PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第4章

承前 白い鳥の誘い・至純の仮面

もはやおそれるものはない
悲願遂げよと祈るのみ

ただこのときを生き抜いて
賜る慈悲はいかばかり

誰ぞ知るや約束の場所
誰ぞ知るや無名なるいさおしを 
――行軍歌

■Scene:ポリーナ・ポリン

 《大陸》には、妖精や幻獣があちこちに住んでいる。
 野山をすみかとする獣人たち、居心地のいい場所を見つけては集う精霊たちの話は、旅人ならば必ず耳にする話だ。あるいは目のいい者ならば、人の子に混じり暮らす彼らを見極めることができるかもしれない。
 人と同じ心や言葉を持つものもいれば、そうではないものもいる。人にはない力を持つものもいれば、姿かたちが異なるだけのものもいる。
 人とは別の流れを生きているのか、はたまた好奇の目を避けているのか。彼らがどのようにして《大陸》に生まれいずるのか、心得ているものはあまりいない。彼らが生まれ育つための手伝いを生業としているものたちは、養育士と称された。
 ポリーナ・ポリンは妖精養育士だ。妖精の卵を見つけては、孵化するまでの世話をする。そして生まれたての妖精を育てるのが仕事である。精霊を見る目を持つポリーナは、妖精の卵を見つけるのも得意だった。
 小柄な身体には大きすぎる鞄を肩からかけて、今日もポリーナは森の小道を歩く。
「どうしてかしら……最近卵が少なくなっているような……」
 森を吹き抜ける風に白い髪をなびかせて、ポリーナはひとり呟いた。その双眸は黒と黄金に輝いている。
「戦いがあちこちで続いているから……なのかしら」
 精霊たちからの答えはない。この森でも争いが起きたのだろうか。傷ついた妖精や幻獣がいるかもしれない。争いを嫌うポリーナの心は痛んだ。帝国の内乱で、たくさんの妖精たちもまた人々と同じように苦しんでいることをポリーナは知っていた。
 ふと、誰かに呼ばれた気がして振り返る。
 すぐ近くの枝に一羽の伝書鳩が羽根を休めている。
「貴方も……傷ついているのですか?」
 白い伝書鳩はじっとポリーナを見つめている。伝書鳩は傷を負っているわけではないようだった。
 よかった、と養育士は安堵した。
 ふわり。風が吹き、ポリーナの白い髪がそよぐ。白い鳩は翼を広げ、いずこかへと飛び去った。

■Scene:リアル

 高い位置でふたつに結った淡い水色の髪のおかげで、リアの背は少し高めに見える。
 大きな山に抱かれたこの街にいると、少しぐらい背が高めだろうが何だろうが、あの山に比べればちっぽけにすぎないんだ、とも思う。リアルは物心ついたときからこの山のふもとで暮らしていた。山の頂上には常に雲がかかっている。
 袖が長すぎるセーター。格子模様のスカート。黒い薄手のストッキングにブーツ。手製のリュックを背負い、両手にはこれまた手製の人形をそれぞれはめて、リアルは家路を辿っていた。
 家にはおばあちゃんが待っている。おばあちゃんの前では、リアルはいつまでもリアのままだ。リアルを愛情たっぷりに育ててくれた、力ある人形師。街の人々から尊敬と信頼を集めているおばあちゃん。
 両手の人形の口をぱくぱくさせながら、リアルはぼんやり考える。
 17歳といえば一人前だ、と思う。祖母に教わった技もしっかり身についている、と思う。
 ひとりだち。人形師としての。
 そんな言葉が、リアルの頭に浮かんでいる。
「んー……ソレしか、ないかな。やっぱり」
 おばあちゃんとふたりで、この山のふもとの街、あの家に暮らしすぎたから。
 リアルの選択肢は驚くほど少ない。祖母と同じ人形師の道を歩み続けること、それ以外にどのような道があるのかすら、リアルには思いつかなかった。学校には少しだけしか通っていないから、先生という存在もおぼろげにしかわからない。
「おばあちゃんは、あーいうけど。3年は頑張れ、帰ってくるな、となると」
 ふう。
 リアルは両手の人形を見つめた。自分の指の動きに合わせて、彼らの大きな口が開いたり閉じたりする。
 旅に出たかった。だから準備も意気揚々と整えた。
「ドコに行ったらいいのか……」
 3年間は、この家に戻れない。祖母とも会えない。
 なかなかきっかけが見つからない。こんな気持ちのまま、おばあちゃんに叱咤されてからもう月がひとめぐりしようとしていた。
 道の行く手には、おばあちゃんの待つ家が見える。その後ろに聳える、大きな山も。
 そして、空を往く白い鳥も。
「アレ、伝書鳩?」
 人形をはめた手をかざす。伝書鳩はリアの視界を丸く切り取るように、山の彼方、雲の上へと飛んでいく。
 きっかけはアレにしよう。
 リアルはようやく旅立ちを決めた。

