PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第4章

5.雫受け止める器

■Scene:評価(1)

 ルーサリウス・パレルモは朝から割と忙しかった。
 ひょっこりとエルリックが《パンドラ》を連れてやってきたかと思えば、その後もまろうどたちが入れ替わり立ち代わりやってくる。
 そのうち新帝陛下まで来たらどうしよう。
 ……そんな冗談も思いつかないくらいに、忙しいときに仕事が重なるのは、どこかの都市の役場そっくりであった。
 忙しいのは嫌いではない。彼が家庭を失った理由もそのあたりにあることを、そろそろルーサリウスは気づきかけている。認めるまで、あるいは認めてくれる相手を見つけるまでには、もう少し時間がかかりそうであるが。
「で、何でしたか」
 筆記具を手に、柔らかな口調で話の続きを促すルーサリウス。
 場所こそ違うだけで、あの古びてインクの染みがあちこち残った仕事机を前にしてやっていることと、まったく変わらない。
「夢を見ました。アンナが以前伝えたのと同じ夢を」
 ほう。ルーサリウスは顔をあげた。相手はセシアだ。彼女はすっと目を細める。
「複数人で夢を共有するという話は本当でした。ますます誰かが強制的に見せているという説が有力です」
 ルーサリウスに対してはセシアの天邪鬼が現れない。彼の仕事ぶりにセシアは一目置いているようである。
「これからも、同じ夢を見る者が現れるでしょうね」
 筆記具を動かす手を止め、ルーサリウスは椅子に背を預ける。
「……危険だと思いますか、セシアさん」
「貴公はどうお考えです? この現象は危険ですか?」
 やれやれ。ルーサリウスは苦笑したい気持ちを堪え、セシアに向き直る。
「答えはまだ変わっていません。思考の余地があるとしか」
 実際ルーサリウスはそう思っている。滞在者本部を設置して以来、かなりのまろうどがこの部屋を訪れ、情報も手に入るようになってきた。しかしまだまだ足りない部分がある。
「掘り下げるべきはどこでしょう」
「……事実として、まろうどがすでに三人消えています。でもそれがなぜなのか、事実が残るのみで理由はわからないのです。例えば彼らは《大陸》に、元いた場所に戻れたのかもしれない」
 ジニアの言葉が、ルーサリウスの胸に刻まれている。
 先日のやりとりでさらに深まった謎。
 どちらを選んでも袋小路なのは、《島》に残された旅人が、消えた旅人の行方を知るすべを持たないからではないだろうか。そのあたりはまだルーサリウスの心の内である。
「おっしゃるとおり。彼らの行動が本部に残されていない以上、そちらで共通点を見出すこともできない」
 セシアはそう言ってなるほどと呟いた。
「わかりました。ルーサリウスさん」
「はい」
「本部で何かお手伝いをさせてもらえませんか。ここにいれば耳に出来ることも多そうだ」
 ルーサリウスが返事をせぬうちに、彼女は机の上の書きつけをひょいと手に取り、興味深そうに読み出した。

