さて、人影まばらな早朝の《星見の里》。
中央にたゆたう泉の水辺に、朝早くから水汲みに来ている人影がある。ひとりは、《成人の儀式》を今夜控えた少女、イェティカ。もうひとりは、グリーン・リーフである。互いに見知っているふたりは、それぞれ携えた水桶と水袋に泉の水を汲んでいる。グリーンがイェティカの水桶を満たすのを手伝うと、今度は持参した水袋のひとつをイェティカに渡して、にこにこっとほほえんだ。
「今日はこの泉の水に精霊を宿らせようと思いますの」
「せいれい?」
《星見の民》は、魔法の力を用いずに暮らしてきた民である。《大陸》ではあまねく巨大なエネルギー、いわゆる火や水、風、大地といった自然の力や、美しい歌や踊りにはみな、魔法を生み出す力が秘められているとされている。うずまく混沌のエネルギーから、望み通りの結果をもたらす《魔法》をどのようにして織り上げるのか、それはそれぞれの術師によって違う。グリーンの場合は、それが歌だった。
説明されても、イェティカはまだ不思議そうな顔をしている。
「せいれいって、その中に入って苦しくないの?」
「精霊たちは、私たち生身の人間と違いますもの。肉をもたない、純粋な……ええっと、なんと説明したらよいんでしょう」
とにかく、世界にはたくさんの精霊がいて、お願いすれば力を貸してくれるのですわ。
イェティカはうなずいた。
「星が空にいっぱいあるようなものね。みんなにそれぞれ守護星があって、力をわけてくれるんだね」
グリーンは二つ目の水袋にとりかかっていた。きらきらといろんな青色に変化する水が、水袋に閉じこめられた。
「これは、洞窟に行く方たちに。こっちは、バードさんたちに」
「こんどまた、いろんなせいれい見せてくれる?」
「もちろんですわ!」
ぱっと頬を染めるグリーンだった。
そして、その水袋のひとつはアデルバード・クロイツェルに渡された。
「おお、そうか、水の精霊ねえ、うんうん」
でれっとしている父に肘鉄をくらわせて、ジェニー・クロイツェルは準備を整えた。いわずとしれた、今日は泉調査の第2回目なのである。トリア・マークライニーも、自分が見たものを確かめるためにまた潜ることに決めていた。
「さっすがグリーン、気が利くね。これで水の上を歩けるような魔法、つかえるかな?」
「溺れないくらいの浮力を補ってもらえるくらいは、できるんじゃないか?」
とバード。
「ボクも呼吸をつなぐ空気や浮き袋、つくってみたんだよ」
トリアが差し出したのは、里にあるものをうまく利用したお手製のエアータンク。家畜の皮でできた水袋を材料にしている。
「すごいわ! これも、お師匠様からならったの?」
ジェニーの賞賛に、えへんと胸をはった。
「おおっ、い〜いカンジじゃないかトリアちゃん。よしジェニー、これ濡れないように持っててくれよ」
調子のよい父親にぽん、と半分商売道具の琵琶を渡されて、ジェニーは焦った。
「ちょ、ちょっと待ってよお父さん! 私はお留守番ってこと?」
「だっておまえ、この前えらく苦しんでたじゃないか」
バードが指摘するのは、泉の調査でジェニーがずいぶんと力を消耗したことである。確かに前回、身にまとう火と大地の力のせいで彼女はかなり苦戦した。
「そんな〜」
「それに、おまえ昔潜ってて頭ぶつけて以来、潜るのは苦手とかいってなかったか?」
ずいぶん昔の話を持ち出したバードである。
「う……何よ、分かったわよ。残ってればいいんでしょ」
ぷぅっとふくれつらのジェニー。
「でも、無理はしないでね」
「へいへい」
「さ〜てと、見つかって怒られないうちに……」
ばれても、潜っちゃうんだけどね、とトリアはちろりと心の中で舌をだした。
とぽん! 軽やかな水音と、どっぼーん! 激しい水しぶきとともに、ふたりは潜っていった。
ジェニーは父親とトリアの荷物の傍らに腰を下ろした。バードが大切にしている琵琶を手にとってみる。螺鈿の模様はささやかで、ほとんどが漆塗り。さすがにジェニーには大きい。4本の弦をつまびいてみると、ぽろんと高い音がした。わりと大雑把な父親に似合わず、きちんと調弦してあった。
