《朱の大河》へ出かけることにした冒険者たちの顔ぶれは、概ね前回の《夜魔》調査隊と変わらない。《星見の民》からもパレステロスと、若手の《剣》のアンジーとトロワが付き従う。違うのは、アイリと黒猫アインが加わっていることであった。今回のアインの特等席はグレイスのマントの間である。飼い主が飼い主なら、猫も猫だねというところだろうか。アインに言わせれば、むしろ自分がツェットの飼い主であると噛み付きそうだが。
「何よ猫さん、砂はいやなんじゃなかったの?」
グレイスが黒猫を冷やかすと
「(砂漠の砂もいやだけど、里で子どものおもちゃにされるほうがもっとヤなの!)」
という返事であった。言われてみれば、アインのしっぽには小さいけれども確かに円形脱毛跡がある。
グレイスの横で、アイリは先日購入した《星見の民》の手甲をためつすがめつしている。白衣のポケットに収まりそうな大きさで、小柄なアイリの手にもちょうどよい。なめした皮を土台に、手のひら側は5本指。指に馴染んで、皮の伸びもない。握ると甲側に爪が飛び出すのだ。
「ほら、見なよアイン。これいいだろ?」
さっそくアイリは装着して見せた。しゅっと手をのばし、黒猫のしっぽの毛を数本そぐ。
「フギャア!!」
「どうだい? 儀式とやらにも興味はあるけど、中まで入っちゃいけないってんならつまらないしさ。新しく買った手甲を使う機会もあるかもしれないね……無いに越した事は無いけど。体がなまっちゃいけないから、そろそろ体を動かそうと思ってたし。洞窟探険はうってつけって訳だよ。ま、よろしく頼むわ」
猫の抗議なぞ、どこ吹く風である。
「手甲の皮は、小鹿のが最高級品て言われてるんだよ。砂漠には鹿もいないだろうし、この皮なんだろうねえ。すごく使いやすい」
アインは毛づくろいをしながら、うらめしそうに眼鏡の学者を見た。
「砂漠で取れる毛皮といっちゃあ、砂漠鼠は小さいし、とすりゃ狼?」
「がるる!」
ガガを乗せた砂漠狼がアイリに唸った。
旅慣れた一行は、たいしてかからずに《朱の大河》に着いた。
らくだを連れては、険しい峡谷を降りることは出来そうにない。アンジーとトロワはらくだの見張り番をかねて、待機することになった。砂漠狼は行ける所まではガガについていくことにしたようだ。
険しい岩肌をゆっくりと水面近くまで下りていく。
「さすがに、川べりまで降りると涼しいものだな」
シウスが洞窟の手前をもう一度見渡した。砂漠の真中とはとても思えないようなせせらぎの音と、ひんやりした空気が峡谷に満ちている。上を見上げると、切り取ったような細長い青空が見えた。数十m上は灼熱の世界だというのに、不思議なものだ。
アインは砂漠狼がいるので落ち着かなさそうにしていたが、その背中につかまって峡谷を駆け下りるうちにふっきれたらしい。ふさふさの毛皮の上で、ひくひくとひげを動かしている。
「どうしたの、魚のにおいでもした?」
「(いや……おい兄弟、お前さんの鼻はどうよ?)」
「がるるるる」
砂漠狼は唸るばかり。
「(なんだよ冷たいな。イェティカに似てるけど、違うなあ。若い女っぽいニオイ)」
「《夜魔》のにおいじゃないでしょうね?」
「大丈夫、もう弱点、わかった。ガガ、アイツの目玉狙う!」
「そういえばお前さん方、《夜魔》倒しちゃったんだってね。その程度のヤツだったとは。私の出番がなかったね。せっかく新しい手甲を試したかったのに」
「ま、《夜魔》相手じゃなくとも、そいつの出番はあるかもしれないぜ。なぁ、パレス!」
ダグザが言った。
突然声をかけられて面食らうパレスに、畳み掛けるように言葉を続ける。
「あの時現れた銀髪の人影、何か心当たりはないのかい?」
暗褐色の瞳が、じっと剣士を見据える。パレスは苦しそうに視線をずらした。
「俺は、魔法のことはからっきしだから、あの幽霊みたいなヤツが何者か、なんてのはわかんねぇけどな。まるでこっちを挑発して洞窟に誘い込むように出現したのには、意味があると思う。おまけに、『汝の欲することを成せ』と来た。ありゃ、他でもない、おまえさんに言ってるんだろう、パレス?」
「……」
「だんまりか?」
はらはらしながら、ルーファとグレイスがその様子を見守っている。
