簡単にはつくれないんじゃない?」
 ツェットは口をあけて、巨大な三角を見ている。
「巨人の伝説は伝わっていないけれど、もしかしたらそうかもしれませんね」とデュース。
 シルエットがとらえられても、実際に近づくまでにはさらに時間がかかった。茜色に砂丘が染まる頃、ようやく入り口に到着した。

「では、私はここで」
 デュースがピラミッドの前でらくだを止めた。神殿の中へは巨石の階段をのぼっていくようになっている。高めの階段の上にみんなは降ろされた。
「明日の日没に、またお迎えにあがります。水と食料はこちら。捧げ物はこれです」
 どん、と階段の上に置かれたのは、きれいな飾り台の上に山盛りに載せられた供物だった。
 果物、生肉、いくつかの貴金属、酒つぼ、ろうそく。
「いいですか、階段を上って中に入ったら祭壇があります。そこにこれをお供えして、夜の間眠らずに瞑想を続けて、星の力をその身にまとうようにするんですよ」
「はーい!」
「私は里に戻りますが、もし何かあればこれを」
 デュースが最後にイェティカに差し出したのは鳥かごだった。金色の小鳥が止まり木にとまっている。放すと伝書鳩のように里に戻る鳥だという。
「みなさんの乗ってきたらくだは、ここに残していきますね。まぁ、外で待つ人がいるということですので。それでは」

 デュースが辞したあと、ほくそえむグリューン。
「なあんだ、《成人の儀式》って、ほんとにひとりでやるんだな!」
 両手に供物を持って、大きな階段をほとんどよじのぼるようにして神殿を目指す。かなり高いところに、青白い輝きを放つ大きな両開き扉があった。
「これなら、簡単に入れちゃうじゃないか」

ゴン。

 鈍い音は、グリューンの額が見えない壁にぶつかった音だった。
「っつう〜」
 しゃがみこんで、そうっと手を伸ばしてみた。手に触れたのは、そこにある扉。
「??」
 もう一度立ち上がり、一歩踏み出す。また鈍い音。

 イェティカたちもゆっくり階段をのぼってやってきた。
「どうしましたの? グリューンさん」
息も切らさず登ってきたグリーンが尋ねた。見えない壁が邪魔をする、という少年の意見に首をかしげる。
「先日様子見に来たときには、そんなことありませんでしたわ。もちろん扉はそのときも閉まったままで、私はここで精霊の様子を確かめただけだったのですけれども」
 ああ、今日は扉が光ってますのね、とグリーンは付け加えた。やっぱり、儀式の日は特別なのでしょうか。
「壁なんてないよ」
 イェティカが近づくと、扉は青白い輝きをいっそう強くして、ゆっくりと音もなく内側に開いた。

 そのまま彼女はてくてくと中に入る。りぼんがゆれて、しゃらしゃらと鈴の音が後を追った。くるりと振り返って、一行を手招きする。サーチェス、フィーナ、クロード、ツェット、グリーンの順で扉をくぐりぬけるが、壁が阻んだ様子はない。グリューンは焦った。
「ちょっと、なんでだよー!」
 ごんごんとこぶしで壁をたたいてみるが、いたずらに痛みが増すだけである。そうこうしているうちに、扉がまた閉まりだした。
「やべ、嫌われてんのかな俺」
 神殿の内部から漏れる細い隙間からの光だけを残し、ついに扉は閉ざされてしまった。グリューンはため息を1つつくと、どっかとその場にあぐらをかいた。目の前は満天の星空だ。彼方に光がいくつも集まっているオアシスが見えた。《星見の里》だ。この神殿の入り口は、南向きになっているらしい。ひときわ明るく輝くという万極星は、裏側に回らないと見えないようだ。グリューンはふところから、銀色の巻き毛を取り出してじっと見つめた。ハースニールに想いを寄せていたらしいお姫様。耳にする訃報。不吉な《星見》を変えられなかった自分。家族まで《夜魔》に奪われて。
「家族かぁ」
 つかの間彼の思いは、生まれ故郷の砂漠へと飛んだ。

 そうして中に入ることのできたメンバーは、きょろきょろと神殿の内部を見回した。扉は内側から静かに閉まったが、まだほのかな青白い光を帯びている。階段で登ってきたことから考えると、地上から10mくらいの高さになるのだろうか。ピラミッド自体はもちろんもっと大きい。それこそガガが100人いたって建設に何十年とかかりそうなサイズである。

 そこは長方形の部屋だった。6人が入ってもまだ広く感じる。窓はもちろん光源などないのに、あたりを見るのに不自由しないほどの明るさである。
「あっ、これ床が光ってるみたいだ」
 クロードが、どんどんとその場で足踏みをすると、わずかに床は反応して明滅した。
「不思議だな、これ、石の建物だろ?」
「わー、おもしろーい! ここで踊ってみていい?」
 いらえを待たずにサーチェスは、とんとんとその場でステップを踏み始める。またちかちかっと床がまたたいた。

「グリーン、前にここに来ていたの?」
 ツェットの問いにグリーンはうなずいて、先日、神殿に魔力の乱れがないかどうか調べにきたことを話した。
「さっきデュースさんに降ろしていただいた、あの石段の上で、精霊との交流を試みたのですわ。

 聞かせて、その囁きを、
 過去から未来へ続くその囁きを―――
 受け継がれしその調べは、
 全てを導き、調和を満たす。
 聞かせて、その囁きを、
 過去から未来へと紡がれしその伝承を―――
 見るは定め、
 受け継ぐは証し、
 積もり往くが時と成らん 」
 ふうっと息をついて、グリーンは肩の力を抜いた。
「その日はあまり強い力は感じなかったんですの。でも、今は違いますわ。この空間に、不思議な張りが満ちているのが分かります……」
「精霊が集まってきているの?」
「どうかしら、大地の精霊はもともと強いようですけれど。ああ、精霊だけじゃないみたい。私が今までに知らない、大きな力が近づいていますわ。大きく、強い。不思議な意思の存在……」

