PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第4章

4.孤独な円弧

■Scene:円弧の回廊

 展示室。

 アレク・テネーブル、スコット・クリズナー、サヴィーリア=クローチェ、そしてロミオ。絵画鑑賞に出かけた面々である。
 もっともスコットの目的は、絵画よりも《パンドラ》のほうにあったし、ロミオはといえば、なんとなく旅人たちの後に着いていった先が展示室であった。
「落ち着くです……」
 ぽつりと呟く。そういえばフランメンの姿が見えない。アレクも少し怖いのだけれど、フランメンほどにはお父さんに似ていないから、心臓はあれほどにはどくどくしない。
 ロミオの父は偉大な召喚師である。父を思わせる大人の男性はどうも苦手で、だからロミオは旅人たちのなかでもおねえさんの後について行動することが多かった。
「落ち着く? 絵が好きってことかい。俺にはてんでわからないけどね」
 等身大もある絵画の前で腕組むアレクは、ロミオの言葉を捕らえて言った。
「うーん。よく出来てるとしかいえないな。魔法でなけりゃよっぽど腕のいい模写師の仕事だね。」
 つい鑑定もそっちのほうへ行くアレクだ。
「物好きには売れるぜ、きっと。一そろいで売りつければ、ひと財産どころかお城も買えるんじゃないかな、きっと」
 スコットもしげしげと絵を見つめては、値踏みする。
「貴方たちすごいわね」
 サヴィーリアは笑う。自分の絵を買う者などいないと思うが、もしいるならば見てみたい。
「どんなものでも売りつけちゃいそうね、スコットさんは」
「まあね、俺自分でも腕はいいほうだと思うよ。でもこういうのって、好事家とどれだけつながりがあるかで決まるからなあ。ってことはやっぱ腕次第ってことなんだけどさ」
 スコットもいつもの軽口を叩く。
 それでもここは展示室。大きな絵画に見下ろされている感じは、あまり気持ちのいいものではない。しかも廊下はゆるやかな曲線を描き、消失点へ続いているのである。
「クラウディウス、こんなになっちゃって」
 嘆息するアレク。視線は絵の中のクラウディウスに注がれている。
 彼が見に来たのは、この絵なのだ。危なっかしい若獅子騎士クラウディウス。彼の置かれた状況は理解できそうでいて、やはりアレクには計り知れない。思考が端から違うことを思い知らされた相手でもある。
「行動がいちいち完璧主義なんだよなあ」
 アレクの気持ちの中では、クラウディウスは雇い主というより、見張るべき相手に代わりつつある。ヴィクトールよりもよほど危険なのではないか、そんなことを勝手にアレクは思っている。
 アンナにいわせれば、「彼の首ねっこの後ろにはどんなときも、たくさんの影がぶらさがってるんだ」である。その影がこれ以上大きく膨らまないうちに、なんとかするのが自分の役目だろうか。
 因果な商売だ。よくも悪くも、アレクの感想である。
「白い剣、ちゃんと描いてあるな」
 元々飾りを選んでいなかったクラウディウスは、ただ白い剣を手にして立っている。他の旅人たちの場合は、飾りを外した姿で剣を持っている。
「描いてあるから使えたのか。それとも使えたから、描いてあったのか……どっちだろ」
 乱闘騒ぎを思い出し、アレクは別の絵を眺めた。
「……あ。なーんだ」
 自分の絵も剣を持っているではないか。
「ってことは俺も剣使えるのかな。なんてね」
 剣を持てば、クラウディウスの剣にも対抗できるかもしれない。少なくとも武器の点では互角になる。

 アレクがざっと見たところ、描かれている絵は2種類に分けられる。
 ひとつ、飾りをつけた旅人の姿を描いた絵。
 ふたつ、飾りを外し、白い剣を得た旅人を描いた絵。これが一番多いようである。
 塗りつぶされている絵もあった。一枚しかないうえに、棘のある縄でくくりつけられいて、異様な雰囲気である。いなくなった旅人の絵は外されているらしいから、数からしてもこの一枚は《パンドラ》のもののようだった。
 マロウやジニア、レオも白い剣を手にして描かれていた。クラウディウスと同じく飾りを選ばなかったスコットは、やはり剣を持って描かれている。
 展示室に居合わせた面々はすべて、剣を持っていることになる。