アーネストは、これもダグザの計算のうちだろうか、などと考えていた。
洞窟の中を調査するなら、こんなところで大騒ぎしているのは不利。それは話を振ったダグザもパレスも分かっているはずだ。剣士は誘いに乗り、みすみす罠にはまろうとしている。
だからこそ、ダグザはここですっきりしておきたかったのだろう。彼が誰よりも情に篤く、身内の者が傷ついたり悲しんだりするのを厭うことは、アーネストもよく知っている。いや、知ったというべきか。
まったく、優しい男だ。はらりとかかった黒髪を、つと手でかきあげて、アーネストは妙にダグザの心配などしていた。
妙といえば私も妙か。自分でも人見知りする方だと思っていたつもりだが、ここ最近は仲間のことをずいぶん考えているようになった気がする。以前は生き別れの姉妹のことばかりが頭を占めていたが……今もそうではあるのだが。《星見》という手段が見えたせいだろうか。
ガガも一生懸命言葉を探しながらしゃべった。
「ガガも、そう思う。パレス知ってる、話す」
《忘却の砂漠》は、《大陸の民》の立ち入らぬ地域。そこで現れた人影なら《星見の民》であろう、それならばこの《剣》が知らぬとは考えられない。
「た、たとえば、ひめ、ひめさま」
歴代の《星見の姫》の誰かに似ている可能性はないのか。銀髪の姫。あの人影は、男性か女性か分からないのだ。
パレスはついに口を開いた。
「夢に出てくるんだよ」
視線はさきほどからずっと、洞窟をさまよっている。ひとりごとのようにパレスは続けた。
「実際にここの場所がはっきりでてきたわけじゃない。奥から聞こえてくる声に呼ばれて、ひとりで暗い洞窟の中を進んでいく夢だった。夢の中で俺はなかなか先に進めない。足が鉛につながれているように。声は次第にか細くなり、聞こえなくなる。金色の小鳥が、狂ったように洞窟の中を飛び回り、その羽根が降り注ぐ。気が狂いそうになる。それで楽になれるなら、いっそそうなってしまいたい。ハースニールが俺を責める。なぜあの時、剣を《夜魔》につきささなかったのだ? と」
パレスは腰に帯びた剣を握りながら、目を閉じて語り続ける。
「もしもあの声が俺を呼んでいたならば、あの人影は俺にだけ姿を見せただろう。水面をすべることができるくらいの存在だ。だが、《大陸の民》も人影を見た、そのことにこそ意味があるような気がする。俺はそう思った」
パレスはようやくダグザの目を見た。そしてガガの目を。ガガはそっとかがんで、目の高さが同じになるようにした。
「《星見の民》は魔法を使わない。あんな芸当ができるのは、もっと別の強力な誰かとしか考えられない」
「じゃあ、おまえさんはあの人影だの、『別の強力な誰か』だのに心当たりはないというんだな?」
「……」
ほれ見ろ! まだ何か隠してやがるだろ。
ダグザは徹底的にパレスから情報を引き出すつもりだった。今度ばかりは、依頼主といえども仕事モードで容赦するつもりはない。
「今はまだ、言えない。もしもその予想がはずれていたら、取り返しがつかないことになる」
「その予想が当たってそうなことを、認めたくないわけだな?」
「そうかもしれない。いや……」
埒があかない。しかし何となく見えたか、とダグザは思った。実直なパレスが言えないような夢の結末。彼は洞窟の奥に辿り着いているはずだ。
ダグザは両手を挙げた。
「わかったよ。続きはモノホンの洞窟の中を確かめながら聞こうか。いいか、今のおまえさんの話は、あくまでも夢! 現実がそのまんまだとは限らないんだからな!」
この話は今は終わり、とばかり振り返って歩き出したダグザは、そこにしゃがみこんでいたアイリにつまずきそうになって慌ててバランスをとった。
「おい姉さん、なんでまたそんなところに」
「いいだろ別に。ここの地層が面白いなと思ってさ。どういう構成なんだろうね」
ポケットから大事そうに硝子壜を取り出し、小さなかけらをいくつかおさめてにんまりとしている。
「……あ〜」
あまりのマイペースぶりに、瞬間声が出ないダグザであった。
ルーファは頭の後ろで両手を組み、こころなしか、和らいだ表情のパレスを見て言った。
「その夢、お姫様に話したらよかったのかもしれないね。《星見》で何かわかったかもな」