■Scene:至純の仮面

 波の音、濃い緑。むっとする熱気。古びた静けさに浸る館。
 褐色の肌に捻れた角をつけた男性はマロウ。氷のような表情を浮かべる仮面を着けた黒服の女性はジニア。
 そして彼らのあるじだという、ふたりの年若い姫君たちが旅人を迎え入れる。彼女たちの名はウィユとレヴル。ジニアは目通りの済んだ旅人たちを小部屋へと案内した。
「何コレ?」
 リアルは小部屋に飾られた品々を見渡し、あけすけな物言いでジニアをさも胡散臭そうに眺めた。
 ジニアはそんな視線を気にも留めず、淡々と旅人に選択を促す。
「選ぶのがしきたりよ。好きなものを選び、身に着けなさい」
 ありとあらゆる種類の仮面、覆面、つけ耳やつけ鼻、飾り尾や飾り羽根がずらりと並んでいる。ジニアの顔の半分を覆う仮面や、マロウの頭部の捻れ角も、しきたりに従って着けているのだという。
「あのう」
 ポリーナがおそるおそる声をかける。見上げるほど背も高く、表情やその振る舞いからも冷ややかな印象を受けるジニアに声をかけるのは気がひけたけれども、仕方がない。
「何かしら、養育士」
 装飾品を無造作に選んでいるリアの姿を片目で追いながら、ジニアはポリーナを見下ろした。
「どうしても、つけないといけないのでしょうか」
 疑問に満ちた表情でポリーナは問う。
「別に、つけたくなければ選ばなくてもかまわないけれど。しきたりに従わない以上、何かあっても助けることはできないわ」
「それならば、選んでいただきたいのですが……」
 ポリーナは開かれたままの小部屋の戸口から、大広間をそっと伺う。先ほど会った姫君たちは、とても印象的だった。
「……そのう、できれば、姫君に」
 姫君手づから選んだ飾りならば、身につけてみたいと思った。この位置からでは、あの奇妙な玉座は見えない。ポリーナは姫君たちのことをもっと知りたかった。通り一遍のあのような挨拶ではなく、もっと……そう、理解したかった。
「姫さま方は、選ばないわ。姫さま方が許されたのは、貴方の物語なのだから」
 にべもなくジニアは答える。ポリーナは肩を落とし、改めて一面に並べられた飾りを見つめた。
「決めた。コレ」
 リアルは黒いブローチを手に取った。真ん中に赤い花の飾りが埋め込まれている。
「ホラ、おそろい。びっくりした」
 髪どめにつけていたものとそっくりのブローチを見つけたから、リアルは迷わずこれにしたのだ。セーターの胸に結んでいたスカーフに留めると、元からつけていたかのように馴染む。リアルは満足してにまりと笑った。何だって、おそろいがいいに決まってる。
「貴方は?」
 ポリーナは黙って、翼を模した冠を手にした。これを着けたらどうなるのだろう。疑問は疑問のまま、渦を巻く。
「着けないの? 別にいいのよ。止めやしないから」
 それきりジニアは背を向けて、小部屋を後にしようとする。
「ま、待ってください。このティアラを……是非、私に着けていただけませんか?」
「貴方は」
 ゆっくりとジニアは振り向いた。びくりとポリーナのオッドアイが固まる。
「……やっぱり、何でもないわ」
 ジニアはため息をつきかぶりを振った。
「何か私、お気に障るようなことを」
「忠告するつもりはない。けれど飾りすら自分で選ぶこともできないまろうどに、姫君の夜伽がつとまるかしら」
「よとぎ?」
 リアルがきょとんと繰り返す。
「でも、いいの。気にしないで……貴方が選ばないことを選ぶなら、それが貴方というまろうどの物語だものね」
「どういう意味でしょうか? 選ばない……飾りをですか? それとも、飾りを自分の手で決めるということを?」
「何? なんか難しいこと?」
 ふたりの会話に生まれた冷たい亀裂を、リアルはまるでわからないといった様子で聞いていた。
「選び終わったし、勝手に行動していいんでしょ」
「どうぞ。それが貴方の物語」」
 リアルに告げ、ジニアは立ち去る。リアルも両手の人形をぱくぱくさせながら、きょろきょろと館の中へ向かう。
 残されたポリーナは、自分の手でそっと冠を白髪に載せた。
「選ぶこと、選ばないことを選ぶこと……ジニアさんは、本当は何を言いたかったんでしょう……」
 答えはまだわからない。

第4章 本編へ続く

承前 白い鳥の誘い・至純の仮面1.薄明2.めぐりあう朝3.潮騒4.孤独な円弧5.雫受け止める器6.琴線7.埋もれた足跡マスターより