PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第4章

7.埋もれる足跡

■Scene:生きている証(1)

 ロザリア・キスリングはジニアを訪ねる。レシアをこれ以上追い込まないために、必要なのはやはり知っておくことだと思う。もちろん、真実を。
 やがて来るべきときには明らかになるのだとしても、一手でも二手でも先を読むにこしたことはない。いずれいやでも選択を迫られるのだろうから。選べないのではジニアと同じ。それでは何も変わらない。選択する者自身に意味がるのなら、先送りも手のひとつかもしれないが。
 《パンドラ》の周りには、レオと同じように旅人たちの輪ができつつある。ならば、とロザリアは考えた。先を知る者、まだ真実を隠している者として、協力をあおぐべきはジニアであろう、と。
 彼女ほど、最初の印象からかわりつつある住人はない。
 知ることの重みに耐えかねている節も感じられた。少なくともマロウにはない弱点が彼女にはある。キヴァルナの話から切り出せば、ジニアはもろい部分を出すのではないか。
 ロザリアは明哲にそう踏んだのだった。
 さて、ジニアは館の入り口にいた。門の掃除を終えたところらしい。
「先日のお話の続きをしたいのですが」
 ロザリアの申し出に、ジニアはうなずく。
 陽の光が眩しかった。ジニアが移動するそぶりを見せぬので、とりあえずロザリアは話しはじめる。水汲み桶の中、ちいさな青空がゆらゆらと雲を映している。
「《パンドラ》のことは、しばらく成り行きに任せるつもりです。クラウディウスさんとヴィクトールさんのあの騒動で剣が現れた。私にも現れましたが、あの白い《死の剣》は、《パンドラ》に課せられた呪いのようなものに思えたのです」
「《パンドラ》は悪くないってことかしら」
 ロザリアはうなずいた。黒い仮面の下から見つめると、ジニアの輪郭はいつもよりも際立っていた。この女性を外の光のもとで見る機会はあまりなかった、とロザリアは思う。
「《パンドラ》はただ、《パンドラ》の物語を演じている、振舞っている……それが《パンドラ》の物語だから。つまりは他の旅人たちと同じなんです。たまたまどういうわけか、《パンドラ》が髑髏と《死の剣》をばら撒いていますが、だからといって、《パンドラ》を非難することはできません」
 飼い主である姫君たちの不調法、そして《パンドラ》の呪いこそが改められるべきなのだ。ロザリアが告げると、ふいとジニアは横を向いた。
「でも《パンドラ》を消さなければ髑髏の刻印がゆきわたる。それはどうするつもりなのかしら」
「今の段階では、どうにも……呪いの内容を調べて解くことができれば変わるとも思っていますが、具体的な方策は、まだ」
「わかったわ。鳥については別のやり方を考えましょう」
 箒を手に、ジニアは背を伸ばした。厚底の靴が重たげに鳴った。
「貴女も手を汚したくないのね。それはわかるもの」
 口調が優しかった。ロザリアは戸惑った。何か反論しなくてはと思った。
「別のやり方というのは、例の毒薬のことですか」
「……そうだとたら、それも否定するの? 貴女にはかかわりのないことよ。毒で誰が死んだとしても」
 卑怯な言い方だった。
「私からひとつ提案させてください、ジニアさん」
 卑怯なままではいられないから、ロザリアは口を開く。
「キヴァルナさんの最期を、《大陸》の縁者の方々に伝えようと思います」
「……地図学者の」
「はい。その方だけはお墓もあると聞きました」
 切りそろえた黒髪は、ロザリアが唇を引き結ぶと揺れる。ジニアがキヴァルナを嵌めたのだ。理由はわからないけれど。しかしそこまで言ってジニアを追い込むのが本意ではない。ロザリアはジニアの言葉を待った。
「彼の遺したものを、残しておかなくてはと思ったの」
 ジニアは岬の方角へ向け呟いた。
「《大陸》へ貴女が戻るなら、それは……お願いすべきかもしれない」
 ためらいがあった。
「キヴァルナさんはランドニクスの人間だそうですね。かの国の出身者ばかりか、新帝までいるのですから、その願いをかなえるのに面倒はかからないはずですよ」
 自分でそう口にして、ロザリアは思った。キヴァルナは軍事の秘密に関わる地図学者だったはずだ。彼の手による地図により、近隣諸国が併呑されていったと聞く。湖岸三国。エスンガル。
「彼が遺したものとは何か、教えてください。ジニアさん」
 ジニアがこちらを向いた。仮面に陽光があたり、眩しいほど光を反射している。彼女も眩しげに目を細めていた。眩しいものが側にあるだけで、その人の心は溶けていくのかもしれない。
 なぜかレシアの顔を思い浮かべながら、ロザリアはジニアの言葉を耳にした。
 そして、硬直。
「彼は死んだの。自ら命を絶ったの。それが鍵だったから」
「……なんですって」
「地図学者は謎を解いたみたいだったわ。死が満ち溢れているくせに、この《島》では生々しい死そのものはまったくといっていいほどない。まろうどは消滅するばかりで、無様な死にざまを晒されるわけでもない。死を弄ぶように剣が現れても、肝心の死というものが、ないのよ――だから」
「白い剣では《パンドラ》は死ななかった」
「死を知らぬものに死を与えることはできない。だからあれは死を弄ぶの」
「キヴァルナは、命を絶てた……? 一体、どうやって」
 どちらが幸福なのかしらね、ルーサリウス。
 ジニアはかすかにささやいて、眩しい陽光から目を背ける。