■Scene:願いの雫

 鍋や瓶、鋏にすりばち。ジニアの許可を得て調理道具を借りたのは、もちろん錬金術で薬をつくりだすためだった。
 薬。旅人たちや《島》の住人の助けとなるもの。毒薬をつくるためじゃない……。
 エルリックが連れていったという《パンドラ》を探したサヴィーリアは、なかなか彼とは出会えずに、気づけば先にジニアとめぐり合ってしまった。
 《パンドラ》に会ってから、毒薬をつくるかどうか心を決めたいと思っていたのに。
「薬はできたのかしら」
「いいえ、まだ」
 珍しく、というほどサヴィーリアはジニアとの付き合いが長いわけではないが、どういうわけか薬のこととなるとジニアが熱心に話しかけてくる。
「こんな廊下でする話じゃないわ。時間があるなら、部屋に来てもらえないかしら」
 詳しく話も聞きたいし。そう付け加えると、こともなげにジニアはサヴィーリアの部屋の扉を開けた。勝手知ったる館というわけらしい。
 スティナは朝から出かけていて、サヴィーリアが目覚めて夢の話をしようと思ったときにはもう彼女の姿はなかった。寝台の上できちんと折りたたまれた毛布。枕元にちょこんと置かれた果物のタルトは、スティナの残していったおめざである。
「ジニアさんに聞きたかったのは」
「毒薬の使い方? それとも、分量?」
 サヴィーリアが口ごもった毒薬という言葉をさらりと出して、ジニアは仮面をこちらへ向ける。
「だって気になるでしょう。使い方によっては、何かを壊すことになるのよ。毒だもの」
「つくったことがあるんでしょう?」
「研究で必要だったからだわ。それも、ほんの少しだけ」
「少しの量だって、何かを壊すのでしょう。心でも、身体でも、何かを」
 サヴィーリアの中で不安が募る。ジニアは何を言いたいのだろう? この会話は危険な気がした。戻れなくなる。……どこへ? 戻るってどこへ? 弟のいる、あの家へ?
「だったら、量なんて関係ないじゃない。錬金術師。貴女は量の多寡を言い訳にするの?」
 首を振るサヴィーリア。面をあげてジニアに諭す。
「必要なものならいいの。何かを壊すということは何かを守ることだと、私は思うわ。そうまでしてジニアさんが守りたいものが何なのか、とても知りたい」
 ジニアはゆっくりと瞬いた。
「面白いことを言うのね、錬金術師」
「そうかしら」
 サヴィーリアは肩をすくめるほかない。頑固な弟を前にしている気分になる。少し、懐かしい感じがした。
「毒が与えるのは、直接的な死だけではないんですもの。慎重にもなるわ」
「ふふ」
 薄く笑ったジニアは白い指をつと伸ばし、人が傷つくのが嫌、と言い当てた。
「ええ嫌よ。だって、見ている自分も痛くなるじゃない」
「正直ね」
 もう一度ジニアは笑みを浮かべた。サヴィーリアの口元もつられて持ち上がる。
「でもね、錬金術師。この《島》では違うのよ。この《島》には死が満ち溢れていることを貴女は知っているかしら」
 白い指先が、ちらちらと揺れる。
「どういうこと?」
「私は自分を守りたい。自分が傷つくのは嫌なのよ。わかるでしょう」
「まさか、自分で毒をあおるなんてことじゃ」
 がたん。サヴィーリアが勢いよく立ちあがった拍子に椅子が転がった。
「よくわかったわね。さすが貴女は私と似て、利己主義者だわ」
 ジニアの表情から、サヴィーリアは褒められているのだと悟った。しかし不安は募るばかりだ。それはジニア自身を壊すことに他ならないのだから。
「でも、それはその後のお楽しみにしておくわ。考えてもみなさい、錬金術師」
 抱いた疑問をぶつけても、ジニアは動じない。
「せっかくの毒だもの、まずは《パンドラ》にあげましょう。あれもおとなしくなるに違いないわ。いたずらがすぎたからだといえば、姫さまたちもわかってくださるでしょう」
「獣とはいえ、《パンドラ》が苦しむ姿を見るのは嫌よ」
 口調はおっとりと、けれど確固たる信念を持ってサヴィーリアは告げた。
「……苦しまないとしたら?」
 だからジニアの次の言葉は、理解するまでに時間がかかった。
「《パンドラ》が苦しまなければ、貴女の心も平静でいられるんでしょう?」
 残るのは、毒を盛ったという事実だけ。
 サヴィーリアは無言でジニアを見つめる。冷ややかな仮面の輝きに、自分の赤い髪が燃えるように映っている。
「苦痛にのたうちまわりながら、緩慢に死を与えるようなのがいいわ。そうすればそれだけ長く、《パンドラ》は楽しむでしょう。姫さまたちも楽しむわ。きっとよ」
 けれど。
 ごくりと喉を鳴らし、サヴィーリアは目を閉じた。
 スティナが悲しむに違いない。スティナだけでなく、《パンドラ》と仲良く過ごしている旅人たちは皆、自分を責めるだろう。
「やっぱり納得できないわ」
「そう。いいのよ、別に」
 ふいと脇を通り過ぎるジニア。それきり言葉もなく、彼女は部屋を出て行った。