「クラウディウスさんは白い剣の使い手になったらしいけど……」
 納得いかぬ顔でサヴィーリアは等身大の自分を眺めた。
「私、いったいいつ剣を手に入れてしまったのかしら。心当たりがないわ」
「アンナは夢がどうとかって話をしてたよ」
 アレクにいわれると、サヴィーリアはなるほどとうなずく。
「これ、この《島》にいるひとの絵しかないんですか」
「みたいだね」
 スコットは、半分の背丈しかないロミオを見下ろした。上からでは、とんがり帽子が服を着て歩いているように見える。
「うー。じゃあせんせいの絵もないんですね……ざんねんです」
「え。ロミオちゃんの先生って旅人だったんだ?」
 スコットが問う。ロミオの目に浮かんだ涙はスコットには見えないはずだ。ぐすっと洟をすすりあげてロミオは呟いた。
「カトレアせんせいは、旅人じゃありません。ぼく、せんせいのおつかいの途中だったのに……せんせいおこってるかも」
「先生、カトレアっていうんだ? 美人っぽい名前じゃん。どんな人?」
「えと……」
 ロミオは帽子から様子を伺うように、スコットを見上げた。すぐ近くに、虹色の羽根がぶらさがっているのが見えた。
「スティナさんに、ちょっと似てるです。召喚師ですから」
「ふうん、美人召喚師か。《大陸》に戻ったら会ってみたいなー。紹介してよ、ロミオちゃん」
 もうそろそろスコットは、家路に着きたいところである。彼を待つ者がいるはずだから。
「よ、よくわからないです」
 ロミオはスコットの羽根が気になる。あのように美しい鳥はどこにいるのだろう。スティナとともになでなでした《パンドラ》は、鳥と獣をいったりきたりするようだったが、虹色の鳥も、獣になったりするのだろうか……。
 ふいに髑髏のことを思い出し、ロミオはまた涙を浮かべる。
 なんだか怖くて、はっきりとはわからなくて、そのわからないところがいやな感じだ。
「うわ」
 まいったな、とスコットは呟いた。
 見つけたスティナの絵にも剣が描かれている。とんがり帽子はそのままに、選んだ片翼の飾りを外した姿。
「とっととおさらばしたいんだけどな、そうもいかねーか」
 白い召喚師に付せられた題名は《空気》である。《パンドラ》の世話をするのだと少女のように目を輝かせていたその女性は、もう少し先にいるはずだった。
「もう十分だっつーの……なあ、ロミオちゃん」
「え……僕も、おみやげほしいです……」

■Scene:点と点結ぶ先(1)

 スティナ・パーソンは、子犬ケイオスとともに《パンドラ》の部屋を片付けていた。
 ……のだが、今は休憩中だ。ケイオスの毛皮にふかふかと上身をうずめ、自分の部屋のようにのびのびと気負いなく休んでいる。
「朝は、はりきりすぎだったでしょうか〜。でも、皆さん喜んでくださって、うれしかったです〜。ねえケイオス〜」
 レオやその回りの人々との出会いは楽しかった。
「皆、一生懸命ですよね〜」
 もっと頑張れ。おまえは生き残ったのだから、生き延びたのだから頑張れ。兄が自分を急かす声が、幻聴のようにこだまする。ケイオスは赤い目でじっとスティナを見守っている。幻聴の兄の声は大人びていた。本当は8つでいなくなった兄、ラスディア。
 渓流。切り立った崖。冷たい水。罵声。
 スティナはゆっくりまぶたを持ち上げ、こちらを見つめるケイオスに微笑んだ。
「お片づけの続きをしなくてはなりませんね〜」
 身を起こすと片翼がきしんだ音を立てた。
 《パンドラ》は、今はいない。エルリックが散歩と称して連れ歩いているのだ。
 ルシカさんも一緒だし、きっと《パンドラ》はさみしくないだろう。
 その間にスティナは、前に来た時に掃除しきれなかったところを綺麗にすることに決めていた。お弁当の残りはさておき、レシアが演じた《パンドラ》との戦いもあって、部屋は非常に片付け甲斐のある状態になっていた。
 ことのあらましはおおよそ聞いていた。起こってしまったことは仕方がない。問題は、今後も彼女は《パンドラ》を狙う可能性があるということ。争いは嫌だ。
 レシアは《パンドラ》には恨みはないらしい。けれど《パンドラ》の存在が、レシアの邪魔になるのだろう。
「ああ、サヴィーリアさんにも相談しておかなくては〜。叶うなら私のお部屋に、《パンドラ》を連れて行きたいですから」
 ケイオスには驚きもしなかったサヴィーリアだが、さすがに《パンドラ》を連れ込んでは、彼女も気分を悪くするかもしれない。
「さ、て。お片づけしなくてはいけませんね」
 白い長衣も袖口を捲り上げ、スティナはうん、と気合を入れた。くうん。ケイオスが上目でスティナを見ている。
ひとりごとは彼女の癖だ。精霊や妖精を見る目を持つスティナ、森の小動物とも友だちのスティナであるから、本当にひとりでいることは少ない。今もケイオスが側にいる。
 けれど。
 ケイオスの寝台にはもぐりこめないし、精霊に抱きつくこともできない。
 錬金術師の存在は、スティナにとってとても大切なものになりはじめている。
「むむ。手始めにこの絵からやっつけますよ〜。家小人ブラウニー。いるならお手伝いをお願いします〜」
 棘だらけの縄でがんじがらめにされた大きな絵。逆さまにかけられて、埃にまみれている。
 中には何が描かれているのか。きっと鳥でも獣でもない、《パンドラ》の姿が描かれているに違いない。
 スティナは信じた。この絵を確かめることが、《パンドラ》の真実に近づくことになるのだと。
「埃をはたいて、光にかざして。さあ、何が見えるでしょうか〜……」
 召喚師は息を飲んだ。
 家小人たちが言い付かった仕事を終えて立ち去るのも気づかずに、ぺたんと腰を落とす。
「この方は……」
 人だ。鳥や獣ではない。
 四足ではなく、細い両足で立っている。
 美しい顔立ち。大人とこどもの中間めいた、どちらともいえぬ年頃の顔だ。
 鳥の子の顔を、もっと血色よく、あかるげにしたならば、こんな顔になるのだろう。雰囲気はレオとも似通っている。
 白い剣を手にする代わりに、絵の中の《パンドラ》は毛皮で仕立てられた外套をまとっている。
 そしてその外套には髑髏の刻印。

