PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第4章

3.潮騒

■Scene:海辺(1)

 マロウはいつも海に出ている。漁の場所はときどきで変えているらしいが、館をとりまく森や浜辺を歩き回るのも、彼の仕事のうちらしい。奇妙な軟体動物や原色の鱗を持つ魚、巨大な海草、とげとげしい貝。潜る場所により獲物はさまざまだ。エメラルドの大海は豊かな恵みをもたらしている。
 捻れ角の飾りは日に焼けて元の色は定かではない。太陽が頭上に輝く時間には、角を生やした異形の影がくっきりと砂の上に落ちる。
「マロ君、みっけ」
「ほんとだ。おーい。探しちゃいましたよ!」
 海からあがったばかりのマロウへエルリック・スナイプは一生懸命手を振った。ルシカ・コンラッドは我先にと、細かな石が砂に変わる小道を駆け、波打ち際まで下りていく。
「うわー。海だ」
 あまりにも率直な感想に、マロウは何の用だと一瞥をくれる。
 視線はエルリックの傍らに落ち、その上でしばし留まった。ふたりは異形の獣《パンドラ》を連れていた。首には召喚師が贈った革帯が巻かれている。どことなく飼い犬風でおとなしげに見える。鳥の子よりも獣の姿のときのほうが、実際《パンドラ》はおとなしかった。
「ご存知ですよね。《パンドラ》です」
 エルリックはぺこりと頭をさげる。
 きちんと向き合えば、理解できるはず。《パンドラ》を毛嫌いしている者は、じかに触れたりしたことがないか、それともそれなりの理由があるに違いない。
 エルリックは《パンドラ》を連れ歩くことで、彼女(?)の仲良しさんが増えればいいとも思っていた。そんなわけで、館の外をなわばりにしているマロウの元にも、《パンドラ》を連れてきてみたのである。ちなみにルシカは、パンディーちゃんの《ルー》探しも兼ねているつもりで、獣のゆきたいところへついてきている。
 額に流れ落ちた雫を乱暴にぬぐうと、マロウは銛を持ち替えた。
「初めてみたような顔しないでよ、マロ君」
「お姫さまたちから話を聞きました。あれ? 聞いたっていうのかな。見た、というべきか……ともかく、この子が《島》に来たときの話を」
 ご存知ないはずないですよね。エルリックはもう一度繰り返した。
 姫君の見せてくれた光景では、確かにマロウが漂流する《パンドラ》を発見していた。
「知らん。《パンドラ》って名前をつけられた奴のことなら知っているが」
 ぱちくりと、エルリックはまばたきする。ルシカもあれ、という顔でエルリックとマロウを交互に見つめる。
「でもレヴ姫さまは!」
「ええ。レヴル姫の見せてくれた記憶の光景では、流れ着いたのは獣の姿をした《パンドラ》でした。《パンドラ》って名前こそ、この子が口にした言葉から名づけたもののようだったけど……」
 海風に、エルリックの茶髪が揺れる。飾りの猫尻尾もゆらゆらとそよいでいる。
 ルシカは《パンドラ》の毛皮を撫でた。撫でられる感触が心地よいのか、獣はうっとりと身を任せている。うん、触れてると気持ちいいよね。あたしも気持ちいい。パンディーちゃんも気持ちいいの。
 気持ちいい音楽をもし作ることができたなら。姫君たちはどのように感じるのかな……。
「姫さまにはそう見えたんだろ。俺が拾ったのは、獣じゃなかった」
 マロウはにべもない。
「お姫さまたちは僕らに嘘の幻を見せたんですか? いったい、何のために」
「知るか」
 興味なさそうにマロウは言ったものの、エルリックが考え込む姿に、姫さまは見えているわけじゃない、と告げた。
「俺たちが見ているものと同じものを見ているわけじゃないんだ。きっと。だから気にするな」
「ええ。何それ」
「目が、見えないからでしょうか……でも」
「役人、あんただって」
 珍しく、マロウは言葉多くを語る。
「あんただって、あるだろ。見えてるものと実は違ってるってこと」
「そんなことばっかりでした」
 ペルガモンの商店街回りのついでに雑用をあれこれ押し付けられた経験が、エルリックには豊富にある。人々の本音を目の当たりにすることもしばしばだった。最近叱られていないなあ、などとエルリックの思考はふいに懐かしい街へと飛んだ。
「姫さまがたには、獣みたいに感じられていた。それだけだろう」
 獣みたいに。
 エルリックは繰り返す。
 《パンドラ》はエルリックの飾り尾をちらちらと視線で追いかけては、彼の匂いをかいだり、手の指を舐めたりしている。
「お姫さまとマロウさんで見ているものが違うって、不便じゃないですか?」
「別に。ただの使用人だからな。姫さまがたの目や口がつかえなくとも不便じゃないように、こっちも特別不便はないさ」
 エルリックはいぶかしんだ。彼やジニアも元は旅人であることは間違いない。ルーサリウスからも、ジニアとそんな話をしたと聞いていた。
 なのに何故、彼らは役割を帯びているのか。
 《満月の塔》に至ったマロウが、元の場所に戻ることを願わなかったことと、関係がありそうである。
「……働かざるもの食うべからず」
 浮かんだ言葉を深くも考えず口にのぼせると、マロウはけげんな顔をしている。
「ああっていうかちょっと待ってよ。マロ君が拾ったのが獣の子じゃなかったんなら、パンディーちゃんは何なの?」
「俺が拾ったのは、人間だったぞ」
 ぴくり。しなだれていた《パンドラ》の耳が揺れた。同時にルシカの胸で旋律球がでたらめな音階を刻む。
「にんげん? にんげんをひろったの? じゃあパンディーちゃんは元々人間だったの?」
 ぴくり。ルシカの掌に、毛皮越しに《パンドラ》の拍動が伝わってくる。どく、どく、どく。早まる鼓動。
「あんたたちや、レオって奴と同じだ。流れ着いたものも姫さまにはまろうどだ。拾って、姫さまの前に連れて行っただけだ」