■Scene:生きている証(2)

 夜。
 潮騒が昼間よりも近くはっきりと聞こえてくる気がする。
 リラはそっと館の外に出た。いつものリュックを背負い、ももんがの尾をはためかせる。彼女の目指すのは、岬の突端。キヴァルナの墓がある場所だ。
「すいませんっす、すいませんっす。でもこれ絶対必要なことなんす!」
 自分に言い聞かせるリラは、スコップを抱えている。穴掘り道具の使い道はただひとつ、あの墓の下、キヴァルナを確かめることだ。
 本当はヴァッツに来てほしかった。彼はまだ戻ってこない。
 何やってるんだろう、とリラはヴァッツではなく自分に問いかけた。
 夜中に。よくわかんない《島》で。よく知らない人のお墓を暴こうとしている……。
 リラの考えでは、キヴァルナの死は特別なものであるはずだった。消えた旅人たち――フランメンやグレイブと異なり、彼はその遺体が残されているのではないか。もし残っているならば、刀傷があるのかどうか。
 実際に遺体を掘り当ててしまったらどうしよう、直視できるだろうか。死因を確認したいのだから見なければ話がはじまらないのだが……。
「あーもう、うじうじ考えててもしょーがないっす」
 そんなふうにとりとめなく考えてしまうのは、自分の行為が明らかに人としてよくないことだと自覚があるからだ。
「調べなくちゃ先に進めないんだから、疑問点はいっこずつ解決するのが学生の本分っす。ほんぶんほんぶん」
 でもやっぱり、キヴァルナさんだけじゃなくってジニアさんも汚す行為なんっすよね……。
「いや! 学生として疑問点はいっこずつ」
 ぶんぶん首を振り、言い訳以外の考えを追い出そうとするリラ。
 やがて道は岬の突端へと出る。
「うわっヒトダマ!」
 リラは息を飲んだ。宵闇にふわりと揺れる小さな明かりが見えたのだ。館の方角ではない。自分がこれから向かう場所、ちょうど大きな岩が墓標となっているあたり――。
「やばいっすキヴァルナさん! ごめんなさいごめんなさい、でも学生として……っ!」
 何かよくわからないものから身を守るように両手を上げて、リラは顔を背ける。
 でもついでにキヴァルナさんが来たんだったらいろいろ話も聞けてしまっていいかも、などとも思っていたが。
「誰?」
 誰何は野太い男声とは程遠い、高めの女声だった。
 そしてかすかな、鳥の羽ばたき。
「そっちこそ誰っすか」
 リラの問いかけに応えるように、小柄な人影が現れる。
 人形師リアル。淡い水色のツインテールが夜風に揺れている。対峙してみれば女学生ふたりといった風である。リアルは手製の人形をはめている。先ほどリラが見た光は、その人形が発しているものだった。
「何の用」
 まさか墓暴きです、ともいえずリラは押し黙る。リアルこそ何をしているのかと尋ねると、少女はむっとしたような顔をつくって人形を突き出した。
「アナタ、ヴァッツさんと同じ部屋のヒトでしょ」
「そうっす」
 リアルの手にかぶさる人形が、ぱくぱくと口を動かすのを横目にうなずくリラ。白い犬と黒い猫がリアルの手の代わりに無言劇を演じている。人形たちの表情は、少し怖い。姫君たちの閉ざされた目や唇に似ていて、可愛いのにどこか毒を含んだような顔つきに見える。犬も猫も、魔法めいた光を帯びて淡く輝いている。
「ヴァッツさん、いないでしょ」
「そーなんす。手伝ってほしいことあったんすけどね」
 リアルはちらと一つ違いの学生を見た。こげ茶の瞳はきょとんとリアルの視線を受け止める。
「ソコにいるでしょ」
「え?」
 話が見えず、リラはきょろきょろとあたりを見渡した。ヴァッツほど長身の男性なら、近くにいれば気づくはずだった。
「ソコだってば!」
 リアルが白い犬で示すのは、大きな岩の上。
 白い伝書鳩が一羽、首を曲げて羽の手入れをしているのが見える。
「このコが教えてくれたの」
 リアルはもう片方の腕にはめた、猫の人形をぱくぱく動かした。
「その子って……猫っすか?」
「ルクス、だって」
 リアルの言葉に応じて、黒猫の帯びた光が輝きを増す。

