第6章|残された幸せ林檎の木の下で森の一葉のように動き出した時間変容夢魔との戦い(1)(2)(3)(4)マスターより

6.夢魔との戦い(2)

《まことの国》、王城地下。

 ミューから小枝のお守りを受け取ったエルムは、それをゴドにもあげた。
 ゴドはお守りをそっとポケットにしまう。これまでの旅の中で、誰かに物をもらったのは初めてだった。しかも、手作りのお守りなんて。涙がでそうになるくらいうれしかったけど、ゴドはこらえた。誰かが、思ってくれているという気持ちが、こんなにいいものなんて知らなかった。
「何だぁこれ。こんなちっぽけな枝がお守りィ? 冗談じゃねぇな」
 不本意ながらもグレイに渡すと、盗賊はつまらなさそうに枝のお守りをためつすがめつし、がり、と歯を立てた。
「そのへんの枝がお守りになるんなら、ディルワースは今ごろお守り屋だらけだろうが」
「いいですか」
 きっと目をつりあげて、エルムは念を押した。
「あなたにこれを渡す義理はこれっぽっちもないんです。でもそれを言っちゃおしまいですから、一時的に手を組んでいるだけなんです」
 その剣幕に気圧されたのはゴドだけで、グレイはどこ吹く風である。
「価値の分からない方には何を言っても無駄でしょうね、お守りだって《竜の牙》だって一緒ですよ」
 《竜の牙》と聞いて、ぴくりとグレイの眉が動く。
「まだお分かりでない様子ですが、《竜の牙》というのは、宝物とは言われていますけどとんでもない代物ですよ。すべてを打ち砕く。いいですか、すべてを、打ち砕く、です」
「いいねぇ、そういう危険な香り」
「売り飛ばしたりしたらどんな恐ろしいことになるか。呪われますよきっと。《竜》の怨念も絶対こもってますよ。まとわりつかれて、夜も眠れなくなりますよっ」
「ま、そんなことになったら……《門》にでも戻るかな」
 は? と豆鉄砲をくらったような顔のエルム。それを見てグレイはくつくつと笑っている。
「規則正しい生活の中で精神の鍛錬に励めば、《竜》の怨念もどっか行くだろ。ぶわっはっは!」
 こらえきれなくなったようで、言葉尻は下品な笑い声に消えた。
 ゴドは必死で、ぷるぷる震えるエルムの拳を押さえにかかる。
「う……打ち砕かれてしまえばいいんです、あなたなど!」
「そうだな、そういう終わり方もいいかもな。エルムちゃんの仕事も減って、楽できるだろうしな。ぶわっははっはは」
 エルムの激昂は最高潮である。必死に理性を取り戻せたのは、ひとえに、せっかくグレイと共同戦線を張れるようにしてくれたゴドのため、そして精神修行のたまものだった。
「べ、別に、あなたのために審問をしているわけではありません。《野の百合の門》が出戻りを歓迎するかどうかは、あなた次第だと思いますけれど」
 ごほん、と咳払いするエルムを、グレイはにやにやと眺めていた。女の子ふたりをからかうのが、たまらなく楽しいらしい。
「それで」
 ゴドが切り出した。
「城を壊すとか、門番を倒すとかして思い出を取り返すって言ってたけど、どういうやり方で?」
「おお、そうだよな嬢ちゃん。その話をしような。盗賊のくせに盗まれたものを取り返すだなんて、ケツのアナがちっせぇツッコミはなしにしてくれよ、な?」
 
 グレイの話では、こうである。
 思い出を奪っていく奴は、甘ったるい女の子のようなふりふりした妙な生き物である。そいつが時々現れると、まるで白昼夢を見ているように、周囲に過去の記憶が浮かび上がるのだ。だが、そのとき浮かんだものが何だったか、後から思い出すことはできない。
「夢魔です。私も同じ目に会いました」
「ま、ああいう奴相手には、ちょっと俺の戦い方は分が悪いわけよ。魔法で追い詰めて、眠らせたままズドン!が、ウチの盗賊団の流儀だしな。おっとエルムちゃん、そんな怖い顔をしないでくれよ。俺たちは、絶対に命は奪わねぇ。ちょこっと金子をいただくだけさ」
 ちょこっとで、ひとつの村が滅ぶものか。根こそぎの間違いだろう、苦い顔のエルムである。
「続けてください」
「それで、だ。俺は考えた。なんでアイツはココにいるんだろう、てな。ココにいる理由が、あるんだろうしな」
 理由がなんであれ、それをぶち壊せばいいんじゃないの、というのがグレイの主張であった。
「つまり、ほれ。この場所にははっきりいって城しかねぇだろ」
 うんうん、とゴドがうなずく。
「だからそれを壊せば困るだろ、きっと」
「え……」
「そしたらアイツをおびき出すことになるだろ、な?」
 エルムの頭は激しく痛くなった。そんななんの根拠もない理由で、お城を壊すなんて! 《門》の人間がお馬鹿さんばっかりだと周りに思われたらどうしよう。生涯をかけて、疑惑をはらす旅にでなければならない。
「それは危険ですよ。夢魔のすみかは魔法陣の隙間ですし」
「隙間か陰間か知らねぇが、隠れてるもんをひっぱりだす必要はあるだろうが」
「城を壊せばすべて解決するんですか。いっそう事態がややこしくなるかもしれないでしょう。中にいる人間も巻き込まれてしまうでしょうし、夢魔にとって城が大事じゃなかったら、出てくるものも出てこないでしょうね」
「グレイは、これまで何か壊してみたの?」
 ゴドが尋ねる。彼女は、グレイの作戦をうまく軌道修正して、協力して動いているオシアンの助けにもなるようにできないかと考えていた。グレイがこれまでも、ぶっこわし作戦を試みているなら、今度は新しいやり方を提案するつもりだった。
「それがな、壊そう壊そうと思ってるんだがな、俺の力じゃいかんともしがたいようでね」
「口だけですかっ!……じゃなくて、やはり城にも防護魔法がかかっているんですよ」
「防護魔法ってもなぁ」
 ぎろりとグレイはエルムをにらむ。
「俺の仲間がいりゃ、そんなのはちょちょいのちょいでとっぱらえちまうんだよ」
「……仲間。どこに? この《まことの国》じゅう見て回った仲間がいましたが、あなたしかいませんでしたよ、盗賊なんて」
 エルムの視線は冷たい。いざというときに他人の力をあてにしているようでは、いくら盗賊といえども情けなさすぎる。
「その、お仲間さんって強いんですか?」
 グレイは大きくうなずいた。
「ウチの盗賊団には飛び入りだったがな。俺の魔法なんて、そいつに比べりゃまだまだヒヨコみたいなもんさ。おめぇら見たことないだろ、何の準備も触媒もなしで、ガンガン魔法をぶっぱなせるんだぜ。もとはといえばディルワース襲撃も、そいつが言い出したんだ」
 にやりとグレイが下卑た笑いを浮かべた。彼の右手に、大粒のサファイアが光っている。
「何の準備も触媒もなしで……」
 エルムの脳裏に、その言葉がひっかかった。
 《大陸》にはさまざまな魔法の流儀があり、また日々新しいものが編み出されている。もちろん《門》の中でも魔術派に属する者たちも、自己鍛錬のなかで魔法の技を研究していた。だが知る限り、呼吸するように《魔法》を発動する方法はない。
「そいつの力を借りて、一発城にズドンと行きたかったんだがよ。残念ながらいつまでたっても会えやしねぇ。どっかで迷子になってるのかね。それとも先に野垂れ死んだか……ま、この国に来ているかどうかも分からないんだがな。いいやつだったのに」