■Scene:評価(2)

 リラ・メーレンは赤毛の三つ編みをぽんぽんと跳ねさせながらやって来た。
「ちわっす」
「どちらへ?」
 ルーサリウスは先回りして行き先を問う。彼の向かいで頬杖をついていたセシアも顔を上げた。
「ああっと。出かけるのはもちょっと後なんすけど、あのですね。教えてもらいたいことがあったっす」
 リラはもにょもにょと答えると、知りたいのはいなくなった旅人たちのことだと言った。
「グレイブさん。フランメンさん。コーネリアスさん」
 ルーサリウスの手帳にも、彼らの項は空白も多い。共通点は男性ということくらいしかなかった。
「狩人に、教師に、旅人ですからね」
 選んだ飾りもばらばらだった。
「その飾りって、どっかに残ってないんすかね? フランメンさんの帽子なんてけっこう目立ちそうっすよね?」
「ああ。そういった報告はまだ聞いていません。残念ながら」
 リラは手帳の該当頁を見せてもらうと、しばらく考え込んだ。
 マロウは知るだろうか? 屋外で彼らが消えたならば、どこかに飾りが落ちていることもあるかもしれない。それならマロウの範疇だ。けれど。
 墓まで残されているのはキヴァルナだけだ。他の旅人は、フランメンさんと同じように消えて……。
「うん、なんとなくわかったっす」
 跳ねるように、リラは直立する。ももんがの尾がぱこんと腿を打った。
「それじゃ、暗くなったらでかけるんで。えーっと、岬のほうっす」
「お気をつけて」
 セシアは通り一遍の返事をする。彼女の意識は、ルーサリウスのメモに引き寄せられている。
 丁寧につづられた字は読みやすい。セシアも筆記具を携帯している性質であるからわかる。綺麗な字を書く人は仕事ができる。
 図書館長も綺麗に書いてくれたらよかったのに。
 飛び出してきた職場に思いを馳せても詮無いことだが、ルーサリウスの側ではなぜかセシアは書物の匂いを思い出す。
「鍵を使わなくても開く、扉?」
 呟いたセシアの言葉に、ふとルーサリウスが首をめぐらす。
「ああ。それはジニアさんの」
 森を散歩したときの会話の断片だ。後からルーサリウスが書き残したものである。
 いつ自分が消えてもいいように……と考えると楽しくもないが、これから訪れるまろうどのためになると思えば意味はある。
「扉。とびらとびら。ええっと」
 セシアは思い出そうとする。扉の話を、つい先に耳にした気がする。
「おかしな扉ですよ。鍵があるのに、鍵を使わなくても開くそうなんですから」
「そうか」
 両手を机に突いて、セシアは立ち上がった。
「マロウの話だ。ローラナが音術でマロウの過去の言葉を引き出したんですよ。鍵なら鍵らしくすればいい、そんなような台詞だった」
 かたん。
 椅子を離して足を組み、ルーサリウスは考える。
「《満月の塔》に至る道、扉を開く鍵は……鍵の姿をなしていない、か」
 ますます自分はジニアに興味がでてきたらしい。まったく驚くほかはない……。
「セシアさん」
「何だい」
「少し出かけてきます」
 上着を着込み、シャツの襟をぴりっと立てる。ルーサリウスの仕草は大人の男性のそれだ。外に行くのだろうか、それとも上着を着たのだから、誰かの部屋へでも行くのだろうか。
「じゃあ僕は絵画のことをまとめておく」
 展示室を見に行った旅人たちから、報告がぱらぱらと届いている。
「ありがとうございます。疲れたら、放って遊びにいってもかまいませんから」
「……だから子ども扱いしないでほしいってば」
 しかめ面をつくるセシア。

■Scene:評価(3)