 イェティカはぐっと口を結んだ。どきどきが押さえられないのだろう。ぎこちない動きで、供物の皿を順番に祭壇にのせていた。それをフィーナとサーチェスが手伝っていた。
「グリューン、大丈夫かな?」
「男の子だもん、大丈夫だよー」
 お気楽なツェットの言葉に、複雑な表情のクロードは、
「いくら男の子だって、砂漠生まれの砂漠育ちだって、《夜魔》が出てくるかもしれないじゃんか。食べ物だってこっちにはあるけど、グリューンのヤツは持ってねーかもしれないぜ?」
と、ちょっと心配だった。

「そっか、様子だけ見てみよう」
 ぱたぱたとツェットは扉にかけより、細い細い隙間からグリューンの名を呼んでみた。
「おーいおーい、グリューン?」
 返事はない。
「寝ちゃったかな?」
「まさか、早いよまだ。聞こえないだけじゃないか?」
 心配しているのを悟られないように、いそいそとグリーンは、いつものお茶の準備をし始めた。ほのかな芳香が神殿にただようと、ようやくみんな、いつものリラックスした雰囲気を取り戻し始めた。

「でもやっぱり、ここでひとりでいろって言われたら、こわいなあ」
 ツェットがしみじみと感想を述べた。
「あたし、こう狭いところとか好きじゃないし」
「ひとりだとは限らないんだよ。たまたま、あたしと同じ年の子どもがいなかっただけ」
 笑顔を取り戻したイェティカによると、同じ年頃の子どもはまとめて儀式を行うこともあるのだという。
「子どもがなかなか生まれないからね」
 弟とか妹がいたらなあ、とイェティカは付け加えた。
「そうだな、俺双子の弟いるけど、やっぱり仲いいもんな」
 クロードが、故郷にいる家族の話をひとしきり披露する。この剣ね、アクアとフレアって名前なのさ。俺たちが生まれたときにつくったものだって、じいちゃんがいってた。俺の二刀剣術もじいちゃんに教わったんだ。
「そういえば、子どもが生まれないことを里の人にも聞いてみたよ。でもヘンなの。誰も焦ってないんだよ。普通、おかしいだろ?10年近くも赤ちゃんがいないなんてさ。もしかしたら10年前にいろいろ起こってる出来事が関係してるんじゃないかって思ったんだ」
 みんなあんまり教えてくれないんだよ。なんか子どもだからって思われてるみたいでさぁ、俺、ばかにすんなよって叫んじゃった。そしたら、10年前にいなくなった《星見の姫》さまが、ニンシンしてたって噂があるらしいんだよ。それでその子にのろいをかけたとか、かけないとか……。
「あれ?」
 夢中になってしゃべり続けるクロードがふと気が付くと、横に座っていたサーチェスが、ことんと頭をクロードの肩に預けて寝息をたてている。フィーナは膝を抱えてすやすやと。ツェットはしどけなく、口をあけたまま。イェティカの灰青の瞳もとろんとしたいて、今にも船を漕ぎそうだ。

 グリーンは必死に眠気と、迫りくる異様な気配と必死に戦っていた。
「おうい、どうしたんだよみんな!? イェティカ、寝ちまったらだめなんじゃなかったのか?」
 そうっとサーチェスの頭をずらし、イェティカの背中をぽんぽんたたいてみるが、彼女のまぶたはついに閉じられてしまった。ぴたぴたと頬を軽くたたいてみる。
「熱い!」
 朱印を入れたところが、とんでもなく熱くなっている。触れた指先がびくんと離れるくらいだ。おかしい、これが「星の力を宿している」ってことなのか? あわてて、フィーナとサーチェスの頬にも触れてみた。やはり、同じように熱くなっている。
「グリーン!?」
 何かへんだ。《星見の民》ごっこをしていたフィーナたちならまだしも、ツェットまでが眠ってしまうなんて。
「ええ、何か、とてつもなく大きな力が近づいてきますの……クロードさんしっかりなさって!」

 重くなるまぶたに一生懸命いうことを聞かせながら、グリーンは魔力の流れに感覚を集中させた。徐々にかたちをとりつつあるなにか。銀色の強烈な気を感じる。
「眠っちゃだめですわ!」
「あ……だめだ、俺も……」
 とっさにグリーンの口をついてでてきたのは、昔からよく歌い続けていた歌だった。悪い夢を見てしまったとき、怖い考えが頭を離れなくなったとき、孤独でたまらなかったときに勇気を取り戻す歌。よこしまなものに立ち向かい、うち勝つ力を願う歌。全身全霊を込めて、歌姫は歌う。
(しぶとい女だ)
 グリーンのすぐそばで、声が聞こえたような気がした。耐えがたい大きな何か。びくりと身を震わせるが、歌い続けようとする。
(これでは入れないではないか)
 銀色のなま暖かい風を吹きかけられ、ついにグリーンはまぶたを閉じてしまった。

 ああ、ようやく歌姫さんの歌が聴けた。さすがにうまいや。いい声だなあ。
 そこまで考えて、クロードもついに猛烈な眠気に襲われてしまった。
「くそー、寝るもんか……」
 アクアの切っ先で、すっと自分の甲を切りつける。うっすらと赤い筋がにじむ。だが、抵抗できたのはそこまでだった。

暗転。

(3)