 ふいに。
 人の声が波音に混じり聞こえた。
 見上げると、数人のまろうどの姿がある。

■Scene:海辺(2)

 司書セシア=アイネスと音術師ローラナ・グリューネヴァルトは、マロウに会いに来たのであった。いっぽうエルは《パンドラ》がめあてである。初めて《パンドラ》を前にした一同は、皆一様に驚きの顔を浮かべた。
「大丈夫ですよ。おとなしいし、子犬みたいなものなんです」
「……子犬。これが?」
 セシアは皮肉を込めた口調で、子犬というには大きすぎるその獣を見下ろした。後肢で立てばセシアの背丈くらいにはなるだろう。万一襲われたならば……妄想を彼女は遮断した。《パンドラ》が襲うのは、飾りをはずしたものだけらしい。自分は飾りをふたつも着けている。安全といえば、安全である。
「ちょっと暑がっているのでは?」
 ふんふんと鼻面をおしつけてくる《パンドラ》に、怖がりもせず指を差し出す。
「噛まれます?」
 エルは腰が引けている。ローラナも人の輪から外れるように立ち、黒髪とローブを海風にはためかせている。太陽が少し、彼らには強いようだ。
「大丈夫ですよ。言葉もわかるみたいなんです」
 胸を張るエルリック。《パンドラ》が認められると、なんだか自分が認められたような気分になる。
「天然の毛? こんな南国にいるものじゃないね。どこから来たのかな」
 指先をちろちろ走る桃色の舌の感触は、確かに《パンドラ》が存在しているのだと思える。その背に目を走らせると、痛々しい傷跡が残っている。
 大きく切りつけられたような傷、同じ場所をさらに抉るようにつけられている髑髏の刻印。
「怪我してるのか」
 セシアの好奇心も首をもたげはじめたらしい。
「海の傷は治りやすいといいます。でもこの具合じゃ、随分治りが遅い。弱ってるんじゃありませんか」
「本当ですか?」
「本当だよ」
 セシアは鼻白んだように答えた。とはいうものの、それは書庫で得た知識である。図書館という職場は、セシアの知識欲を満たすに最適な場所だった――半地下で暗かったり狭かったりしなければもっとよかった――が、ひととおりは眺めたであろう蔵書のどれにも、《パンドラ》のような生物の存在は記されていなかった。
「……けど、何者なんだろうね」
 答えが出せないことを知りつつ、セシアは呟いた。
「何者だって別に関係ない。さっきも言ったが、《島》に来るものはすべて姫さまのまろうどだからな」
 マロウがつまらなさそうにいった。
「《パンドラ》が伝書鳩の獲物って、どういう意味ですか?」
 エルが難しい顔つきで尋ねた。
「そんなこと言ったか」
「ええ。お姫さまが」
 実際には、直接その話を姫君から聞いたのはエルではない。
 姫君はそのちからによって、マロウが最初に流れ着いた《パンドラ》を見つける場面を再現してみせたのだった。マロウの耳に聞こえた幻聴のごとき羽音。目に見えぬ鳥の群れ。視界を染める白い羽根。そういったものまでも、すべて。
「僕、まさにその場面を体験しましたよ」
 エルリックがいう。海草に塗れた身体が捨てられた丸太のように波に洗われていたあの光景は、しっかりと胸に焼き付いている。