「本部長は不在ですか」
 神聖騎士ロザリア・キスリングがちらりと本部をのぞくと、ルーサリウスの姿はない。
「でかけてるみたいだよ」
 突っ伏して眠っているセシアの代わりに答えたのは、乱暴に机に腰掛け膝を組んでいるヴァレリ・エスコフィエ。
「なんだい、離宮の人か」
 こすい笑みを浮かべたヴァレリだが、ロザリアはたいして機嫌を損ねたふうもなく、いつもと変わらぬ口調で
「そういう貴方も、本部のお手伝いですか」
と切り返した。
「ん? ちょいとねえ。ホラできた」
 見ればヴァレリは、ルーサリウスの筆記具をもてあそんでいる。
「勝手に持ち出すのは感心しませんよ」
 しれっと答えたロザリアの視界に、ヴァレリが得意げに突き出している腕が映った。
「……何です、それ」
 髑髏の刻印。
 しかし塞がれている目と口が、青々としたインクで書き足されている。
 結果、まつげビンビン、唇たっぷりの扇情的髑髏がそこに現れていた。
「あんたにも書いてあげようか」
「いえ、またの機会に」
「なんだー。けっこう上手く書けたのにさ」
 もうロザリアは背を向けている。仕方なく、夢うつつのセシアの手に狙いを定めるヴァレリ。

