第6章|残された幸せ林檎の木の下で森の一葉のように動き出した時間変容夢魔との戦い(1)(2)(3)(4)マスターより

3.森の一葉のように

 最近のローズ・マリィは、もっぱら《まことの国》で過ごすことが多い。
 それも、魔法陣をくぐるのではなく、眠っている間に《まことの国》にいるのである。あちらではお腹もすかないので、孤児院で辛い思いを味わったローズは、なぜか釈然としないものを感じる。お腹がすくから、おいしいものをいっぱい食べるのが楽しいのであって、お腹がすかないことはちっとも楽しくない。あちらで過ごす時間が長くなるにつれ、ディルワースの出来事が、遠い過去のような錯覚に陥りそうになる。

 そんなことを考えながら、彼女はサンディが、夫のランディの見舞いに来るのを楽しみに待っていた。
「サンディさんですか?」
 屋敷のメイドは首をかしげている。
「そういえば今日はまだお見えになりませんね」
 なあんだ、つまんない。ローズは寝間着姿のまま、夫のが眠る寝台の脇に頬杖をつく。
「せっかくサンディおばーちゃんに教えてあげようと思ったのにな。《狂乱病》になれば、夢の国にいけるようになるって。あっちは居心地がなかなかよくって、みんなディルワースに戻ってくるのがおっくうになるのよ。ねぇ、おじーちゃん……」
 ランディは、目を覚まさない。
「どんな夢、みてるの? サンディおばーちゃんと、もしかして一緒にいるのかな」
 頬杖をついた顔が、どんどんゆがんでいく。

(ねぇおじーちゃん、わたしをおじーちゃんのお嫁さんにしてくれない? わたし、幸せになりたいの。ディルワースで一番の幸せがほしいの。シャッセ姫にだって、負けないくらいの!)
 僕のね、大切な人。……そういってシャッセは微笑んだんだって。
 どういうことなの、おじーちゃん。ねえ、何とかいってよ。今、わたしはひとりぼっちなのよ。やっぱり、ひとりはいや。もういやだよ。
「おじーちゃん、《まことの国》には城下町がないもんね。シャッセが《白馬の君》とラブラブでも、ランディおじーちゃんとサンディおばーちゃんが仲良くしてても、街の人に悪く言われることはなさそうね……」
 昼下がり、先ほど起き出したばかりだというのに、もうローズは耐え難い眠気に襲われていた。そのままランディの傍らで、すとんと深い眠りにおちる。


「……どうして、やっぱりだぁれもいないのよー!」
 《まことの国》の森の中で、ローズはここでも孤独に襲われていた。
「んもう、コルムせんせーい! シャッセ姫ー! ディルウィードぉ! リーフぅー! ついでにフォリルせんせ〜いっ!」
 どん!
 声の限り叫んでいると、誰かがぶつかってきた。顔をくしゃくしゃにした、シャッセだった。たしか前にも、こんなことがあったような気がするのだけど。ローズは思い出そうとしたが、思い出せなかったのですぐやめた。
「まあシャッセ! 《白馬の君》に手紙は渡せたの?」
「知らない」
 ふくれ顔で、シャッセはぷいと横を向いた。この手の話が大好きなローズである。すぐにぴんと来て、いろいろかまをかけてみた。 
「なぁに、どうしたのよいったい。あんなにラブラブだったじゃないの。それとも彼に冷たくされたの?」
 返事はなかった。あっさりと図星だったらしい。わかりやすい性格だ。
「ばっかねぇ、そんなの。ちょっと冷たくされたくらいで引き下がってちゃダメよ。女も積極的にいかなけりゃ」
「ローズにはわかるもんか」
 吐き捨てるようにシャッセが言った。初めてシャッセが見せた荒々しい気性の一面を、ローズは半分好ましく、半分はうとましく思う。次の言葉を考えているうちに、シャッセはローズをつきとばすようにして走り去ってしまった。
「せっかく相談にのってあげようと思ったのに。出歩いていること、フォリル先生にいいつけてやるわ」
 少しいじわるしたい気持ちを抑えられず、ローズはすたすた大股で歩き出した。
 しかしフォリルは《まことの国》に来ているのだろうか。夢魔がどうとかいう話を、カミオや、あのオシアンの使い魔のような生き物としていたのだが。

「だぁれもいないわ、一体どこにいるのかしら」
 しばらく《まことの国》をさまよったあげく、ローズの足は鐘楼へと向かうのだった。

4.動き出した時間 へ続く


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