「さっきの話の続きになってしまいますけど。だからてっきり僕、この獣の子をマロウさんが拾ったんだと」
 後から来た旅人たちは、いっせいにマロウを見つめた。
「どういうことだ?」
 セシアの口調には不信感が表れている。
「獣を拾ったんじゃないんですか。じゃあ、貴方が見つけたのは?」
「……姫さまの力を見たならわかるだろ。役人」
 マロウの視線ははるか遠くの水平線に注がれている。空と海が交わり溶ける場所。
「姫さまの力は、何かを利用してしかあらわれない。触れればそこから言葉と感情が伝わる。けれどそれは見たものとは違うんだ。だから、俺たちに見えていないものを姫さまたちは視るし、逆に俺たちが見ているものは視ることができない。そういう定めということだ」
 マロウはセシアに向き直り、ようやく答えた。
「見つけたのは……襤褸切れと海草に塗れて、大きな怪我を負って……日焼けと魚に食われた跡で傷だらけになった……人間だ」
 ざく。砂にめり込んだのはマロウの手を離れた銛。
「人間が、伝書鳩の獲物?」
 エルは文字通り、鳩が豆鉄砲をくらった顔で立ちすくんだ。
「マロ君、パンディーちゃんもまろうどなの?」」
「そういうことになるな」
 なぜかマロウは不機嫌そうだった。無言でやりとりを聞いていたローラナは、いよいよ決意を固くする。実直なマロウが見せる所作の端々には、失われている彼の記憶の片鱗が残っているに違いない。彼女は来るべきときに備え、そっと目を閉じる。
「なるほどね」
 セシアは片膝をつき、《パンドラ》の毛皮をゆっくり撫でた。《パンドラ》の毛皮は掌に心地よい。硬すぎず、柔らかすぎず、指の間にそよそよと触れた。
 ルシカは《パンドラ》を見る。桃色の舌をのばし、息を荒げている獣。
 自分が飾りに眼帯を選んだことを思い出す。この《島》のしきたり。何か飾りをひとつ身につけること。
 もう何も見たくない。《クラード》の音楽さえ聴くことが出来ればそれでいい……。
 そう思ったけど、眼帯の瞳はしっかりと見開いていて。ああ、お姫さまにもいわれたんだっけ。本当は、見たいのでしょう、と。
「パンディーちゃん。パンディーちゃんは、獣になりたかったの?」
 獣の瞳はルシカを見上げ、ふるふるとたてがみを振るった。落ち着かせるように慈しむように、ルシカはそのたてがみを優しい手つきで梳いた。
「なあに?」
(…… …… …… なの……)
 伸ばした指先、舐める桃色の舌。あるいは毛皮に触れた掌。鬣を梳いた指先。《パンドラ》の身に触れるルシカやセシアに、かすかな意思が伝わってくる。
 エルやローラナは、マロウと同じく《パンドラ》のことばに気づかない。触れるものだけに伝わる色彩と快感は、姫君たちと同じ力である。
「もういちど教えて?」
(やくそくの……ばしょなの……《パンドラ》……ねがいがかなうばしょ……ティアがルーと……やくそくしたの……)
「願いが叶う場所ならある。《満月の塔》だ」
 セシアは立ち上がり、マロウを見つめた。マロウは目をそらさなかった。ただ、うんざりするような目でセシアを見返しただけだった。

■Scene:海辺(3)