『汝の欲することを成せ』。意味深だとは思うけれど、それってつまり、やりたいことをやろうよってことだろ? あたりまえのことじゃないか。
「(さあてね、人間て猫とは違ってややこしいからな)」
アインが小さくつぶやいた。
洞窟の中は、ひんやりとしていた。
シウスがハースニールの剣を握り、一行の先頭にたっている。彼の提案で、洞窟の中では前後を戦士が固めていた。しんがりはダグザだ。《星見の民》が先頭ではないほうがいいのでは、というシウスに従って、パレスも珍しく中ほどにいる。
しばらくはガガも普通に歩けるほど高さのある道だ。砂漠狼はガガの後ろにおとなしく付き従っている。
シウスは罠発見のために、木の棒で数歩先を確認しながら進んでいるのだが、アイリは上を向いたり壁を触ってみたり。きょろきょろと楽しそうだ。
「うかつに触ると何が出てくるか分からんぞ」
「んー、分かってるさ」
研究対象を求めては、危険な場所へもちょくちょく出かけている彼女のことだから、まあ大丈夫なのだろうが、それでもシウスは気が気でならない。敵の気配に気をつけつつ、石灰で目印をつけ、アゼルが好きそうなマッピングをし……。
「忙しい男だねぇ」
「俺はこう見えても、心配性なんだよ」
たいまつ持ちはグレイスが担当していた。さやかな風を感じて、安堵する。風と地の魔法には自信があったのだ。いざというときにも、何とか対応できるだろう。
「ずいぶん広いのね。奥のほうから、風が吹いているみたいよ」
「少なくともどこかに通じている道なんだな」
「そうね。人工的なものなのかしら?」
《朱の大河》の地盤は固い。足元も壁も、天井も、同じ地層のようである。めったなことでは崩れたりしなさそうだった。光の加減によって赤っぽく見えたり黒っぽく見えたりする。
「どのくらい昔の地層か、なんてアイリだったら分かるのかしら?」
「え? そうさね、《忘却の砂漠》自体歴史がはっきりしていないからねえ、独学で調べちゃいたが、史料がなさすぎてまだ分からない。千年くらい前には、砂漠はなかったって説もどっかで見たよ。アゼルの奴が、そのへんの話を詳しく聞くんだって言ってたが。パレスの方が分かるんじゃないのかい」
パレスは苦笑した。
「どうだろう、《星見の民》の最古の記録は千年前だが、その頃に万極星のかけらが空から降ってきて、このあたりを砂漠に変えたという話はあるが」
「隕石? どこに落ちたの?」
「ここだよ。《朱の大河》さ……といわれているだけで、本当のところはわからない。お話だからな」
「ふうん、千年前といやあ神話時代かい」」
「神話の時代?」
パレスが聞き返すのへ、グレイスが神々がまだ《大陸》にいたころの時代を神話時代と呼ぶのだと教えた。《大陸》の話を珍しそうに聞いている彼にグレイスは
「あら、神々のサーガだったら私得意なのよ?今度歌ってあげるわ! でもとんでもなく長い長い歌になるから、眠っちゃだめよ」と微笑んだ。
「おっと、そこは踏むなよ!」
シウスが大きな腕で仲間たちの歩みをさえぎった。手にした木の棒で床と天井をとんとんとつつく。
がしゃん!
石壁からいくつもの槍が飛び出した。すんでのところでアイリは身をかわした。
「ほらいっただろう」
アイリはさっそく槍の穂先を調べている。動物の骨をけずりだしたものだ。
「人工的なトラップもあるんだね。なんだい、これはかなり古いもののようじゃないか」
「銀髪の仕業だとしたら、やはりあいつは敵のようだな」
アーネストが、アインに尋ねてみる。
「銀髪のにおいは追えないか?」
「(あいつのこと、俺見てないからな。兄弟!)」
「がるる?」
「(においはぷんぷん残ってるとさ)」
「そうか、頼もしい答えだ」
アーネストがさらりと目にかかる黒髪を払ったその時、またシウスの声が飛んだ。
「おいアーネスト、そこも罠が!」
振り向いた剣士は何もいわず、落ち着き払ったまま両手の太刀でその空間を薙いだ。頭上から落ちてきた大きな石は、まっぷたつになってごとんと足元に転がった。
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