■Scene:点と点結ぶ先(2)

 展示室を通り、スコットも《パンドラ》の檻へとやってくる。拍子抜けした顔である。
「何だ、人によっては来れないって聞いたからどうなるかと思ったけど……」
「普通にいらしたのですね〜?」
「ああ。俺は見てもいいってことなのかな。よくわかんないけどさあ。あ、わんこ」
「ケイオスです〜。ケイオス、ご挨拶ですよ〜」
「賢いんだ? あ、俺スコットね。天才商人スコット」
 ひょいと手をのばし、子犬の頭をなでてやる。ケイオスは四肢をこわばらせ、ふるふるっと頭をふった。
 さて、迷わなかったとはいえ肝心の《パンドラ》が留守なのでは仕方がない。
「スティナさんが世話してるっていうから、どんな子かと思ったんだ。ジニアさんはどっちかってとあまり好ましく思ってないみたいだろ?」
 それに、と心中で付け加える。
 《ルー》って何者なんだ?
 それは《パンドラ》にぶつけてみたかった問いである。言葉が通じなくとも、試してみる価値はあると思っていた。何しろ会話の中に《ルー》が出てきただけで、鳥の子が姿を現すというのである。
「私も心配しているのです〜」
 スティナは鳥の子よりも、鳥の子を生んだ後に力を使い果たして倒れている獣のほうが心配なのだった。
「鳥の出現は、獣にとってよくないことに思えるのです〜。あんなに衰弱するなんて、尋常ではないですもの〜」
 獣の子に与えられる栄養剤があれば、サヴィーリアにわけてもらいたい。スティナは獣の衰弱の原因が、背中の傷あるいは髑髏の刻印にあるのではないかと考えていた。
「あれっ、スティナさん。この絵……」
 スコットが目を留めたのは、スティナが綺麗にしたばかりの絵。
「かわいいじゃん」
「そうですね〜」
「レオっぽいよね」
「やっぱり、そうでしょうか」
「あ。待って。俺、このコ見たことある」
「もしかして……夢の中でご覧になったのでしょうか?」
「ああ。てことはあれは《パンドラ》が見せた夢。これが《パンドラ》の本当の姿……ってことでイイのかな」
 スティナは首をかしげた。同じ仕草をケイオスが真似る。
「そうかもしれませんね〜」
「んー。でもさ、スティナさん。変じゃないか? あの夢、視点が《パンドラ》じゃなかったぞ?」
「視点? 《パンドラ》と、誰かの夢ですか?」
「そう、それに夢の中のコは、鳥の羽根の外套を着てたぞ。毛皮じゃなかった。あれは……誰だ?」
 二人の会話はどこまでも疑問形のまま続く。