■Scene:生きている証(3)

 つまりこういうことだった。
 精霊など形のないものを人形に宿し、会話や封印する力を持つリアルは考えた。
「《島》でいなくなったヒトを、呼び寄せるコトができるじゃない」
と。試してみると、ふらふらしていた光の精霊がやってきた。
「それ、占い師のエルさんとこの精霊さんっすよ!」
「あ、そう」
 あっけらかんとしたリアルの返事。
「別にとっつかまえたわけじゃない。帰すわ、ちゃんと」
「そりゃそーっす」
 光る黒猫人形を見ながらリラはうなずいた。
「待ってる人がいるんすから」
「だってふらふらしてたもの。野良かと思った」
 リアルは口をとがらせた。
「はいはい。エルさんもたぶんわかってくれるでしょうし、大人のひとっぽいっすから。んで、どうしてまたこの鳥がヴァッツさんなんすか? 本当に?」
 白い鳥は逃げもせず、身づくろいを終えてリラを見つめている。
 ――何かを告げたそうなまなざし。
「だってこのコがそう言ってるもの」
 光る黒猫、すなわちルクスさんを指してリアルは言った。
「ヴァッツさんの物語、だってまだ終わってないっすよね?」
「知らない」
「困るっす! マリィ袋もこれからなんす! これじゃ生殺しっすよ!」
 スコップをざくざくと土に突きたて、リラは焦った。なんてことだ。ヴァッツまでもがいなくなるなんて。
 ……いや、いなくなってはいない。ルクスさんとリアルを信じるならば、姿こそ変わってもヴァッツはここにいる。鳥として。
「アタシが追いかけた鳥も」
 リアルが呟いた。白い犬に話しかけるように。
「この《島》にいたヒトだったのかもね。へえ」
「どーすれば元に戻るんすか? 元のカッコイイ兄貴なヴァッツさんの姿に!」
「知らない」
 ぱく。白い犬、黒い猫に噛み付く。黒い猫は両手をじたばたさせ、光る。
「カラダを見つけるとか、チカラのあるヒトに頼むとか? ……知らないけど」
「う〜〜」
 リラは岩にもたれかかった。傍らの白い鳥は、じっとその仕草を見つめている。
「……手伝うって」
 唐突なリアルの呟きに、リラが聞き返す。
「え?」
「鳥。ヴァッツさん。手伝うコトがあったんだろって」
 黒猫が口をぱくぱくと動かしている。白い鳥を見れば翼を広げ、黒猫と同じようにばさつかせている。鳥から光の精霊へ、そこからリアルへと同時通訳が行われているらしかった。
「あー……墓暴き」
「墓暴き? 何ソレ」
 口にしてからリラはずずんと後悔した。よしんば鳥がヴァッツだとしても、力仕事など手伝ってもらえるはずがない。
「面白そうじゃない」
 リアルは初めてリラに笑顔を見せた。どことなく不敵な、自分に自信を持っているような笑顔だった。