「ここにいない人の話をしても、詮ないことです」
 喉の奥の小骨のような違和感をかかえたまま、エルムは言った。
「だいたいの話は分かりました。でも、城をふっ飛ばすのには反対です。不安要素が多すぎますから。方針を変えませんか?」
 エルムの作戦はこうだった。ここにある本の中から、使えそうな守りの魔法を探す。手順を守れば自分とゴドとグレイでも扱えるような魔法を選び出し、結界をつくるのだ。
「なんだ、地味だな」
「地味か地味じゃないかで判断しないでください」
「ウチ、いいと思う」
「そうかぁ?」
 グレイに顔をのぞきこまれて、ゴドはひきつりながらうなずいた。
「そう! ゴドもそう思いますか。グレイのやり方よりも、じわじわと追い詰めて、相手の行動範囲を狭めることができますよ、これならば」
 エルムはゴドの手をにぎりしめた。ゴドの身体はまだびくびくと震えている。アップにならないでください、ゴドが怖がるでしょう、とエルムはゴドをかばうように抱きしめた。
「で、狭めてなんなんだよ」
「私たちの仲間も、夢魔を追い詰めようと行動しています。これならば、連携が取りやすいと思いませんか」
「……地味だがな。よし、わかった。頼りにしてた魔導操師がいないんじゃしょうがねぇ、いっちょやるかあ!」
 魔導操師?
 エルムとゴドは、顔を見合わせた。


「エルム」
 結界の準備が整った。あとは3人で夢魔の根城、魔法陣へと突入するだけである。
 グレイはポケットからくたびれた酒瓶を取り出し、ぐいとあおった。口を手の甲でぬぐいながら、ほれ、とあたりまえのように二人に突き出す。
 それを片手でおしやると、エルムはゴドのささやきに答える。
「何ですか?」
「ごめん、ウチ、勝手なことしたね」
「勝手? いいえ、ちっとも」
 エルムは優しく微笑んだ。傍らでは、グレイがごくごくと喉を鳴らして瓶を空にしている。
「ウチがグレイとの話を、もっとうまくもっていけてたらよかったと思う。エルムの仕事、やりにくくなったんでしょう。ウチ、邪魔だった。ごめんなさい」
 エルムの左手が、そっとゴドの肩に添えられた。《門》の刻印は、今はもううずいてはいなかった。
「どうして、そんなことを思ったんです」
「だって……やっぱりウチあんまり役にたってなかったから。でもね。怖かったけど、頑張ったの……」
 最後のほうは涙声だった。ゴドは自分でも混乱する。どうしてだろう。
「これが終わったら、次はエルムに協力する……協力したい……牙とか本とか宝物とか、みんなイラナイ。エルムにあげるよ」
「ゴド」
 エルムはそっと、彼女の名を呼んだ。他にかける言葉は見つからなかった。エルムも混乱していた。なぜこの子は泣くのだろう。別れの時ではない、何かを失ったわけでもない。この熱い涙はどうして?
「私も何も要りませんよ、ゴド」
 目をこすりながら、ゴドはそっと顔をあげた。グレイと口角泡を飛ばしていたときとは別人の、聖母のような表情で、修道僧はゴドを見ていた。
「だって、ここであなたたちと過ごした時間のほうが、大切ですからね」
 ゴドは目を丸くして、もぐもぐと呟く。
「どうして、エルム……どうして? ウチも、おんなじことを言おうと思ってた……」
 ぼろぼろと、また涙があふれてきた。一人淋しく孤独と無力をかみしめていた涙とは違う、大切なものを見つけたときの涙だった。 

(3)へ続く


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