■Scene:点と点結ぶ先(3)

 ケイオスがぴくりと鼻を動かした。
「お散歩、終わりでしょうか〜」
 いそいそとスティナが立ち上がり、《パンドラ》の絵の裏から展示室へと移動する。
「あれっ。ルシカさんたち戻ってきた? わかるの?」
「ケイオスはこう見えても鼻が利くんですよ〜」
「うーん。まあ見たまんまでも利きそうだよね」
「《パンドラ》に革帯をプレゼントしたんです。私がずっと身につけていたお古なんですけど。だから、ケイオスには《パンドラ》の場所がわかるんです〜」
 便利だなあとスコットは素直に感心した。
「あれ。出てきた」
 展示室で絵を鑑賞していたアレクが、いつの間にかあらわれたスティナとスコットを見て片手を挙げる。
 すみっこでうずくまっていたロミオも、スティナを見つけてたたっと駆け寄った。
「おそうじ、終わりましたか」
「はい〜。絵も綺麗になりましたよ〜」
 姉のようにロミオを抱きしめながら、スティナは思い出した。そういえば、展示室側に掛けられている絵はまだ片付けていなかったのだった。
「こっちも掃除する?」
 がんじがらめに縄の張られた絵を見上げるスコット。スティナはこくりとうなずいた。アレクも手伝ったので、作業はすぐに終わる。
「同じ絵だったね」
「そうなんだ?」
「本当ですね〜。題名は……《半分》……?」
 レオと面影が似ている。すらりとした四肢が毛皮の外套から伸びている。年若い……というより、大人とこどもの中間に位置する年頃の女の子。美しい顔立ちは、貴人の雰囲気を纏っている。そういう意味では、姫君たちともどこか似通っていた。
「剣、持ってないんだな」
 アレクはしげしげと絵を眺める。
「それに飾りもつけていない……?」
 おかしい、とアレクは思った。展示室の絵は2種類に分けられる――飾りをつけているか、飾りを外し剣をもっているか。
 《パンドラ》はどちらでもない。そして、題名の《半分》とは。
「それともこれが飾りなのかな?」
「……ん」
 スコットは顎に手をかけて唸った。
「綺麗な子だけど、男かな。女かな?」
「《パンドラ》さんは、女の子ですよ〜?」
「そうだっけ。ああ……《鳥》は女の子っぽかったか」
 そんな話を一同がしている間に、当の《パンドラ》を連れたルシカとエルリックが戻ってきた。
 《パンドラ》の毛皮には、髑髏の刻印が爛れた傷口のように残っている。

■Scene:結び目

「あー、パンディーちゃんっ。待って。待って。まだあたしの質問が終わってないの」
 ルシカの声は叫びに近い。
「《ルー》って男? 女? 男だったら首を縦に振ってね? 女だったら横で……」
 《パンドラ》は、その絵を見上げた。

 獣の背中から、《鳥》が生まれた。
 その首に、スティナの革帯をぐるぐる巻いて。
 獣はくたりと倒れ伏した。

(約束の場所に来たのに……)

 《鳥》はふわりと舞い上がり、螺旋の風を伴って自らの絵の前に浮かんだ。
 翼の先で絵に触れる。血色のよい顔、描かれた輪郭をなぞるように、翼を滑らせる。

(パンドラ。願いがかなう場所。あなたが教えてくれたのよ。逃げるならここしかないと)

「ティア?」
 エルリックが呟いた。その名を確かめるように。
「それ、君の絵だよ。ティア」

(わたしの……? わたし、こんな外套なんて持っていないわ……)

 鳥の子はエルリックを見、ルシカを見、絵を見、足元の獣を見た。
 精霊のように透けていた鳥の身体が、次第に色濃く変わりゆく。
 浮いていた足元が、すとんと床についた。
 あたりを舞っていた鳥の羽根は、はらはらと花吹雪のように落ちた。

「わたし……生きてる」
 ティアの声だった。
「エルリック。ルシカ。スティナ。ロミオ」
 順繰りに、旅人たちの名を呼んだ。もう彼女は旅人たちがルーでないことを知っているようだった。
「わたし……生きてるの?」
「うん」
 エルリックがうなずいた。それで彼女が安堵するなら、そうするしかないのだ。

第5章へ続く

承前 白い鳥の誘い・至純の仮面1.薄明2.めぐりあう朝3.潮騒4.孤独な円弧5.雫受け止める器6.琴線7.埋もれた足跡マスターより