■Scene:生きている証(4)

 リアルに手伝ってもらい、リラは岩の下を掘り返した。
 なんだかんだで決行してしまったのは、ひとりじゃないことで罪悪感が薄まったからだった。それに、ヴァッツもいてくれる。
 鳥だが。
 力仕事はそれほど必要なかった。
 墓におさめられていたのは、遺体ではなく、彼の遺品ともいうべきものだった。
 折られた測量道具。派手な色の帽子。それから、ちぎれた手帳。
「消えたのね。このヒトも」
 淡々とした口調のリアル。リラは使い込まれた道具を取り出した。一目で、それが大切にされた品々であることが見て取れた。
「キヴァルナさん、自分で壊しちゃったんすね」
「勿体ない。もう少ししたら自然に精霊が宿ったのに」
「……そーなんすか?」
「道具にも命が宿る。それを見極めるのも人形師」
 彼の人生、彼の魂。彼も鳥になって、誰か別の旅人候補のところへ飛んで行ったのだろうか。
 リラは理解した。
 ジニアが複雑な感情を垣間見せつつ、手伝うことはできないといいながらも旅人たちの世話をしてくれるのは、彼ら旅人たち――あるいはリラ自身も――キヴァルナが選んだ人々の末裔になるからだ。
「でもヒトを選ぶのは伝書鳩でしょ」
「うっ。そうかもしれないっす」
「もともとの伝書鳩が意味ある人選をしてるなら、そうともいえるかもしれないけど」
 岩に腰掛けるリアルは、黒猫の人形を高々と掲げた。
 宿っていた光がふわりと離れ、ふよふよと風に流されるように漂っていく。
「ばいばい、ルクス」
 ああっ、とリラは固まった。
 ルクスさんがいないと、鳥と意志の疎通はできないのだ。たぶん。
「アナタが精霊を帰せって言ったから!」
「わかってるっす。リアルさんは悪くないっす……」
 ばさささ。ヴァッツは羽ばたき、光の精霊が漂う先を見晴るかした。
 夜目が利くことに驚きながら、水平線のあたりにかすかに顔を出している太陽を見つめる。もうすぐ夜明けだ。すぐに水面は輝く曙光に染まり、金色の道を描くだろう。空も白んでいる。新しい日がやってくる。
 《島》は、真の円形に変じていた。
 潮が引き、これまで海に没していたところが珊瑚の原になっていた。
(あともう一羽、伝書鳩が飛べば――)
 あれは誰の言葉だっただろうか。飛んだのは自分だったのか。
 一気に朝が来た。
 珊瑚の原を見れば、ゆるやかな円弧を描く道がそこに、あった。ぐるりと《島》の外周をめぐりながら、海中へと続いているその道は、絶えず足元から生まれる透明な気泡に覆われていた。極彩色の魚たちはその道をよけるように泳いでいる。海の中なのに、そこだけはれっきとした道になっている。
 ああ。螺旋の、下り階段。珊瑚の道だ。
 この《島》の深部へと続いている。

■Scene:シストゥスの手帳


 兵器。人造の。
 
 建国に果たした役割。廃棄処分。
 
 時を経て降りかかる呪い?
 当時の記録はない。封印済み。

■Scene:戦いの理由

「……これでいいの?」
「はい。ありがとうございます。お手数をおかけしました」
「いいのよ、別に。あの騎士、とても嬉しそうだったわ」
「……そう、でしょうね。腕の良い紡ぎ手の服は、真の意味で高級品ですもの」
 お辞儀とともにローラナは、レオの着古した服一式をジニアから受け取った。
「具合が随分悪そうだけど。薬剤師、じゃないわ、錬金術師を呼んだほうがいいかしら」
「いいえ。大丈夫です」
 ローラナは喘ぐように呟いた。
 ジニアが立ち去った後、一気に込み上げてくるものを吐き出した。そして……思い当たる。
 夫の忘れ形見が宿っているのだ。
 涙が止まらなかった。

第5章へ続く

承前 白い鳥の誘い・至純の仮面1.薄明2.めぐりあう朝3.潮騒4.孤独な円弧5.雫受け止める器6.琴線7.埋もれた足跡マスターより