バードの奏法は、ばちを使った東方風のものではなく、五本指に爪をつけて旋律を奏でるものだった。こっちのほうが、トレモロできていいんだよ。弾き語りにはほんとはばちのほうが、ひとつひとつの音のめりはりが出ていいんだけどな。そう言っていた父親の演奏を真似て、ジェニーも少し練習してみることにした。
さて、一方のアゼル・アーシェアは、《精秘薬商会》を出て以来ずっと試みている地図の作製がいきづまり、悩んでいた。
「やれやれ、われながらいいセンまでは来ていると思いたいところですが。相談相手は洞窟に行ってしまいましたし、どうしましょうかねぇ」
《白羊の集会所》は今朝はからっぽだ。《朱の大河》で見つかった洞窟を探検に、アイリもアインもでかけてしまっていた。今夜にはイェティカの《成人の儀式》も行われるという。落ち着かない。いくらなんでも、ひとりでいるには広すぎる。もう何遍もぐるぐると回った《星見の里》を、もう一週してみることに決めて、アゼルは立ち上がった。
もはや《里》で足を踏み入れてない場所はない。アゼルは行きつけとなった酒場代わりのテントをのぞいてみた。今日は赤ら顔の酒好きたちはいないようだ。かわりにおかみと、おばさんといった年代のひとたちが何人か、子どもを連れて集まって、井戸端会議ならぬ樽端会議である。アゼルも何度も見た光景だ。彼女たちは子供たちを広場で遊ばせている間、自分たちも息抜きをしているのだった。
その輪の中心にいたのは、仲間のファーン・スカイレイク。薄茶色の短髪が、ターバンからのぞいている。吟遊詩人らしいゆったりとしたマントと飾り気のあまりない服装で、月琴を抱えた彼は歌いながら情報収集を決めたらしい。アゼルに気がつくと、朗々とした歌声を止めて片手を挙げた。
かしましいおばさんたちがすぐにアゼルに椅子をすすめる。さすがにファーンは人の輪の中にいるのが似合うな、と思いながらアゼルもそこに加わった。木の椅子に座って視線が低くなると、いっそう外の大通りの直線が際だって見える。
「はかどってるかい?」
「ええ、まあ」
苦笑しながらアゼルは答えた。
「僕もね、今丁度みなさんに話を聞いていたところです」
「なにいってるんだい、まだ大して話しちゃいないじゃないか。みんなでこの人の歌に聞きほれてたところだよ」
ばしん、とたくましい手で背中をたたかれ、優男は目を白黒させる。歌を通じて里の人間と交流しながら、里の習慣やおとぎ話、そして金色の姫についても尋ねてみようと思っていたのだ。
「おっ、揃ってるやんか」
ふらりと訪れたのはこれまた仲間のジャニアス・ホーキンスだった。先日は市場をひとめぐりして品揃えをチェックした後、ガガのアイデアに触発されて火薬玉などもつくってみた。いろんな事に手を出している男である。今日も炙り串を片手に調子がいい。
「仲間に混ぜてぇな」
「俺も今来たところなんですよ」
アゼルが体をずらして、ジャンの座る場所をあけた。
ジャンは、《星見の民》のまーけてぃんぐをしとるんや、と言って笑った。
「酒飲みながら話すんが、一番口が滑らかになりますやろ」
その場にいる人々に、酒つぼをどんと置いて振舞っている。
「今日はイェティカ嬢ちゃんの、ハレの日や。このくらいせぇへんとな」
ちょっとしたお祭り気分なのである。もともと酒場に集っていたおばさんたちも、そうねぇあのイェティカ様がね、なんて話しながら手を伸ばしていた。その様子を満足げに見守るジャンだ。
いつもアインを追いかけている子どもたちは、月琴を珍しがってぺたぺた触っている。
「これ《大陸》の楽器なの?」
年かさの少女に尋ねられ、吟遊詩人はうなずいた。
「僕の相棒です。自分の出したい音を出せるようになった時は、とってもうれしかったんですよ」
つかの間、胸にこみあがる想いに遠い目をするファーンだが、すぐに少女ににっこり微笑む。
「でも僕たちの仲間には、いろんな楽器を演奏する人がいますよ」