「私なら、お手伝いできると思います」
 ローラナがセシアを、次いでマロウに向かい言った。伏し目がちの瞳はさらにうつむきかげんになり、言葉もささやくように弱々しい。
「セシアさん。《塔》の場所がわからないそうですね」
「そう。ルーサリウスとも話したけれど、まだ何にも手がかりがないに等しいね」
 最年長のあの役人とのやりとりを思い返し、セシアはふんと鼻を鳴らした。飾りのつけ耳がひくりと動く。子ども扱いされるのは好きではないけれど、彼の会話は終始大人の知性ともいうようなものが漂っていた。だからセシアも、真っ向から反抗するのではなく、好奇心を刺激されたのだった。
「それで貴公は何か名案をお持ちですか?」
 ハニーブラウンの髪の下、青い瞳は半分いじわるく、半分期待で輝いている。
「音術ならば、マロウさんの失われた記憶を遡り、意味あることばを探し出すことができると思うのです」
「何だって?」
 マロウは首をかしげた。ローラナはもう少し詳しく音術の持つ効果を説明する。
「マロウさんはかつて《塔》に至ったことがある、と聞きました。そしてそのときの記憶はお持ちでない、とも」
 記憶がなかったり、目や口がなかったり。欠けたところだらけの島だ。エルは傍らの《パンドラ》を眺め、あの子に欠けているのは何だろうかと思いを巡らせる。
「マロウさんがかつて強い感情を持って発した言葉なら、身体が覚えているのです。たとえ記憶が失われていても、身体そのものは同じわけですから。《満月の塔》という言葉が使われている会話を再生することができれば、そのときの場面が大きな手がかりになるのではありませんか?」
「なるほどね。過去に大騒ぎしたことがあれば、そのときの会話を引き出せるのか」
 面白いとセシアはうなずき、ローラナを促す。
「会話といっても、再現できるのはこの場合マロウさんご自身の言葉だけになりますが。つまり、相手はわかりません」
 ローラナは落ち着いた口調で説明を続けた。同じような説明をレオにもしたばかりだ。言葉によどみはない。
「そして……マロウさんが再生された会話を聞きたくないのなら、耳を塞ぐ術をかけることもできます」
「俺がなぜ、そうやって協力してやらねばならないんだ?」
 珍しくマロウは語気を荒げた。
 ローラナは力なく首を振り、無理にはお願いしません、と付け加える。
「そんなこと、決まっているでしょう」
 くすり。セシアの顔に浮かんだ笑みは、初めて彼女が見せる女性らしい表情だ。
「僕らは物語を許されてるから、だよ」
 マロウは大きく眉根を寄せると次の瞬間無表情になり、「それで、どうすればいいんだ」とぶっきらぼうに答えた
た。

 居合わせたものたちは、マロウの口を借りて紡がれる言葉を聞いたのだった。

■Scene:マロウの記憶


(《満月の塔》のくせに、手の込んだ真似をするもんだな。鍵なら鍵らしくすりゃいいものを)


(何だと? それがどういう意味かわかっているのか? 馬鹿馬鹿しい)


(いいとも。そんなことでいいならくれてやる。俺は殺人者にはなりたくない)


(ああ、そうだ。人間だからな)


(《大陸》に戻ってもそんな未来なら一生罪の意識は消えない)


(それが俺の選択だ。俺が決めた)


(誰かの命と自分の命。どっちが重いなんて誰に決められる?)


(次の満月には、あんたの願いも叶うといいな……)

■Scene:海辺(4)

 マロウは目を閉じ、砂浜に寝転んでいる。
 彼の耳には自らの言葉は聞こえない。ローラナの放った術により、マロウの全身はうっすらと印で覆われているのだ。

 ローラナは目を開けた。これで再生は終わりのようだった。
 マロウの記憶をつなげることができた言葉は《満月の塔》である。他に《ルー》なる名前も探ってみたものの、その記憶は浮かんでこなかった。しかし、引き上げた言葉についてマロウに質問はしないと約束している。となれば。
 《ルー》にゆかりあるのは……。
 
 異形の獣が、ゆたりと尾を振っている。

第5章へ続く

承前 白い鳥の誘い・至純の仮面1.薄明2.めぐりあう朝3.潮騒4.孤独な円弧5.雫受け止める器6.琴線7.埋もれた足跡マスターより