■Scene:効能

 ルーサリウスはジニアにお茶を淹れている。ジニアの部屋へカップやポットを持ち込んで、お茶の時間にしたのである。茶葉はエルリックのものをわけてもらった。本当は手慣れている彼に淹れて貰いたかったが、《パンドラ》のことで忙しくしているらしい。
「私の同僚も、エルリックのお茶には一目置いていましてね。この香りに包まれると落ち着くと言っていました」
 ジニアは落ち着いた手つきで飴色の液体が注がれたばかりのカップを手にした。
「いい香りだわ」
「でしょう? エルリックは商店街にも詳しくて、誰に教わったのか、馴染みの店でいつも茶葉を買っているくらいです」
「あの子の話ばかりするのね」
 ルーサリウス自身はそのつもりはなかったが、いつの間にかエルリックの話題になっている。
「でも珍しい。たいていまろうどは、見知らぬ者たちばかりが招かれるというのに」
 温かい湯気を浴びながら、ジニアは面白がっているようだった。
「理由が何かありそうですか?」
「伝書鳩は気まぐれだもの」
 ……伝書鳩。ルーサリウスは香気に顔を埋めながらかすかに眉根を寄せた。
 かつてはジニアも、伝書鳩に招かれた旅人だったのだ。白い剣を手にして描かれているジニア。展示室にあるルーサリウスの絵も、同じ剣を持っていると聞いている。
「《パンドラ》は、ルーに殺されたがっているようですね。白い剣は、ルーの剣だとか」
 湯気に囲まれてするには不穏な会話だな。ルーサリウスの心の片隅が、ちらとそんなことを考える。
「貴方が毒薬を所望されたことも耳にしましたよ、ジニアさん」
「いったいいくつ耳を持っているの? あの錬金術師が貴方に相談でもしたのかしら」
「情報を集める仕組みがあれば、どれだけでも真実に近づけるものです」
「でも、断られてしまったわ。毒薬の代わりに栄養剤を投与するそう」
 たいして残念でもなさそうなジニアの口調である。言葉の裏から、ルーサリウスは毒薬を使う対象が誰だったかを察した。そして最悪の事態は避けられたらしいことをサヴィーリアに感謝した。
「そのほうが賢明です、ジニアさん」
 ことん。ジニアは干したカップを机に乗せる。
「《パンドラ》は包丁で、いえ、レシアさんの白い剣で斬りつけられても死にませんでした。あの鳥を傷つけることはできない。この《島》には、死が満ち溢れていると……言ったのはジニアさん、貴女です」
「言ったわ」
「《パンドラ》を殺そうとしたレシアさんは、消滅しませんでしたね。何らかの方法で《パンドラ》を殺すこと。それが……貴女の先延ばしにしていた選択ではありませんか」
「鋭いのね、ルーサリウス」
 仮面に隠されていないほうの瞳が優しく歪んだ。
「私は自分の手を汚したくない。汚せばその事実に耐えられないだろうから」
 それは独り言のような呟き。
 ルーサリウスは膝ひとつぶん、ジニアに近づいた。
「だから毒を? そんなことをなさらなくとも、貴女の代わりに選択をする者ならばここにいます」
 かちゃり。ルーサリウスもカップを置いた。その手でジニアの指先に触れる。館の中の雑務をこなしているにもかかわらず、白い指は滑らかに感じられた。
 触れ合う場所からちりちりと伝わる、あの刺激。高揚感。たくさんの色彩。
「ルーサリウス?」
「貴女は、選択した後に訪れる出来事をご存じなのですね。そのうえで、近々選択を実行しようとしているならば、その予想をどうか教えていただきたいのです。手を汚す役は私が代わりに努めましょう」
 真剣に、かつてないくらい熱を込めてルーサリウスは説く。
 ルーサリウスは国家のしもべである。そしてエルリックと同じ任務を負っている。ふたりの勤めは、どちらかが《大陸》に帰還すれば果たされる――つまり、賭けに出ざるを得ない状況になれば、ふたりの役人はカードを2回切ることができる。ふたりで2枚のカード。
「白い剣はルーの剣? そう。あれがそんなことを……ねえ、ルーサリウス。貴方のさっきの質問の答えがそれかもしれない」
「それ、とは」
「《パンドラ》が貴方たちを呼んだ意味」
「我々の中に《ルー》がいるということですか? しかし、聞いた限りでは……」
「《ルー》そのものかは分からないけど。《ルー》になるのか、《ルー》に似ているのか。《パンドラ》は貴方たちになら……殺せるのかもしれない」
(……ルーだわ、その剣。さあお願い、一緒に行きましょう)
 エルリックから聞いた台詞が、幻聴のようにこだまする。レシアはまさに白い剣で突いたのに、殺すことができなかった。理由が何かあるはずだ。ジニアは知らないのだろうか、最後に嵌めるべき欠片の在処を。
 ルーサリウスは深呼吸をひとつして、もう一度ジニアに向きなおった。
「《パンドラ》であれ、あの姫君たちであれ、貴女が望む選択を実行しましょう。どのみち自分でも選択しなければならないのなら、結果がどうでも貴女が気に病む必要などない。いかがですか?」
 ジニアはルーサリウスの顔を見上げた。距離が近かった。
「私は、貴女に正しい道を歩んで欲しい。《大陸》に戻ることがそうとは限らないけれど、幸せになって欲しいのですよ」
「代償を払うことになるわ」
「言ったでしょう。結果を気にする必要はありません。貴女が選択したのではないのだから」
 いっそう色鮮やかな色彩が、めくるめく奔流となって流れ込んできた。
「代償を知っても、そう言ってもらえるかしら」
「何度でも」
 ため息をもらしたのは、ルーサリウスかそれともジニアか。
 しばしの沈黙の後、口を開いたのはジニアのほうだ。
「本当は。《パンドラ》でなくともかまわないのよ」
 誰かひとりの命を奪うこと。白い剣が鍵となる。
 ジニアはそっとささやいた。
「成功した者が誰かいるはずですね?」
「知る限りいないわ」
「貴女はどうしてそれを知り得たのですか」
 ジニアは再び沈黙する。
「……聡明な女性は、相応に幸福であるべきです。知るほど辛くなるなど道理ではありません。私はそう思いたい」
 ルーサリウスは彼なりの言葉で、ジニアに応えた。
 だが、今後は《島》での振舞いはさらに難しくなる。旅人どうしが争いはじめることになれば、どうすればよいのだろうか。それに……《パンドラ》は死んでいない。苦痛が快楽につながるのならば、命を奪おうとしていたずらに相手を快楽に陥れるだけになるのではないか?
「マロウはそれを知って、自分にはできないと理解した。知ることすら苦痛だったのね」
 だから、いいのよ。私だって怖気づいたから。
 ジニアは無表情に呟いたのだった。

第5章へ続く

承前 白い鳥の誘い・至純の仮面1.薄明2.めぐりあう朝3.潮騒4.孤独な円弧5.雫受け止める器6.琴線7.埋もれた足跡マスターより