螺鈿琵琶を持つバード、たいていのものは弾きこなせるけれど得意なのは竪琴だというグレイス、オカリナをそっと魔法のベルトポーチに忍ばせているグリーン……。
「金色の姫の歌の話を聞いたんですが、もっと詳しく教えてもらえませんか? たとえば、どういう感じの?」
「子守唄だよ。金色の姫様が《星見の民》みんなを導いてくれるの。今は砂漠の奥深くで眠っていらっしゃるの」
少女がちょっとだけ、メロディーをうたってみせた。
「あー、上手やなぁ。嬢ちゃん別嬪さんになるで」
「きれいな曲ですねぇ」
ファーンはそれを真似して、二本弦の月琴で器用に数節奏でてみた。
「でも、今のお姫様、ラステルさんも金髪なんでしょう。そしたら彼女も金色の姫といえますねえ」
アゼルは《星見の民》と《里》の成り立ちから、地図作成のヒントを得られるのではないかと考えていた。
「《星見の民》は、星と大地の力を取り込んでいる民だから、そういう色をしている者が多いんだって、里長さまがおっしゃってたわ。金色の髪をしている者は多いけど……」
少女は自分のみつあみを、つんとつまんで見せた。明るい茶色で、透けると金に近い。
「金色の姫っていうのはね、もっともっと、髪の毛だけじゃなくって心も金色なんだって」
《星見の民》の最初のひとりをこの地に導き、自分は千年後に戻ると言い残して永い眠りについたのだという。心も金色っていうけど、でもそんな色なんてわからないもの。でもね、姫様の《星見》でも、金色の姫が現れると出たことはないのよ。まだ先の話かもしれないって、みんないってたわ。
少女の言葉に、仲間が持ちかけてきた疑問をふと思い出す。そういえばグリーンが、《星見の民》の髪の色や瞳の色にこだわっていた。あとで、里長さまに会ってみよう。
「ラステルさまが姫様になられたときも、確かにその金髪でみなは沸き立ったんですよぅ」
そばで冒険者と少女のやりとりを聞いていたおばさんが口をはさんだ。
「これはもしや、金色の姫様がいらっしゃったのかってねえ。でも、《星見》にはちっとも金色の姫様は写らないときたもんだ……でもねえ、あたしたち《星見の民》を導いてくださるのはありがたいけれどね、それは《星見の姫》さまだけで充分なんですよ。ここでこのまま、姫様に守られて、砂漠で暮らしていくのにちっとも不便はありゃしませんからねぇ」
砂漠の外で、万極星の光の届かないところで暮らすのはどういう気分なんでしょうねえ。
おばさんたちはいろいろと想像をめぐらしているようだ。
「金色の姫って、どうやったら目覚めるんでしょうねえ」
「そもそも、どうして眠っているんでしょう」
単なるおとぎ話とは片付けたくないファーンである。もともと《大陸》に伝わる昔話や歌語りには、必ず失われてしまった意味がある。ファーンはこの子守唄もレパートリーにいれようと思った。
少女は一生懸命続きを思い出そうとしている。腕組みしながらうーん、と固まる。少年が助け舟をだした。
「たしかね、契約をしたんだ……千年後の民に選択をさせるって。契約書の定めに従って、3人の神様たちと」
「「「かみさま?」」」
驚きの声が重なった。いや、ジャンのアクセントだけは微妙に違ったが。
《星見の民》は万極星を信仰する民。その口から、神様という言葉が出てきたのが驚きだった。《大陸》では神々が地上を去ったのが千年前。もしかしたら神話の時代の話が、ここ《忘却の砂漠》でつながっているのだろうか。
「《大陸》では、最後まで残った三柱の神々が悪しき魔女を追って砂漠へ向かったという神話が伝わっています」
それははるか古の物語だった。三柱の兄弟神《痛みの剣》《涙の盾》そして《愁いの砦》は、魔女を追い詰め、封印する。後にはただ風の吹き抜ける砂漠が残される。
「その話、もっと詳しく教えてもらえないでしょうか?」
少年はとたんに口をつぐんでしまった。
「……」
「えっ?」
ぼそっ。あとで門のところに来て、と言い残して少年はまた遊びに行ってしまった。冒険者たちは顔を見合わせた。
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